評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
森山大道「昼の学校、夜の学校」(平凡社)が面白い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/41/5a95888c35dd09011cb8369c8c20aec5.jpg)
推薦図書です。
写真家の森山大道さんが写真学校の学生達の質問に答えた対話を本にまとめた、「昼の学校、夜の学校」を読んだのですが、なかなか良い本でした。語る言葉に無駄がない、素晴らしい対話です。
森山大道さんは、ほとんどをモノクロで、主に都市の路上を取り続けている写真家ですが、日本を代表する写真家だといっていいと思います。都市を強引に切り取るような強い視線と、ぞくぞくするような独特のグレーの出し方が素晴らしく、「日本にはいいアーチストがいるのか?」と外国人に訊かれたら、「フォトグラファーのダイドー・モリヤマが素晴らしいぞ」と答えてみたくなるよう人です。事実、近年は世界的に評価が高く、海外でも、何度も個展が開かれています。
写真の大家が、写真学校の学生に対して話をするわけなのですが、若者を対等なライバルとしても尊重し、激励しつつも、一切甘やかさない、誠実なやりとりをしています。
例えば、森山氏の写真を「汚く見える」と評して質問する若者に対しても、その人物の見方を尊重しつつも、その見方が一つの見方に過ぎないことをきちんと相対化して諭し、そもそも世の中や人間が、そんなにきれいなものでないという世界観を語り、写真が必ずしもきれいでなくてもいいのだ、というご自分の写真観を過不足無く説明します。
また自己表現者の持っている自己顕示欲について、ご自分の持つ自己顕示欲のあり方を隠さず説明し、同時に、他人の写真を見て感心する暇があったら、もっと自分の写真を撮って、他人に見て貰いたいと強く思え、と若い写真人達を叱咤しています。
過去の修行や仕事の歴史、どうやって食べてきたかという経過、現在の仕事の仕方の凄まじさなども、淡々と語られていて、プロの職業人のあり方も考えさせてくれる本です。大まかにいうと、路上をフィルム1千本から2千本撮って(リコーのGRが2千本で壊れるらしいということを始めて知りました)、一週間かけて一気に現像し、一ヶ月間毎日朝9時から午前3時まで暗室にこもって写真を焼く、というようなプロセスで一冊の写真集が出来上がるようです。
もちろん写真そのものについても、特に森山氏の写真の撮り方、焼き方、本の作り方などについて、詳しく語られているので、写真ファンも満足するでしょう。
「最近の若手写真家で、こいつはいい人は?」という質問に対しては、「思わずのけぞって腰を抜かすって人はいない」と言っていますが、他方では、「ぼくらが呆然とするような、『これが写真だぜオッサンよ』というとてつもないことをやって見せてほしいと思っている。何てったってカメラマン同士だからさ」と答えています。聴衆に対して、「君たち、やってみろ」と言っているわけで、森山氏ならではの、優れた教育だと思います。
若者を恐れず、ナメず、しかし、甘やかさず、という姿勢は、個性を確立した一流人でなければ決してきれいに出せない姿だと思いますが、森山氏はその辺りを実に格好良くやっています。これは、何とも羨ましい。
ちなみに、最初の講義の最後には、「ひとまず量のない質はない、ただもうそれだけです、ぼくの唯一のメッセージは」と述べておられます。ともかく、撮らなければ始まらないし、その後も、取り続けるしかないよ、と言っておられるわけです。
一気に読んで、たいへん感心しました。
写真家の森山大道さんが写真学校の学生達の質問に答えた対話を本にまとめた、「昼の学校、夜の学校」を読んだのですが、なかなか良い本でした。語る言葉に無駄がない、素晴らしい対話です。
森山大道さんは、ほとんどをモノクロで、主に都市の路上を取り続けている写真家ですが、日本を代表する写真家だといっていいと思います。都市を強引に切り取るような強い視線と、ぞくぞくするような独特のグレーの出し方が素晴らしく、「日本にはいいアーチストがいるのか?」と外国人に訊かれたら、「フォトグラファーのダイドー・モリヤマが素晴らしいぞ」と答えてみたくなるよう人です。事実、近年は世界的に評価が高く、海外でも、何度も個展が開かれています。
写真の大家が、写真学校の学生に対して話をするわけなのですが、若者を対等なライバルとしても尊重し、激励しつつも、一切甘やかさない、誠実なやりとりをしています。
