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まだ辞任しない福井総裁について

14日、おおかたの観測通り、日銀がゼロ金利政策を解除した。何日も前から、新聞が彼ら的に「裏を取って」、「ゼロ金利解除」を報じることが出来るような、政策委員たちの情報管理感覚には少なからぬ疑問を覚えるが、まあ、今回は大目に見よう(本当は、大目に見てはいけない感じだが)。

大目に見る、と済ますわけには行かないのは、福井俊彦日銀総裁の進退問題だ。

私は、別段、彼に恨みはないのだが、「彼は辞任すべきだ」という意見を持っている。だいたい、金融マンとして、「利益相反」に関する常識があれば、彼がまだ現在のポジションに留まっていることは、日銀が組織としてだらしがないということだとほぼ100%思うだろうし、金融関係者に彼をまだかばう人が居ること自体が非常に不思議なのだが、日銀と自分との各種の個人的な利害を考えると、福井氏に対して厳しい意見を言いにくい人が多いのも、一つの現実なのだろう。

私は、14日に某テレビ番組で受けたインタビュー取材でも、先ほど書いたJMM(来週月曜日に配信予定)の原稿でも、福井氏は辞任すべきだという意見を繰り返した。しかし、同じ意見を何度か言いながら、考えたことが二つある。

一つは、それが「正しい」と思っていても、他人を批判する意見を言い続けているうちに、何となく、自分のことを「他人にばかり厳しい、嫌な奴だ」と思い始めることだ。別に、私ごときがテレビや雑誌で福井氏を批判したからといって、それが決定的な影響力を持つとは思わないが、それでも、他人の足を引っ張るようなことを言っている自分のあり方それ自体は、嬉しいものではない。

ただ、正しいと思う意見を、相手や場所に関わりなく主張することは、職業が評論家でなくても重要だ。「繰り返して、飽きた」とか「自分が嫌われ者にはなりたくない」という気分で、正論を引っ込めるのは、人間のクズのすることだろう。

もう一つ思ったのは、福井氏の側では、どうしたら良かったのか、ということだ。

ことの良し悪しから言うと、彼は辞任するしかない、と今では思うのだが、たとえば、問題が起きたときに、彼が、最初から事情をすべて正確に報告し、心から陳謝し、頭でも丸めて、辞表でも出せば、果たして、(私も含めて)多くの人々は彼を責め続ける根気を持ち得ただろうか。厳密には良いことではないが、許してしまったのではないか、という気がする。今回の彼の場合には、事実が小出しに出てきたことが何とも印象を悪くした。

一般に、仕事では(たとえば原稿書きの仕事では)、高い完成度が期待できない場合は、早くアウトプットを提出する必要があるし、時間が経った場合は、完成度の高いアウトプットを出す必要がある。同様に、「謝る」場合には、少し大げさに、何らかの「サプライズ」を伴うように謝る必要があるのだが、今回の福井氏の行動は、この原則に反していた。

謝らないなら、今回でいえば、オリックスの宮内氏(村上ファンドの行動に対して責任がないとは言えないと、私は、思う)のように、だんまりを決め込むことが得策なのであろう。ちょろちょろと下手な言い訳をするというのは、福井氏が、ある意味では善人であり、能力的には小物だからだろう。その点、宮内氏は、年期の入った本格的な悪党なのだろうと感じる。

この点に関しては、村上世彰氏も説明過剰気味の「小物」であったが、例の会見にはサプライズがあったので、一時的には、好意的な印象を持つ人がいたように思う。もっとも、本人の行いがあまりに悪すぎて、この印象は長続きしなかったが・・。

それにしても、日銀は、新内規では抵触してしまうような違反を働いた人物を総裁として戴き続けるつもりなのだろうか。これは、「現行法では泥棒だけれども、昨年までの法律では窃盗として有罪ではない」というようなことを行った人物を法務大臣に任命し続けるようなものだ。

敢えていうが、彼のような恥さらしを総裁に置いたままで、民間銀行の検査など出来るものなのだろうか。

好意的に推測するなら、やはり、福井氏は辞任されるのだろう。ゼロ金利解除とセットでは辞任を発表したくなかったのかも知れないが、それなら、彼は、解除の決定前に辞任しておくべきだったし、その方が、政策決定をそれ自体として純粋に見て貰うことが出来ただろう。この程度のことをアドバイスできる側近がいないようでは、また、ごく初歩的な自浄作用をすら持ち得ないようでは、日銀という組織の将来は暗い。

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