山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

ソロ「個」の力

2010-07-31 23:35:18 | モノローグ【エトセトラ】
■稽古場とういう現場

この3日、7月29日~31日までは劇団員の「ソロパフォーマンス」の稽古に明け暮れていました。
本来、劇団は集団力の劇表現を追求する場ではありますが、じっくり「個」発散を見つめたい!と変態的な欲求に襲われたからです。この変態とは「脱皮」だ。・・・人間は脱皮することはないが、役者という生き物は脱皮する。

劇団夢桟敷には若きエースが揃っている。気付けば看板を背負った役者(俳優・女優)たちになっているのです。
劇団の主宰、劇作家、演出家などは、ほっといても目立つ。つまり、劇団の「顔」になってしまう。座長や卓さん、私を含むキャリア組のこと。
しかし、本来、俳優が劇を直接的に観客席と対面し、人の記憶の中で永遠に生き続ける存在である。

私からすると、この当たり前のことが「文化・芸術」という名の下に疎かになっているような気がしてならないのです。
集団力の前提に「個」が有り、この「個」とは「俳優」である。
メディアに露出していくタレントたちは、「個」=「商品」ではあるが、小劇場はその下積みでもなければステップでもない!独自に完結する舞台という分野が自立しているのです。
ここにこそ商品価値とは違った独自性があると「小劇場」の可能性を探り続けてきました。
根本的に「商品」を取っ払ったら「人間」しかないのである。私は「人間」が面白く、そこから抜けきれないので「演劇」にのめり込んだ。
端的に位置づくところが「アングラ劇」や「小劇場」でもあった。やればやるほど、「自己表現」から遠い彼方へと旅立てるのである。世界の果てまで。

稽古場では劇団員=俳優たちが集まり、限られた時間の中で「劇を作る」共同作業が繰り返されてきた。
個々の日常生活は様々であるが、「私の事情」は問題にならない時間と場所。集団は単純に「滅私」を余儀なくされる。これが稽古場で渦巻く不条理であり、矛盾が劇の形となって面白いものになる。一見、民主主義は通用しない。

それがある程度染みついた若きエースたちに「ソロパフォーマンス」という「個」をテーマにした稽古に取り掛かっているから大変。そして新鮮。

7月から「イメージトレーニング」の方法を巡ってワークショップを開始しましたが、9月には「ソロパフォーマンス」を構成した「発表会」をすることに!
尚、次回のワークショップは8月29日(日)pm6:00-9:00熊本市武蔵ヶ丘教会にて。
興味ある方は参加(体験・見学自由/参加費無料)して下さい。
ワークショップ担当:坂本咲希(問)096-343-0334夢桟敷

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