例えば、森山氏の写真を「汚く見える」と評して質問する若者に対しても、その人物の見方を尊重しつつも、その見方が一つの見方に過ぎないことをきちんと相対化して諭し、そもそも世の中や人間が、そんなにきれいなものでないという世界観を語り、写真が必ずしもきれいでなくてもいいのだ、というご自分の写真観を過不足無く説明します。
また自己表現者の持っている自己顕示欲について、ご自分の持つ自己顕示欲のあり方を隠さず説明し、同時に、他人の写真を見て感心する暇があったら、もっと自分の写真を撮って、他人に見て貰いたいと強く思え、と若い写真人達を叱咤しています。
過去の修行や仕事の歴史、どうやって食べてきたかという経過、現在の仕事の仕方の凄まじさなども、淡々と語られていて、プロの職業人のあり方も考えさせてくれる本です。大まかにいうと、路上をフィルム1千本から2千本撮って(リコーのGRが2千本で壊れるらしいということを始めて知りました)、一週間かけて一気に現像し、一ヶ月間毎日朝9時から午前3時まで暗室にこもって写真を焼く、というようなプロセスで一冊の写真集が出来上がるようです。
もちろん写真そのものについても、特に森山氏の写真の撮り方、焼き方、本の作り方などについて、詳しく語られているので、写真ファンも満足するでしょう。
「最近の若手写真家で、こいつはいい人は?」という質問に対しては、「思わずのけぞって腰を抜かすって人はいない」と言っていますが、他方では、「ぼくらが呆然とするような、『これが写真だぜオッサンよ』というとてつもないことをやって見せてほしいと思っている。何てったってカメラマン同士だからさ」と答えています。聴衆に対して、「君たち、やってみろ」と言っているわけで、森山氏ならではの、優れた教育だと思います。
若者を恐れず、ナメず、しかし、甘やかさず、という姿勢は、個性を確立した一流人でなければ決してきれいに出せない姿だと思いますが、森山氏はその辺りを実に格好良くやっています。これは、何とも羨ましい。
ちなみに、最初の講義の最後には、「ひとまず量のない質はない、ただもうそれだけです、ぼくの唯一のメッセージは」と述べておられます。ともかく、撮らなければ始まらないし、その後も、取り続けるしかないよ、と言っておられるわけです。
一気に読んで、たいへん感心しました。
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お邪魔でしたらごめんなさい。
もう10月になりましたね・・・。
秋は、人生の哀愁とか孤独を感じさせる季節ですね・・。
北海道の小学生のいじめによる自殺が起こった小学校
がある某市に住んでいる者ですが、悲しい事件です。
こんな田舎都市の一小学校で起こった事件が連日のよう
に報道されるのは、めずらしいことです。
学校関係者も、教育委員長も、・・・・みな自己保身しか考え
ていない・・・・本当に悲しい事件です。
昔もいじめはあったが、今のように陰湿ではなかったのです。
私も、無口で内向的な子供だったので、いじめを受けた方で
すが、いい思い出ではないが、死を選択しなければならない
ほどではなかったように思う。
かえって、その経験を通して、弱者を理解しようとする心を
養ってくれたようにも思うのです。
一番の問題は、先生の指導力不足です。
楽しいはずの修学旅行で、どのグループにも入ることが出来
ずに男の子のグループに入れられた女の子は、その4日後に
遺書を残して死んでいるのです。
これは、その子にとって拷問にも等しかったでしょう。
命の尊さを教えることができない先生にも問題があるのででは
ないでしょうか。
現代は、「いのち」の尊さを知らない方が多すぎるのです。。。。
ところで、
人はどこから来て
何のために生きて
どこへ向かっているのでしょうか・・・?。
この世界の終末はどうなるのでしょうか・・・?
神の存在、愛とは何か、人生の意味は何か、いのちと死の
問題などについて、ブログで分かりやすく聖書の福音を書き
綴っています。
小学生の自殺は悲しい事件でした。
教師の力不足と関係者の保身は目に余りますが、他人に多くを期待することもできません。どの子にも、何とかして生きていってほしいと思います。生きていると、きっと、いいことがある、と思えるようになるといいですね。
ちなみにワタミは、バイトなどをなるべく正社員化するのだと言っています。理由は、その方が安く使えるから、だそうです。微妙な希望ですね。
ここのところ、頻繁にコメントしていたので、しばらく自重しようと思ったのですが、カメラの話題なので、嬉しくなって、つい出てきました!
