山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

卒業あるいは祝☆中退

2011-03-18 23:00:09 | モノローグ【エトセトラ】
劇団員:過眞嶋憲法(かましま のりのり。通称、マシマン)



3月18日はマシマン(「ねじ式」マサジ)の送別会。
熊本大学大学院の卒業、就職で熊本を離れることになり、劇団夢桟敷を退団する。
熊本大学演劇部、劇団笠戸丸を経て09年3月入団。入団以前から関わっていたから5年間付き合ったことになる。劇団員の中では稽古後の酒を飲む回数が一番多かった。
軽薄、口数の多さは私とそっくり。それはいいじゃん。俳優と舞台の設計を兼ねていた。



昼から南阿蘇温泉に行き、夜は稽古場でささやかなパーティーをする。
彼の父も佐賀から新幹線で来られた。父息子、やっぱり似ていた。

劇団は学校ではないので卒業というものがない。つまり、終わりがないのである。
辞める時は次へのステップだと考えている。
進学・卒業・就職が他の地へ移住することになり劇団での活動は困難になる。
又、結婚、出産なども生活の変化による問題が生じる。
つまり、演劇を旅に例えると途中下車ということ。
学校ではないので、中退には祝がつく。残って続けていく者はこの限りではないが・・・。





劇団夢桟敷では「薔薇色之病室・三部作」「かぐや」「ねじ式 復活」の5公演に出演したことになる。入団当時から即戦力であった。
旗揚げから32年、劇団員は150名以上が通り抜けて行ったが、確実に看板を背負ってくれた数少ない青年だった。貴重な才能を失うことになる。

最後の仕事として3月23日に「ねじ式」Vシネマ版のカットを撮影する。