比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
拙ブログの記事のリンク、写真の転用はご自由に。

夏の南信州・・・築150年の本棟造りの古民家で・・・ひと休み

2016-09-27 | 信濃の国は

2016年7月6日、南信州・・・伊那谷の最南端の天龍村から、むかしの上久堅村(今は飯田市)の山の中でブルーベリー農園を営む旧友に逢う。友だちの案内で山を下りて下久堅小林のカフェに。カフェといっても敷地300坪以上か、建坪70坪以上の堂々たる古民家です。玄関前で記念写真をパチリ。
カフェ「九如亭」・・・築150年だそうです。明治維新の前後でしょうか。堂々たる本棟造りです。

本棟造りという松本から塩尻、伊那谷にかけて見られる古い建築様式の家です。
間口8間、奥行き8間の正方形(奥行きが9間とか10間とかの家魔あるようです)。切妻屋根の妻側を玄関として(妻入り)、高い屋根が緩傾斜で1階の軒まで、正面の2階に見えるのは屋根裏になります。正面の右側か左側に大戸、潜り戸、玄関を入ると厩、作業場、通し土間が背戸に通じているというの一般的構造。玄関のほかに式台という武家クラスの人が出入りする上り口がある家もあります。


正面(ファサード)です・・・破風の寄せられた屋根の頂上部には雀脅し懸魚(げぎょ)という飾りがついているのが本棟造りですが・・・
雀脅しはリノベーションの時に鬼瓦になったようです。

最近仁なってリノベーション(修復ではなく、改築)したようです。

玄関横の番猫です。

赤石山地の水を使ったコ―ヒーを飲み、友だちとよもやま話・・・伊那の旅を終えて帰路につきます。

Cafeの名前は・・・「九如亭」。

※九如亭のホームページクリック
※九如亭の写真紹介クリック

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

2016夏の南信州・・・赤石山地の山の中・・・ブルーベリー農園を訪ねる

2016-09-26 | 信濃の国は

2016年夏・・・南信州・・・飯田市・・・飯田市といっても赤石山地の山の中・・・
国道256号線(秋葉街道)を辿り河岸段丘を上がった標高700m弱の飯田市上久堅、原平・・・
ふるい友だちが営むブルーベリー農園を訪ねました。

軽トラの横がわたしのふるい友だち、田舎のオヤジさん風ですが・・・もとは日本を代表する証券会社の証券マン。
東京都あきる野市で悠々自適かと思いきや、シーズンになると故郷のブルーベリー農場で百姓に変身。

見事なハイブッシュ系ブルーべリー畑です・・・栽培を始めてから40年余。
収穫は6月から8月・・・一粒一粒熟してゆく度合いが違うので手摘みです。



ブルーベリー食べる宝石・・・です

ブルーベリー・・・ツツジ科、日本への導入は1962年アメリカのジョ―ジア州から、1968年東京都小平市、1971年長野県で栽培開始。この農園のブルーベリーは40年余というから導入の初期。浅根性(根が浅く広く広がる)、好酸性植物、ph調整した普通の肥料はダメ、おもに製材会社の樹皮チップを大量に施す、剪定が決め手・・・季節の作業に合わせて東京から信州へ。信州へ行く季節になると奥様曰く「目が輝いてくる」そうだ。

クーラーボックスを用意、自摘み、一粒一粒ですからかなり時間がかかります。5kgをお買い上げ。ジャガイモ5㎏ぐらいいただく。
※尋ねたのは2016年7月6日。


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

夏の南信州・・・天龍村で「信州の伝統野菜」・・・ていざ茄子定食を食した

2016-09-25 | 美味しいブログ

2016年7月6日、夏の南信州・・・愛知県、静岡県に境を接する長野県の最南端天龍村です。村の真ん中を流路213㎞の天竜川が流れるⅤ字谷の美しい村です。
天龍村のブッポウソウに逢いに来ました。そして飯田市の在郷の上久堅、竜江、阿南町仁住む古い友だちに・・・逢いに来ました。
その前に・・・ハラがヘッタ・・・ランチタイムです。