山崎先生は、カメラが大好きなようで、一眼レフ、レンジファインダーと、使い分けていらっしゃるそうですね。
僕は、一眼レフは銀塩&デジタルともニコンを使用しており、コンパクトにおいては、銀塩はミノルタのTC-1、デジタルはリコーのGX8です。
森山大道さんは、名だたるGRの使い手だそうで、GRデジタルのギャラリーでご登場されていますね。
http://www.ricoh.co.jp/dc/gr/gallery/index.html
そして、実は、僕が「森山大道さん」というカメラマンの存在を知り、その写真を初めて見たのが、上記のURLのギャラリーでした。
この写真を見て、最初に感じたのは、山崎先生も書かれているように、「汚く見える」でした。
「汚く見える」写真を撮る人は、僕の率直な感想では、「う~ん。。。」といったところです。
森山さんと同じく、現代を代表するカメラマンの田中希美男さんは、何気ないシーンに着目して、印象に残る素敵な写真を撮られるので、根っから写真が好きなんだなァと思います。
http://www.thisistanaka.com/index.html
そして、僕が一番好きなカメラマンは、故人ですが、土門拳さんで、写真のみならず、その著書からも感銘を多々受けました。
ところで、その、土門拳さんのカメラに関する一つの定義を、以下にご紹介します。
「カメラは、いわば日本の勤労大衆の悲しき玩具である。生活の貧しさ、現実の苦しさをしばし忘れるための玩具なのだ、家も、自家用車も、電気冷蔵庫も買えないから、カメラを買うのだ。ぼくはみんなが身分不相応の高いカメラを欲しがると非難めいた言い方をしたが、実は貧乏だからこそ高いカメラを欲しがるのだ。この逆説的な関係の中にこそ、今日のカメラ・ブームの実態はひそんでいるのだ。」
この文章は、昭和31年に書かれたもので、もちろん、この解釈は現在では「非難轟々」だろうですが、その当時の物価の状況をも、うかがうことのできる、興味深いお話しです。
「働きたくない」は教育の敗北というよりも、第一に、本人の敗北でしょう。「働きたい人」が多い社会には外部経済効果があるとすれば、これを引き出し得ていない社会の何かが失敗していると思いますが、教育とか企業社会とかの勝ち負けにつなげて考えるのは、少し違うような気がします。
それにしても、ワタミさんの正社員論は微妙で、正直で、いいですね!
その方が安く、たくさん働いて貰えるから、正社員にする、というのは合理的ですし、それ以外の理由で、正社員を増やすのは阿呆です。
私は、現在の日本の「正社員」が保護されすぎていることが、非正規労働の競争相手を圧迫していると考えています。労働者の敵は、労働者です。
私自身は、バイトやフリーターの経験はありませんが、普通の正社員、契約社員(外資・日系両方)、フリーの仕事、と三通りで働いたことがありますが、会社と社員の事を考えると、「クビにも出来る契約社員」が一番自然な形態だと思います。但し、会社都合で解雇する場合の補償は明確に決まっている必要があると思います(例えば勤続年数に応じて、給料の1~12ヶ月分など)。
>まさくん様
こんばんは。カメラがお好きでしたか。
私の場合、写真そのものもさることながら、やっぱりカメラ好きなのだと思います。土門拳氏の文章は、非常に良く分かります。ただ、最近は、カメラのモノとしての、高級品としての晴れやかさのようなものが、薄れてきたのが気がかりです。
デジタルは、GRデジタル、CanonのEOS20D、Nikon200D、EpsonのR-D1といったところを使っていますが、使用頻度はGRデジタルが一番です。
フィルムは、ライカのMとRが何台かにRollei、CanonのEOS系を何台か、それにGR21、ミノルタTC-1(良いカメラですね!)、などなど、使い切れない機械達があって、機械に愛着はあるものの、使うチャンスが無くて困っています。過去一年間、フィルムは一本も撮っていません。
引っ越しが終わったら、ちょっとラインナップを整理して、モノクロをきれいに出力できるプリンターを調達して、散歩写真を撮ろうと思っています。
田中希美男さんのサイトは初めて拝見しましたが、ディスプレイの小さな画面で見ても、モノクロのトーンがきれいでいいですね。
カラーは、私は、藤原新也さんが好きです。
http://www.fujiwarashinya.com/main.html
ご覧になってみて下さい。
で、これは日雇いの現場を知っている者として言うのですが、人夫出し、というのはヤクザの仕事なわけでしょう。派遣で働くブルーカラードについては、私は山崎さんの意見はピンときません。実際、偽装請負のラインで働いている若者は、「派遣会社など社会悪だ」と言い切っています。自分はここでしか働けないけど、という留保がかなしいですなあ。
日雇いというのは、心も体も病んでいる今の若者にできることではありません。だからどうする、といわれても、妙案はないので、とりあえず、仏教徒として釈迦に帰依しろ、ぐらいしかいえませんが。底辺で幸せに生きるこつは、悟ることですから。
以前より楽しく拝見しておりました。
今回書き込みをしようと思ったのは、
いつにも増して深く共感を覚えたからです。
とくに、次のくだり。
若者を恐れず、ナメず、しかし、甘やかさず、という姿勢は、個性を確立した一流人でなければ決してきれいに出せない姿だと思いますが、森山氏はその辺りを実に格好良く
やっています。
本当におっしゃる通りだな、と思います。
以前、人にモノを教える仕事をしていた時、森山大道と同じ心構えで頑張ってはみたのですが、実際のところ、全然カッコ良くはこなせられなかったです。
もっと修行を積まなくては。まずは森山さんの御本でも読んでみます。
藤原さんは、その仕事に取り組むスタンスがすばらしい方ですね。
最新作は、渋谷の街?だとか。
これからも良い作品を出してほしいです。
それではまた。失礼いたします。
派遣で働いている人が、実感として、必ずしも幸せでないことは理解しますが、それでは、派遣会社は無い方がいい訳ではないと思います。「必要悪」だ、といっているのは、「必要」までが正しいのであって、「悪」の部分は、彼らの甘えではありませんか?
