ホタルのシーズンを迎えあそこで1000匹ここで2000匹。
我が堂々川はどうどうと落ち着いており、まだ150匹。
一寸だけよと隣の箱田川へ浮気のホタル見物。
えへへ!フォトも上手く撮れだした。

今日はいっきに天明の飢饉、備後一揆を学んでみる。
時は天明3年3月岩木山の火山爆発
7月浅間山の大爆発。死者2万人を数えたという。
又アイスランドのラキ火山も爆発しており日本近世史最大の飢饉が発生するのである。
ちなみに江戸三大飢饉は享保、天明、天保が有名である。
天明の飢饉は火山の爆発で日照不足、冷害、多雨という自然の影響と
老中 田沼意次の経済政策・賄賂好き風潮で農民はいじめられ都市へ逃げたので、働き手を失い作付けする田圃が少なくなったのでる。
つまり人災と天災が同時に起こったことも要因である。
備後の話に入ると
備後は阿部藩。阿部のお殿様は徳川家康大権現の時代からの譜代、しかも老中を何代も勤めている。
天明の頃も備後藩主阿部正倫は老中になる為に3000両と言う大金を福山10万石の国許から何回も江戸へ届けさせている。
このお金が賄賂になるのだが国許の百姓は飲まず食わず、その上藩からは不作でお米が出来なくてもきっちり銀で支払いをさせられている。
当然不満が募り一揆が起こるのであるが福山藩の一揆は全国で2000件も起こった中で唯一農民が勝利した一揆なのである。
ここからこの一揆の主役 徳田村の庄屋、徳永徳右衛門と菅茶山先生を紹介する。
徳右衛門のお墓を見ていただく。
このお寺は参道をJR福塩線が横切っている。



この徳右衛門が教えを乞い、学んだのが菅茶山先生。
朱子学では萩の吉田松陰が有名であるが、穏健派で政りごとを好まぬ茶山先生は隠れた存在で知る人は少ないが人によると松蔭より素晴らしい先生だと言う。
国の史跡に指定されている廉塾を紹介する。

ここでいろいろなことを学んだのであろう。
一揆の話に戻るが
老中に就任した阿部正倫に一揆の代表である徳右衛門は無血で30項目の要求を飲ませたのである。
残念なことであるが徳右衛門はその後武士2名により寶泉寺の先で暗殺されたのであるが一揆再発を恐れてか病死扱いで処理された。
尚、この話が全国的に広まっていないのは時の老中の権限喪失を恐れて福山藩がひた隠しに隠したからである。
このことは「天明の篝火」藤井登美子著 で詳しく紹介されている。
廉塾を紹介したが続きを見て欲しい。

クスノキに長く住み着いたノキシノブがくすくす笑いながら「お主も好きよのうー。この川でホタルを飛ばそうと考えるのは歴史的にも面白い。わしは長年木の上から見ているが川の水が問題じゃからこころしてかかられよ」と教えてくれた。


ありがとう。早く雨が降ればノキシノブさんも綺麗になるのに梅雨いりはもう少し先じゃそうな。へへへ。・・・」と返事した。
我が堂々川はどうどうと落ち着いており、まだ150匹。
一寸だけよと隣の箱田川へ浮気のホタル見物。
えへへ!フォトも上手く撮れだした。

今日はいっきに天明の飢饉、備後一揆を学んでみる。
時は天明3年3月岩木山の火山爆発
7月浅間山の大爆発。死者2万人を数えたという。
又アイスランドのラキ火山も爆発しており日本近世史最大の飢饉が発生するのである。
ちなみに江戸三大飢饉は享保、天明、天保が有名である。
天明の飢饉は火山の爆発で日照不足、冷害、多雨という自然の影響と
老中 田沼意次の経済政策・賄賂好き風潮で農民はいじめられ都市へ逃げたので、働き手を失い作付けする田圃が少なくなったのでる。
つまり人災と天災が同時に起こったことも要因である。
備後の話に入ると
備後は阿部藩。阿部のお殿様は徳川家康大権現の時代からの譜代、しかも老中を何代も勤めている。
天明の頃も備後藩主阿部正倫は老中になる為に3000両と言う大金を福山10万石の国許から何回も江戸へ届けさせている。
このお金が賄賂になるのだが国許の百姓は飲まず食わず、その上藩からは不作でお米が出来なくてもきっちり銀で支払いをさせられている。
当然不満が募り一揆が起こるのであるが福山藩の一揆は全国で2000件も起こった中で唯一農民が勝利した一揆なのである。
ここからこの一揆の主役 徳田村の庄屋、徳永徳右衛門と菅茶山先生を紹介する。
徳右衛門のお墓を見ていただく。
このお寺は参道をJR福塩線が横切っている。



この徳右衛門が教えを乞い、学んだのが菅茶山先生。
朱子学では萩の吉田松陰が有名であるが、穏健派で政りごとを好まぬ茶山先生は隠れた存在で知る人は少ないが人によると松蔭より素晴らしい先生だと言う。
国の史跡に指定されている廉塾を紹介する。

