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大阪事務所から「少女椿」DVDが送られて来た。早速、劇団員たちに見せようと思う。
次回公演に向けて台本を2本「影踏み」「眠り男復活」に取り組んでいる。台本がない時点での稽古はイメージの出し合いが要求される。
只今、新人さんを対象に基本トレーニングを中心に行っている。役者としての身体作りのため。だが、ダラダラと肉体的なトレーニングばかりやっていても意味がない。ここにはイメージのトレーニングも取り入れる。そのきっかけとなるべき共通のテーマが必要になる。そこで何通りかあるイメージの参考になるものの一つが「少女椿」となる。
いつものことだが、稽古前には最低1時間程度、こちらでイメージを組み立てておく。これは長い間の習慣になっている。
苦い経験がある。少女らしくやろうと思うばかりに気持ちの悪い学芸会のような演技になってしまうことだ。子どもの仕草に定番があると思っては大きな間違いを犯す。問題は仕草や言葉遣いに「少女らしさ」は現れて来ない。
稽古場では定番にはめていく作業などない。ひたすら、舞台に立つ俳優とのキャッチボールをするのである。ここからしか生まれてこないからだ。
イメージの少女・・・残酷であり美しいもの。そして悲しみを抱いている。劇で要求されるものは「明るく元気」ばかりでなく、その奥に潜んでいる「不幸」を垣間見せることで見る側が感動を覚えてしまう。
笑う少女が流す涙は?・・・人形のように美しい涙に見える。
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人形は止まったままだが、角度や光の強弱で笑ったり泣いたりする。
俳優にトリツカレルトキ!・・・それは人形のような固まった(あるいは死んだ)こころを発見する時。その時、再び、俳優は俳優として生まれ変わる。
少女も何度も繰り返して老いていくのだろう。
さぁ、今から稽古だ。人格が多重になる。稽古場には活字というものがない。
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