代わりに何が出来て(要は、どうするとよくて)、それが維持可能なのか、対案をお聞かせ下さいませ。
>Riraさま
いらっしゃいませ!
森山氏も、藤原氏も、どちらも「格好が良くて、羨ましいな」と、私は思います。僅かであっても、近づきたい、という欲がまだ残っているので、自分がやりたいことを、少し根を詰めて考えてみたいと思っています。
返信ありがとうございます。
自分も、堀江氏に経営者としての経営責任は多いにあったと思います。たぶん、期ズレか何かをするのを見過ごしたか、認めて通してしまったとも思います。
ただ、今回の裁判の刑事罰にまで及ぶ刑事責任とは別か行き過ぎなのでは と、思いましたので書かせてもらいました。
またハンドルネームのことは、今回も同じハンドルネームですが、すみませんでした。
お返事を、有難うございました。
今日は、気持ちの良い秋晴れですね。
>モノとしての、高級品としての晴れやかさのようなものが、薄れてきた
TC-1は、谷井純一さんという技術者が、ご自分の夢に描いたカメラを実現化したモノだけあって、「晴れやかさ」を感じさせます。
大げさな形容かもしれませんが、開発者の魂が、このカメラに宿っているようです。
ですが、今は設計が分業化され、かつ、デジタル・カメラはライフ・サイクルが非常に短いので、ますます、その傾向に拍車がかかっているようですね。
カメラが入力装置の一つとして見なされる傾向には、何となく、寂しい気がします。
そして、藤原新也さんのサイトをご紹介くださり、有難うございました。
しんみりとした、お写真を撮られる方のようですね。。
これらのお写真を見て、どういうものか、つげ義春さんの「ねじ式」というマンガを思い出しました。
『山崎元投資ゼミ』の教養系の新たな参考書のご紹介、また宿題が増えましたが、有難う御座います。
13週移動平均線を試しにExcelで付け始めたり(ソフトを使う感覚とかコツを少し取り戻せた感じです)会社四季報にラインマークしたり、銘柄選定セッションをやっとこさ通過した途端に『株価調整のチャンス到来近し』との教授からの情報が出てくるし(⇒週間ダイヤモンド10/7号)で『何時・幾らで』での実戦出動時期の思わぬ早い到来に、投資バカetc復習もせなならず、まあ我が師も『量のない質は無い』を地で行かれるなあ、っと思います。
3連休は集中ホームワークです。
っとまあプライベート感覚の日曜のんびりムードではありますが、山崎さんご一家におかれてはどうやら幼稚園の課題にも目処がつき、いよいよお引越し真近いご様子ですね。
私は父の代からの転勤族ですが自分の職業生活の中ではこの30年間で既に13回の引越しを経験しています。 家の中に溜まった物品の整理の好機ではありますが何かと大変ですね、特に小さい子供達を連れてのケースは一番思い出深いものです。
良い住環境をお祈り致します(通勤再開ですか?)。
問題は対案でしたね。実は私は、必要悪の必要の部分を強く感じています。仕事がないよりはまし、なのです。悪の部分が甘えかどうかは、これは本当に個人の労働観や社会観ですね。工場労働への派遣は法的に認められていなかったのですから、そのままにしておくという手段もあったかもしれません。ただ、これは現状どうにもなりそうもないことですね。私は法治だけはたのむよ、とまず言っているつもりです。
メーカーの人とも話しますが、メーカー側もこんなことがいつまでも続くとは思っていないし、実際に偽装請負などが著しく成果を上げているわけでもないのです。みんな当座のことでいっぱいいっぱいのようです。本来、日本程度に成熟してしまった国の工場労働は、外国人労働者がになうか、工場ごと海外に出て行くか、日本にある工場だが熟練集団でスキルにおいて決定的な競争力を持っているか、などに進化?していくのでしょうが、今のところ、派遣などの労働形態の変化でコストを抑える方法を選んでいるわけですね。
さて、対案は、浮かびません。山崎さんは労働分配率などにはあまり興味がありませんか。今は調子が悪いようですが、ソニーの盛田さんは晩年、繰り返し、日本は労働者への分配が足りないと言っておられて、有難い話だがぼけてるのかなあ、と思ったことを覚えています。
それから、為替への介入や銀行への公的資金の投入については、システムの維持ということで黙認するわけですよね。システムの維持というのは、結局、恐慌状態を避けるということではないでしょうか。
同時代を生きるとは、同時代の同胞の悲惨をなるべく目の当たりにしないことである、と私は考えます。不安を抱えた若者が不安を抱えたまま老人になるというのも、甘えかどうかは別にして、避けてやりたいとは思います。少産多死化の人口減少社会をささえてくれているわけですからね、彼ら、将来年金も退職金もないないづくしなのに。(対案なくてごめん、浮かんだら書きます。私なんかが日雇いでも生きてこれたのは、仕事が五時で終わるから、です。ここはポイントだとは思います。何とか暮らせて長時間拘束はされないという選択ができればいいですね。あと、中間層が本当に痩せてしまったら、消費ドライブがかからないので、成長は見込めないという見方も一応はありますよね)