ここでいろいろなことを学んだのであろう。
一揆の話に戻るが
老中に就任した阿部正倫に一揆の代表である徳右衛門は無血で30項目の要求を飲ませたのである。
残念なことであるが徳右衛門はその後武士2名により寶泉寺の先で暗殺されたのであるが一揆再発を恐れてか病死扱いで処理された。
尚、この話が全国的に広まっていないのは時の老中の権限喪失を恐れて福山藩がひた隠しに隠したからである。
このことは「天明の篝火」藤井登美子著 で詳しく紹介されている。
廉塾を紹介したが続きを見て欲しい。

クスノキに長く住み着いたノキシノブがくすくす笑いながら「お主も好きよのうー。この川でホタルを飛ばそうと考えるのは歴史的にも面白い。わしは長年木の上から見ているが川の水が問題じゃからこころしてかかられよ」と教えてくれた。


ありがとう。早く雨が降ればノキシノブさんも綺麗になるのに梅雨いりはもう少し先じゃそうな。へへへ。・・・」と返事した。
ただただ尊敬するばかりです。
思えば、私はどのくらい地元の歴史について語れるのかと・・・ 冷汗 (@o@)
蛍の光の曲線は、芸術的ですね~
どんなにか目の当たりにしたら見事だろうと、つくづく見入ってしまいます。
さて昨夜我がホタルを見に行きましたが ゼロでした。去年は6月11日に発見しております。まだ早いか?
飢饉と言うほどではありませんが、阪神大震災の
おり、一時的に水や食料がなくなりました。
うちの畑の方の家は井戸があり、プロパンガス、
畑に冬野菜がありと全く困ることがありませんでし
た。日本も食糧だけは自給できないと・・・
と思いましたね。
幻想的な蛍の写真にうっとり・・
でも堂々川ではなかったのですね~。
何れ堂々川も・・・。
農民一揆。
兵庫でも松山でもあったようで説明を受けました。
自然の力にはどうにもならない物がありますね~。
その時どうすれば良いのでしょう。
温暖化で中国内でも異常気象が頻発していると
昨夜TVのニュースを流していました。
その内の人類は恐竜のように絶滅するかも・・ですね。
極論になりましたね~とクスノキが笑っています。
ホタル 150匹に増えたのですね、
光もあちらこちらと輝き美しいです。
近くで見たいですね。
備後一揆 昔の知らない歴史を興味深く読ませて
戴きお勉強になりました。
有難う御座いました。
今の日本は平和ですね。
食料危機も無く飢えて死ぬ事なんて考えられない。
それに比べ昔の人は飢饉によって一揆を起こした。
いかに食料が大事か、現代の若者いや我々も食べるものを粗末に出来ない。
良い歴史の勉強になりました。
天明の飢饉(1782~1788)の1787年7月にご先祖の夫婦が、半月の差で亡くなっていました。
他人事ではありません。わがご先祖様が餓死によるのか、病疫によるのか、一揆によるのか、普通の最後とは思われない接近した最後に深く感じるところがありました。
世界中で火山噴火などの異常気象が重なったためとありますが、今日でもそのような異常気象に襲われれば、大変な事態になると思われます。
日本では餓死者が出なくても、世界的に見れば、沢山の餓死者が出るでしょう。
今日でも多くの飢餓に直面している国も有るのですから。
皆様のご先祖様にもきっと関係のある方も居られるのではと思います。
blogを開くたびに、堂々川のホタルの数が増え、また明日行くとそれ以上に顔をそろえているというニュースに接すると、
管理者はもとより、こうして訪ねるblogerも『あぁ~よかったな~』という一言に尽きます。
★ノキシノブ木々の上から眺めれば
威風堂々ほたるのひかり (縄)
最初の出だしはどうなる事かと・・・・・おそらく気をもんだことでしょう。
今・・・・やってよかったなぁ~、と、いう大きな大きな手ごたえを感じていることでしょう。
ここまでたどり着くには幾多の困難、失敗、苦言などさまざまな事があったでしょう。
ホタルの増殖成功。
おめでとう。
おしえは、ほかにも天明の飢餓、福山藩の一揆を勉強しました。
その中に天明の飢餓、
『浅間山の大噴火』なる語彙を発見。
浅間山といえば我が関東のこと。
噴火でせき止められた川が一気に押し流されて、犠牲になった人たちの死体が、江戸川を押し流されて、柴又帝釈天付近の川岸に流れ着いたという。その数多数。付近の住民が手あつく葬ったと本にあります。
たまたま近くの寺に詣でたときの写真を収めていた。我が、blogにも載せてあったので掲載させていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/5251c4716db0600dea0d2e76154607f5
参考まで
富士山が噴火すると、平成の大飢饉がやってくるということですね。
一揆の矛先はどこに向けたらいいのでしょう?
気象庁か