JR飯田線「平岡駅」です・・・1936年「満島駅」として開業、1952年「平岡駅」に改称、1日の乗客73人。
「平岡駅」の駅舎を兼ねる「ふれあいスティーション龍泉閣(天龍村などが出資する第3セクター経営)」。
1Fが「レストラン龍泉」、2Fは駅ホームに通じるフロント、天龍村特産品、弁当、パンなどの売店「ヤマユリ」。3Fは宿泊設備、4Fは「龍泉の湯」。


飯田線平岡駅舎の「ふれあいステーション龍泉閣1F レストラン龍泉」で昼食。
ていざ茄子定食・・・巨大茄子を素揚げして肉味噌をかけたもの。
茄子の果肉がトロトロ・・・肉みそも絶品・・・スプーンで掬ってご飯にかけて食う・・・美味

季節限定メニュー・・・イタダキマシタ

ていざ茄子…明治年間に神原村(現天龍村)の田井沢さんという方が東京から輸入種を取り寄せて栽培した巨大茄子。「田井沢」が訛って「ていざ」になったそうだ? 長い間、地産地消だったのが「信州の伝統野菜」に選定され、商標登録、全国区の流通野菜として宣伝中・・・だとか。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

夏の南信州・・・天竜川の畔の美しい天龍村・・・ブッポウソウに逢いにやって来ました

2016-09-24 | 生き物大好き

2016年7月、夏の南信州・・・伊那の谷はわたしの故郷です。
愛知県、静岡県に境を接する長野県の最南端・・・村の真ん中を流路213㎞の天竜川が流れるⅤ字谷の美しい天龍村にやって来ました。
天龍村役場から坂道を下ると対岸の松島に渡る平岡橋・・・

そして天龍村のブッポウソウに逢いにやって来ました。




※撮影日は2016年7月6日。

※ブッポウソウ・・・ブッポウソウ目ブッポウソウ科ブッポウソウ種、30㎝くらい、日本には夏鳥としてやってきて繁殖、冬に東南アジア方面へ。日本には800羽が、そのうち広島県三次市作木に400羽が飛来するといわれます。
※天龍村のブッポウソウの情報は天龍村ホームページサイト
※天龍村のブッポウソウはいまから20年前、小学生の自然観察から取り組みが始まり、巣箱掛けなどがはじまったようです。
※伊那の谷の亜高山地帯では「ブッポウソウ」と鳴き声を聞きます。伊那の谷から続く愛知県の鳳来寺はブッポウソウの鳴き声が聞かれる山の寺としてむかしから有名です。平安のむかしからブッポウソウはフクロウの一種の名前として呼ばれていました(本名はコノハズク)。ブッポウソウと鳴く鳥が実はコノハズク、本物のブッポウソウはグェッグェッと鳴く写真のような鳥であると一般に知られるようになったのは昭和の初めになってからだそうです。ややこしいですね。いまでもわたしの伊那の友だちはブッポウソウというと「あの鳳来寺の」といいます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パソコンと無線ルーターとの接続がおかしくなった

2016-09-23 | PC・,カメラ・家電製品


パソコンのインターネットがときどき立ち上がらないことがあります。
無線ラン発信器との接続不良です。こうした場合、無線ランの機器の電源を落としてふたたび電源を入れる・・・これで解決していましたが、ある日、ついにそれもダメになりました。こうなるとクーラーのないルーターのある暑い部屋でルーターに有線で接続するより仕方がありません。

光通信の回路の引いてある部屋です。
左から無線ラン発信器光回線終端装置ルーター(回線分配器)。プリンター

各機器の接続状況・・・光回線ケーブル→終端装置ルーター無線ラン発信器→無線で3台のPSと1台のプリンターへ、ルーターから→有線で固定電話へ。
 
さて、わたしのPSと無線ランの接続不良の修復、試行錯誤の繰り返しでしたが、こんな方法です。プログラムで無線ラン発信器Buffaloのプログラムを探し出しエアーステーション→クライアントマネージャーで接続手続きをします。そのまえに無線ラン発信器の台座の裏にある必要なコードを調べておきます。あとはプログラムの指示に従いコードを入力する。成功しました。 
 