手元に藤原の全東洋写真があって、この本のあとがきで、藤原は自分の写真の特徴として、露出がアンダーであるとされるが、それはアジアの光をそのまま写しただけで(適正露出)、アジア人はみな、この暗い光を好むコードをもっているはずだ、みたいな話を書いています。
このあとがきを読んだ折、では露出アンダーで撮れば藤原のように撮れるのか、と考えました。写真は撮らないので、山崎さん、試してくださいませ。撮れませんよね、普通。で、ではなぜ撮れないのか、考えると夜眠れなくなるのでやめときます。
山崎さんとやり取りしていると、藤原の性格にそっくりだなあ、と感じます。思ったことは絶対に口にする、主義ですね。私も同じです。よくサラリーマンなんかできましたな。
いつか藤原にインタビューする機会などありましたら、一点訊ねてほしいことがあります。チベットの僧を撮った写真の数枚が、首チョンパで、これが気になって夜も眠れません。意図的に首をとばしているいるのかなあ、機会あればよろしくお願いします。
13週移動平均ですか。エクセルの練習にはいいかも知れませんが、チャート分析は所詮役に立たないので、ほどほどにされるといいと思います。
引っ越しがいよいよ決まって(二週先です)、本日は、新居の部屋の各所を採寸しに行ってきました。私は、引っ越しは、東京に出てきてから、12回目、生涯通算では、18回目です。
保育園はごく近くにあり、まずまず便利そうな場所なので、今度はしばらく(8年くらい?)居られるといいなと思っています。
>作業員さま
一人の仕事の内容が複雑化して、熟練が必要になった場合、これは正社員で終身雇用が向いています。但し、その作業の結果生まれる製品の価値が継続すれば、ということです。これは、キャノンがそんな感じですね。但し、カメラやプリンターに対するニーズが無くなって、その時に、経営者が次の製品を上手に準備できなかった場合は、キャノンといえども終身雇用に拘泥してはいられません。
キャノンの場合、製品政策が上手く行ったから、成功したのであって、終身雇用&正社員だから成功したのではないと思います。
ラインに求められるスキルの程度や、習得の複雑さ、需要の変動スピードなどによって、どのような「雇い方」がいいかが変わってきます。加えて、経営する方の視点では、法律や慣習といった与件とどう折り合いを付けるかも、もちろん大事です。
だましたり、ルールから外れた使い方をしたりしてはいけませんが、雇う・雇わないは、基本的に雇う側の自由ですし、そこで働くか否かは雇われる側の自由です。両者は、対等なのだ、という前提が出発点であるべきでしょう。
ソニーの盛田さんの言うことにも一理ありますが、労働する側が、個々に余人を持って代え難い余程の力を持っているときにのみ労働分配率を上げるのがいい、ということなのだろうと思います。労働者がそうあって欲しいという彼の願いだったのか、単にボケて「自分がいい人のように思いこんでしまった」のか(老経営者にはよくあることです)、今となっては分かりませんが。
結局、現在、スキルがあっても、なくても、一つの会社に依存するという形では、生活のセキュリティー管理として不十分なのでしょう。自分で商売をするなり、会社を移れるようにするなり、何らかの選択肢を持つことが必要です。これを会社に頼っても、無理、とうものです。
ただ、これまでかなり長い期間、日本の企業は、社員の一生の面倒を見ることができるのだという空手形を振りまいて人を使って来たので、この点は、道義的に少し悪いなと思いますね。但し、この空手形を無理矢理復活させようとしても上手く行かないでしょう。
●
藤原新也氏は、写真も文章も好きです。彼の議論の全てに賛成するわけではありませんが、議論の姿勢、言葉の使い方など、私は気に入っています。「全東洋街道」は本当にいいですね。
昔の彼の写真は、たぶん色がたくさんある場面に向けて、コダクロームを1段から1段半ぐらい露出アンダーにして、スローシャッターを気にせずに、撮るのかな、と思っていますが、いざ真似をしてみても、暗くなってコントラストは上がるのですが、なかなか藤原新也調にはなりませんねぇ。いずれまた試してみたいとは思うのですが、最近はフィルムを使うのが億劫ですね。それでも、引っ越し先の近くに、ポジフィルムの現像を頼める場所があったら、やってみます。
「思ったことは口にする」というのは割合大切なことだと考えていますが、なかなか全部とは行きませんね。そうそう、それに、私の場合「サラリーマン」は、まだ現在形ですぜ。
チベットの僧の写真ですか。手許にある文庫版の「全東洋街道」にはそれらしい写真がありませんが、「全東洋写真」という本に、確かに、クビから上を切った僧の写真があります。顔があると別の現実感を伴うのでこれを避けたということでしょうかね。最初からこう撮ったのか、後からトリミングしたのかが、もっと気になります。最初からこう撮って、顔を撮っていないのなら、本当に凄い!
