山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

空中を歩く男

2009-03-11 23:23:50 | モノローグ【エトセトラ】
 大橋宏「空中を歩く男」(1984年2月上演/劇団ブラックホール最終公演)は東京の西武新宿線沼袋駅にあるJAZZ喫茶で私と夢現(座長)の二人芝居としておこなわれた。
 大橋さんは早稲田「新」劇場の主宰者で早稲田大学大隈講堂前でテント芝居をしていた。何度か見たことがあり、彼からガリ版刷りの台本をもらった。「新」劇場としては上演されなかったのではないだろうか。
 
 場面はプラットホーム。向こう側のプラットホームへふらふらと歩く男の妄想の劇だった。目撃者との対話劇だった。電車に飛び込み自殺を匂わせる想定。都会で生活する男の孤独な世界である。・・・その昔(1974?)、熊大劇研の「空を飛べないスーパーマン」の劇と重ね合わせて読む。二つの台本に共通することは即興が問われていることだった。

 悩みある台詞には悩みのない肉体が必要である。ことばと体が悩んでしまうと劇としては一面的で「読んだ方が伝わる。」のである。
 いつの頃からか、「わかりやすい」劇に失望することが多くなってしまった。つまり一面的な<暗さ>と<悩み>を伝える私小説的な劇や日常劇=さりげない日常会話にドラマを求める、このような劇作りを拒否するようになった。

 「空中を歩く男」の狂気を拡大した。空を飛べないスーパーマンが笑いながら落ちて行って血だらけになって瀕死の状態で笑い続ける。稽古では「笑う」即興を体に求めた。痛くて笑えないのが現実だが、劇的とは日常にある感情の裏返しに感動を生むことがある。

 明日から稽古が再開される。3月末までは基本トレーニングになる。
 稽古見学は自由。但し、美男美女・怪優と妖怪は勧誘するので覚悟をお願いします。
 稽古スケジュール(問)096-343-0334

 劇では「空中を歩ける」のである。このようなセンスを問い続ける。まずは肉体が入り口である。

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