どうでもいい話だが・・・こういうことはすぐ忘れてしまうのでメモ代わりにその方法を残しておいた。
※無線ラン発信器購入の際の取扱説明書を捨ててしまったのが悪戦苦闘した原因です

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

夏の南信州・・・天龍村の・・・天竜川の畔で・・・ニャンコに逢った

2016-09-22 | 生き物大好き

2016年7月、夏の南信州・・・愛知県、静岡県に境を接する長野県の最南端天龍村です。
村の真ん中を流路延長213㎞の天竜川が流れているⅤ字谷の村です。

天龍村役場の前の坂道を下ってゆくと対岸の松島集落に渡る平岡橋に。

天竜川の畔・・・天龍中学校のそばでニャンコに出遭いました。悠々と歩いています。
※撮影日は7月6日。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

夏の南信州・・・天龍村の・・・天竜川の上を・・・ブッポウソウが飛ぶ

2016-09-21 | 生き物大好き

2016年7月、夏の南信州・・・愛知県、静岡県に境を接する長野県の最南端天龍村です。
村の真ん中を流路213㎞の天竜川が流れるⅤ字谷の美しい村です。
伊那の谷はわたしの故郷です。飯田市の在郷の上久堅、竜江、阿南町仁住む古い友だちに・・・
そして天龍村のブッポウソウに逢いに来ました。

天龍村鶯巣から対岸の福島に渡る天竜川橋・・・
アーチ橋の鉄骨に固定した巣箱、天龍村の小学生たちが作ったものです。



※撮影日は2016年7月6日。天龍村の俯瞰写真は2010年8月15日撮影のものです。

※天竜川の上に張られている高圧線のケーブルに留まって空中を飛ぶトンボなどを捕えて巣箱の雛に運ぶ、そして定点のケーブルに戻る、その繰り返しです。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

秋の庭に・・・スティックブロッコリーと九条葱を植えた

2016-09-21 | 趣味の園芸

連続して襲来する台風と居座った秋雨前線と複雑に交錯して、よくワカラナイが雨の連続です。
ヒキの村びとはヒキコモリ状態でヒキの里から外にでられません。
それでも花壇を整理して冬に食べられる野菜を少々植えました。

スティックブロッコリー九条葱です。

※ホームセンターで九条ネギと書いた葱苗を売っていたので買ってきました。本物の京都の青ネギかどうか知りません。包み紙に栽培の仕方が書いてあり、収穫は浅葱と同じように根元から上で切り取れば、ふたたび生えてくるようで何回かは収穫が見込めるようです。

台風が温帯低気圧とかに変わって日本列島を縦断しているようです。各地に大雨をもたらしています。
昨晩のテレビでは避難勧告があちこちの町村で出ていました。どうだったでしょうか。
稲、リンゴの収穫はこれからです。心配です。
コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

秋めいて・・・秋雨に・秋海棠・・・濡れそぼり

2016-09-20 | 趣味の園芸

連続して襲来する台風と居座った秋雨前線と複雑に交錯して、よくワカラナイが雨の連続です。
ヒキノ村びとはヒキコモリ状態でヒキノ里から外にでられません。
家の中から庭に咲く花を見ています。

秋の庭・・・秋雨 潸々・・・秋海棠・・・
秋雨に・・・愁いをこめた・・・愁海棠

シュウカイドウの両サイドの葉っぱはバジルです。右下に紫蘇の葉っぱが見えます。美味しい庭作りです。

シュウカイドウ・・・江戸時代に中国から持ち込まれた帰化植物、ベゴニアの仲間。種子、ムカゴで繁殖、球根で越冬する宿根草。丈夫でいつのまにか消えるということはありません。次の年はあちこちで発芽するので間引いてやります。球根で分けてやるのも容易です。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