私なら「宗教に依存している脳みそは美しくないから、切ってしまいましたよ」とでも言うところですが(私は「偉そうなアメリカ」も嫌いですし、ナショナリズムも嫌いですが、宗教がまた大嫌いです)、藤原さんは、もちろん、そんな乱暴なことは仰らないでしょうね(笑)。
<<宗教がまた大嫌いです
まったく同意見です。
ところでニューロエコノミクスの研究結果によると熱心に宗教を信じている人は幸福だそうですね。私はそれを見て「そんな幸福なら不幸の方がまし」と思いました。
山崎さんなら先刻ご承知でしょうが、その他面白いと思ったのは。
・結婚している人は幸福、未婚・離死別は不幸。
・子供の有無は幸福度にあまり関係しない。
・喫煙する人は不幸。
話の流れに関係ない投稿ですみません。
とか冗談ではなく、なんかコメントに感動してしまいました。今確認しましたが、山崎さんの世代の人は、バブル期に大学院を出て少したつぐらいですかね。あの頃を思い出すと、日経のテキストとか高市早苗の出た大学の先生とかが日本的経営を賛美して、日本不沈空母でうかれ気分なご時世でした。会社は企業員のもの、とかわけのわからんことが言われていたように思います。当時から作業員だったので、経営学者に対しては殺意を抱いたことを覚えています。そんなわけで私は山崎さんよりだいぶ若いです。
経営の体質が変わったので社会保障等の仕組みも変わらざるを得ないと思います。消費税をあげて、まったりするというのも、世界的にみればアリの主張ですわな。二十代にホリエモンのような古典的守銭奴ではなく今秋田明大がでてくることを楽しみにしてるんですがなあ。
藤原は小説家より文章がうまいですね。句読点の打ち方を教えるテキストにも昔載っていたもんです。そんなわけでコメントどうもありがとうございます。またよろしく。
山崎さんの宗教観にはまったく同感です。
ところでニューロエコノミクスの研究結果によると「熱心に宗教活動をしているひとは幸福。」だそうですね。それを読んで「そんな幸福なら不幸でかまわない」と思いました。
山崎さんは先刻ご承知でしょうが、その他面白いと思ったのは。
・結婚している人は幸福。未婚・離死別は不幸。
・子供の有無はあまり幸福度に関係しない。
・喫煙する人は不幸。
・飲酒は幸福度に影響しない(ただし深酒はダメ
流れに関係ない投稿ですみません。
宗教には、ある種の依存症的側面があると思いますが、たぶん、それ自体が「悪い」とは言い切れないのだと思います。たとえば、愛情のような感情にも、ある種の快楽や依存が伴いますが、だからといって、愛情が悪い訳ではありません。
また、個人は、心の中に、「自分の宗教」を持っていてもいいでしょう。たとえば、私が何かに信念を持つとき、それを判断する枠組みや好みは、その時点での、私の宗教だと言うべきものなのかも知れません。
しかし、「宗教活動」は、自分が証明できるわけではない、ある種の世界観を他人に押しつけるので、少なくとも知的に誠実でないと、私は、思います。
また、人間の行為として、何らかの教義を、疑いを持たずに信じ込むことや、それを他人に伝染させようとすることは、「美しくない」行為だと思うので、私は「嫌い」です。宗教に熱心な人の脳内は、「酔いつぶれない酔っぱらい」みたいなものでしょうから、ご指摘の通り、熱心に宗教活動をしている人自身は「幸せ」なのでしょうが、まわりには多くの場合迷惑ですね(たまには迷惑でない酔っぱらいも居ますが・・)。
現世の宗教も、経済的側面をみると、単なる集金装置、或いは無給での雇用にすぎず、あんなものを、非課税にする必要は更々ない、と私は思います。
宗教・宗派によって、程度の違いはあるでしょうが、どの宗教についても、基本的に私は上記のように考えています。○○○○今日がダメとか、×××学会がダメとか、特定の宗教を前提にした議論ではありません。
しかし、一方で、ビジネスとして評価すると、これからジジ・ババが増えて、低成長化する日本にあって、(ついでに言えば「格差」拡大による低収入層の固定化も)、宗教は非常に有望なサービス業だとも思います。低コストで高利潤率であり、これは、ホリエモンが言っていた有望なビジネスの条件を満たします。
もっとも、私個人は、そんな格好の悪いことをしてまで稼ぎたいとは、思いませんが。
依存について言えば、安倍さん的右派というのは、宗教に依存している人が、それだけでは満足できずに国家にも依存したい、という風に私には見えるので、なるべくかかわらないようにしています。
山崎さんとの、景況判断も金利も予測が難しい、という話の折、尾上さんでしたか料亭の女将に証券マンが詣でていたことを思い出しました。証券マンは経験的に占いの方が信用に足ると考えていたのでしょうか。
