山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

「朝」を「あした」と読みながら

2018-02-26 10:26:19 | ブラジル企画2018(準備2)
モーニングコーヒーを飲みながら、スッキリした気持ちで難問に取り組む。…ポジティブな朝だ。
息切れしないように!…笑顔やジョークも方便。
そうやって生きてきた。…劇だ、芝居だ。

日本のブラジル移民が始まったのは1908年。今から110年も前のことになる。
夢を抱いて渡ってみると…。
天国から地獄に落とされた人々の苦悩は計り知れない。地獄から這い上がる人の強さとは?
歴史は美談ではまとまらないと同じように、ドラマも天国と地獄が混在する。
ここに感動が生まれ、他人事ではないこと、歴史を振り返ることは「今を生きる」こととして未来に繋がることだと肝に命じたい。

先日のブラジル移民歴史学習会から、今日は10月渡航に向けての計画、劇作りの基礎的な稽古を行う日である。
これが日常になり、現実として一歩ずつ近づいていることを実感する。
準備にとりかかった2年前から今に至るまでのことを
振り返っている。甘さや苦みも味わいながら、ブラジルへ!
気づけば、離れて行った者、新たに加わった者、人材面は流動した。老若男女、世代の幅が大きく広がった。

第1回目のブラジル公演は2008年のブラジル移民百周年事業の流れの中で熊本公演、それから棚からぼた餅的に翌年2009年2月にブラジル公演となった。熊本式「いきなり団子」である。
とはいえ、どれだけ多くの方々からご支援を頂いたことか。
それから10年。
大きく変わったのはブラジル移民の父 上塚周平生誕の地、熊本市南区城南町を拠点化したことだろう。
更に、崇城大学芸術学部の学生から先生までの参加や協力者が広がった。
「いきなり団子」は偶然ではなく必然だったと思えるようになった。

ブラジル移民の劇を作らないか!と尻を叩いた榊定信先生が亡くなられて十三回忌にあたる。その縁で日本フェアトレード委員会の全面的バックアップで実現した実績も踏まえて、今回も熊本県や熊本市、更に文化庁や日伯協会、熊本演劇人協議会、団体・企業・個人様からのご支援ご協力を頂くための活動はつづく。

台本は3月末には仕上げると坂本真里は奮闘している。
制作もキャスト・スタッフも4月より具体化する。最終段階となって固まる時期になる。
只今、準備期間中ではあるがプランニングで陥りがちな「タマゴが先か、ニワトリが先か」の他人事のような空論は払拭される。

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