秋の八方尾根・・・八方大池に映る逆さ白馬三山・・・真っ赤なナナカマド

2016-09-19 | 山が好き

秋の八方尾根です。ナナカマドの赤・・・白馬三山の白。
写真は昨年の10月4日に訪れた八方尾根の秋です。

上田六文銭」さんの画像提供です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。

ナナカマドの実が真っ赤に染まる八方尾根から白馬三山…左から・・・白馬鑓ヶ岳、杓子岳。白馬岳・・・
冠雪したように見える山肌は石灰岩の岩礫の露頭したものです。

尾根道を登ると突然ポッカリと・・・天空を突き刺す・・・不帰ノ嶮・・・尾根の下に八方大池が・・・

標高2070m・・・雲上の白馬大池・・・逆さ白馬三山

天狗沢に残る万年雪・・・ナナカマドの赤。

この秋・・・ナナカマドで赤く染まる八方尾根を尋ねて見ませんか。
※撮影日は2015年10月4日、はPanasonic LUMIX DMC-FZ100。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

彩の国の桜堤・・・台風襲来の秋・・・ツツドリたちはもう旅だったでしょうか

2016-09-18 | 生き物大好き

2016夏のおわりから・・・もう秋・・・台風が連続攻撃、続いて秋雨前線です・・・
桜堤防、あのころは桜の葉っぱも残っていましたが、いまはもうすっかり落ちているでしょうね。
ツツドリたちは・・・もう旅立ったでしょうか。





撮影日は9月2日。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

大阪・夏の尋・・・南海電鉄・・・国登録有形文化財・・・浜寺公園駅

2016-09-18 | 鉄道・駅の風景
☆「鉄道・駅の風景」だけ見たいかたは・・・クリック

彩風人・・・2016年8月、大阪の旅の写真紀行です。
8月27日、大阪市浪速区恵美須東の阪堺電気軌道㈱の恵美須町停留所から路面電車の乗り鉄
阪堺線の終点「浜寺駅前」停留所から130mの南海電鉄「浜寺公園駅」を尋ねました。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)

1907年建造、木造平屋建て、私鉄駅舎としては日本最古の現役・・・だったといわれていた。「近畿の駅百選」に。
設計は明治の近代建築の先駆者といわれ東京駅設計の辰野金吾。1989年国登録の有形文化財に。

2016年、109年間に及んだ「浜寺公園駅」木造駅舎は高架化工事開始により引退。現在は仮駅舎で営業中。

今後は何らかの形で保存されることになるようです。
※撮影日は2016年8月27日。カメラはCanon PowerShot G7X。

※大阪唯一の路面電車・・・阪堺電気鉄道の撮り鉄シリーズはこれで終わりです。
フォトチャンネル「日本の鉄道 西日本シリーズ」に追補しました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大阪・夏の尋・・・阪堺電気軌道・・・終着駅・・・駅なのに「駅前」という・・・「浜寺駅前」停留所

2016-09-17 | 鉄道・駅の風景

彩風人・・・2016年8月、大阪の旅の写真紀行です。
8月27日、大阪市浪速区恵美須東の阪堺電気軌道㈱の恵美須町停留所から路面電車の乗り鉄
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)

阪堺電気軌道の終着駅「浜寺駅前」・・・です。なのに「駅前」というヘンな名前の駅(停留所)です。
浜寺駅前」終点ホーム、右側の道路は国道204号、旧紀州街道、その向こうの松林は大阪府営の浜寺公園

1912年開業の「浜寺駅前」の駅舎。
ワンマンカーなので改札はないが定期券、回数券を売っているのだとか。清涼飲料水の自動販売機が見えます。
駅前の浜寺公園通りの東130mに南海電鉄南海本線「浜寺公園駅」が。
※撮影日は2016年8月27日。カメラはCanon PowerShot G7X。

※大阪府営「浜寺公園」・・・18世紀のはじめ、近在の村が領主に願出て共同して防潮林を育成したという。そのご領主の新田開発策で松林は減少、明治のはじめに明治政府の重鎮大久保利通がこれを見て嘆き、大阪県令に整備を命じて850本の松を植えて1873年(明治6年)日本初の公営公園に、そのご着々と整備されたが先の戦争のあと、高度経済の成長の動きで、前の海は堺泉北臨海工業地帯の埋め立て地となり、阪神高速道路、浜寺水路がその間を。海に面した自然を満喫する公園とは言えなくなっている・・・のだろうな。73㌶(大阪城公園の3/4)、5500本の松。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