で、話はかわりますが、霊能力者の江原さんが、「男性は信じてくれないが、女性はだいたい信じてくれる」と話されていました。この発言を聞いたとき、おいおいそれじゃ摂理が女の子を勧誘するのに通じるんじゃないの、と思ったりしました。が、話は料亭の女将にもどって、やっぱり男も女も関係ないですね。しかし、山崎さん、あっぱれ。
ナショナリズムが猛威をふるうときには、「国家への依存症」という概念を思い出す必要がありますね。
濫用は考え物なのでしょうが、投資の世界でも「依存症」は非常に重要な概念です。
先を考えると密かに恐ろしいのは、依存症の本を読むと、依存症は回復はするが、これと「程良く付き合うことができるようにはならない」と書いてあったことです。つまり、アルコール依存症の患者は、アルコールから離れて健康に暮らせるようになるけれども、アルコールと程良く付き合えるようにはならない、ということなのです。脳がいったん覚えた癖、というのは、恐ろしいものなのですね。
上の文章の「アルコール」に「ギャンブル」を代入すると、なるほどと思われますよね。
では、「国家」とか「宗教」とかを代入してみて下さい。結構、恐ろしくないですか・・・?!
山崎さんの、労使対等、の言葉遣いですが、他に使いようがないのは分かるのですが、左翼的に言うと、対等は、労働者の経営参加権を思い起こさせる(いまどきおらんか、そんな奴)ので、なんかいい言葉はないもんかと思います。麻生炭鉱はどうかしらんが、イギリスの炭鉱でガリンペイロな労働していた人をあんまりこき使うと、社会的に損だ、という判断で労働時間に制限を加えたりなんかしながら、今日の法制度ができてるわけですね、言うまでもなく。経営者が勝手に法から離れやがると、すぐに奴隷状態は出現しますからなあ。キャピタルフライトは可能でも、すぐに次の職場に逃げること、ままならんわけで。
私なんかも性格上、労組なんか使うのはまどろっこしいわけですが、権利を行使するのはちっとも悪いことではないですから、若い人はちゃんと法律を学んでいいように利用しなさい、と言っときます。
リクルートなんかの求人雑誌も、会社に有利なマナーばかり紹介していて、不快ですね。たとえば、辞めるときは数ヶ月前に上司に相談して仕事の引継ぎをしましょう、とか。
そんなことは、法律には書いてないですからなあ。偽装請負のラインで殺されそうになったら、とっとと逃げればよろしい。
今日は核な話が気になりますので、これにて失礼します。写真で最近気に入ったのは、図書館で見つけた「庭の旅 白井隆著 TOTO出版」ですね。写真は小林庸浩、サライなんかで撮っておられた方だそうです。口の悪い私も文句ないです。(藤原のチベットの僧の写真、光が首を切っているのもありますよね。それから、後姿も多い。顔というのはやはり、余計な情報を伝えてしまうんでしょうね。思想まで伝わるかは知りませんぞ)
確かに「労使」といった時に、何らかの過去の経緯を思い起こさせる余計なニュアンスがありますね。用語を考えてみましょう。
転職雑誌は、個々の転職者ではなく、企業からお金を貰っているので、企業よりの記事が出やすいのは仕方がない。
もっとも、転職の数ヶ月前から上司に相談するような大馬鹿では話になりませんね。さすがに、読者の方も少し変だと思うでしょうね。
●
北朝鮮の核実験は、安倍政権にとっては、またとないプレゼントですね。基本的に、日本にとって良いことではありませんが、安倍氏にとっては最高のタイミングと思えます。
◎ Advice頂き感謝致します。
13週移動平均は、そうれがどう言うものか体(指先だけですが)を動かしての実感を持ちたい & 久しく触っていなかったexcelもこの際感触をとりもどしておこう、と言うもので『必勝ゼミ』は補習としての履修であり本科は『ホンネの投資教室』ですから、受講ノートからキチット「株価=BPS+Σ剰余利益の割引現在価値」等の修正も頭に叩き込んでおりますので、大丈夫です。(『投資でバカを見ない』を常に心掛けます)。
とは言え『自分で説明が出来ねば買ってはダメ』の教えを守るのは大層難儀しそうです。
投資教室はご著書や雑誌ご寄稿・諸HP等々一通り読ませて頂きましたが、いやあ~正直言うと全てを自分の言葉では説明し切れない場合も今だに多く、何時まで経っても実世界に踏み出せずでは拙いので、我がBS・PL・CFの許容範囲内でそろそろ、ナンピン買いも視野片隅に置き船出する積もりです(自己責任の世界には棲んで久しく心構えはNo Problem)。
◎ 東京に来られてから12回目の引越しですか。
ご家族も馴染まれ落ち着けるとご安心ですね、良い場所であるようお祈り致します。
保育園(幼稚園と間違えました)もお近くに見つけられ良かったですね。
子供の成長とともに教育上の制約(制約すてるのは自分の考えですが)から家族での引越しも自分の思い通りには行かなくなるケースでは単身赴任も已む無しも3回程経験しましたが、あれはもう厭ですね。
秋晴れにも拘わらず勉強に勤しんだ3日間、お蔭様で結構充実させられました。
僕が、この人を知ったきっかけは、京都・東山の高台寺に行った時、そのお寺に販売されていた高台時写真集の撮影者に、水野さんの名前があったからです。
水野さんは、ご自分のHPをお持ちでないようですが、以下のURLからも、作例をご覧頂けます。
http://www.rinnou.net/exhibition/ex_05.html
お時間の空いた時にでも、ご覧ください。
どうも、今現在の働く若者の理想像みたいなものを押しつけているようで、気色悪いんですなあ。自己否定なんだか自己啓発なんだか、涙ながらに自身のふがいなさを嘆き、仕事で得られた達成感に歓喜する。アホにしか見えません。仕事って、もっと渋いもののように私なんか思うのです。テンションを押しつけるのは、カルトっぽくて嫌ですね。鬱病患者を増やすだけです。苦い根にささやかな甘い実、労働ってすばらしい、と一応言っておきます。
朝日の田岡元帥によると、東京にミサイル撃ち込まれたら百万人死ぬそうです。海外に逃げる時期もそろそろ考えた方がいいのでしょうか。(談合の話は身近ですので、機会があったら書きます)
何となく、使う側に都合のいい「仕事の喜び」を刷り込でいるようで、転職誌風の仕事礼賛は今一つ共感できない面もありますね。もっとも、企業がスポンサーなのだから仕方がありません。
ただ、仕事が面白くなければ人生を楽しむのは大変、という事情は、どんな仕事でも変わらないような気がします。本人が楽しめているなら、他人迷惑でないハイテンションくらいは許してやりましょうよ。
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百万人殺すメリットが北朝鮮にあるとは思えませんが、まあ、可能性の問題としてそういうこともあり得ると考えておくと、正しい緊張感(=主に、国際情勢に関心を持つという意味です)を保って生活するのに良いかも知れませんね。但し、それで、生活を変える必要はないと思います。
「日本の核武装というのは全くの絵空事であって、おそらく核アレルギーの払拭をもくろむものだろう」、と私は言っていたのですが、あちらが持ってしまうと、こちらも持つぞ、という世論の盛り上がりが予想されますね。
核アレルギーの払拭というのは、原発プルサーマル放射性廃棄物の地中埋設などという国策に対して有利に働く、と私はみていました。のですが、死の灰の問題がクローズアップされると、活断層の上の原発はだいじょうぶかよ、とかに話が流れる可能性もあって、実に紙一重だと思います。
ま、以上は私の妄想ですが、現実に創価学会と電力会社がなかよくスポンサーになっている番組などが散見されるようになると、新しい支配の形が完成しつつあるのかな、と思ったりします。たわごとすいません。
私は日本の核武装に反対です。
しかし、たとえば、北朝鮮がアメリカまで核攻撃できる能力を持つと(中国がアメリカを攻撃してくれるのでも同じだが、やりそうにない)、アメリカは、北朝鮮の反撃を恐れて、北朝鮮を攻撃できない、といった事態は考えられるので、アメリカの核の傘がいつまでも有効とは限りません。日本が、軍事力で100%の防衛を果たそうとする場合、核保有という議論は、あっておかしくありません。
日本の原子力に対する反応も微妙な問題ですね。実は、私は、原子燃料の再処理のための積立金の運用に関する運用委員会の委員をやっているので、この問題に対する国の方針が変わると、多少の影響があるかも知れません。
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北朝鮮問題は、別に、エントリーを立てるほうが良さそうですね。しばらく、お待ち下さい。
一言。私は、河野太郎ちゃんが総理大臣でいっこうかまいません。
①『自然が織りなす色彩の奇跡 紅葉絶景 総集編・撮影ガイド』 責任編集:中橋富士夫、発行所/㈱モーターマガジン社
②『遊々バイク紀行 日本絶景の旅』 文・廣瀬達也、写真・小峰秀世、 発行所/㈱八重洲出版
①は9月5日の発行です。②は8月13日の発行なので書店にはもう並んでないかも知れません。
余りに素晴らしい景色がたくさん沢山でしたので、どうしても皆様にもお知らせしたくなりました、「今年の推薦図書」欄にしようか迷いましたが。
あっと言う間にまた1年が過ぎようとしていますね。
(晋三君が放り捨てた日本ですが、その昔からの美しい自然がいっぱい残っていますね。)