秋の栂池・・・高層湿原はもう草紅葉・・・ナナカマドの赤

2016-09-16 | 山が好き

秋の栂池です。白馬山塊白馬大池(約2400m)の直下の中腹、標高約1900m仁広がるの高層湿原です。
撮影したのは昨年の9月22日、湿原はもう草紅葉、山肌はナナカマドの赤。

上田六文銭」さんの画像提供です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。
湿原の中の木道を歩く。湿原の中に池塘

ナナカマドの赤。

湿原の最南端、標高約2000m、白馬岳大雪渓が目の前に。
※撮影日は2015年9月22日、はPanasonic LUMIX DMC-FZ100。

2002年8月に訪れたときのイラストです。


この秋、ナナカマドで赤く染まる栂池を尋ねて見ませんか。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

東京の市ヶ谷の某会館で・・・ふるさとの学校の在首都圏同年会・・・県歌「信濃の国」を歌った

2016-09-15 | 信濃の国は

2016年9月13日午後1時、東京は市ヶ谷駅のそば、某会館でふるさと信州の某高等学校と某女子高等学校(今は男女共学)の合同同年会納涼会が開かれました。
納涼会?・・・例会は年にいちど4月に開かれますがなんだかんだ名目をつけて顔合わせをしたいのは年のせいです。

信州がふるさとですから県歌「信濃の国」、校歌、文部省歌「故郷」などを斉唱。

フォークダンスの先生がいて、巧みにリードしてくれて、ついつい・・・みんな乗せられて・・・

楽しいひと時でした

余録》県歌「信濃の国」について。
長野県には県で制定された「信濃の国」という県歌があります。国歌「君が代」と違い、公式の場でこれを歌い、唱和しない人は免職になるということはないようですが、長野県民はとにかくこの歌をよく歌います。例えば東京のど真ん中で長野県出身の県人会、町人会、村人会、同窓会、同級会などを開いたときとかに宴たけなわでこれを唱和します。時にはその流れの2次会の居酒屋ではた迷惑も省みずまた唱和して顰蹙をかいます。他県ではない現象のようです。そこで6番まであるこの歌を1番だけ紹介します。

           信濃の国は十州に 境つらなる国にして・・・・・・・・・・・・・・長野県は上野、武蔵、甲斐、駿河、遠江、三河、美濃、飛騨、越中、越後の国と接する大きな県だ    
           聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し・・・・・・・・・・・・聳える山とても高く流れる川はとても長い    
           松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地・・・・・・・・・・松本平、伊那谷、佐久平、善光寺平、これら四つの沖積平野は地味豊かな肥沃な地である  
           海こそなけれどもの沢に 万ず足らわぬことぞ無き・・・・海に接していない内陸であるが産物は沢山あり、すべてのものが供給できる

明治の中期、全国各県で地勢、歴史、人物史などを織り込んだ県歌作りが流行し長野県でもその流れで1899年長野県師範学校の浅井冽という教師が作詞、同じ長野県師範学校の先生が作曲、なぜかこのときはまったく歌われず、青森県師範学校から赴任してきた北村季晴という音楽教師が女生徒に請われてすでに曲があるのを知らずに作曲、秋の運動会の遊戯に用い好評を呼び1902年同校の校歌に、師範学校の卒業生たちが赴任先で広め全県で愛唱されるようになっていったそうです。つまり学校行事で歌わされるものですから小学1年生から刷り込まれていったわけです。1968年白馬村で行われたスキー国体の閉会式のおりに地元の中学生たちが合唱、それに合わせて一般観衆、参加選手たちも「大合唱」、大勢の人に感銘を与え、それが契機になって長野県歌に制定されたといいます。
ちなみに数十年前のテレビ番組「題名のない音楽会」で当時の司会者黛敏郎が全国唯一の県民誰でも歌うことができる不思議な県歌として「信濃の国」を取り上げたことがあるそうです。今はどうかわかりませんが地元の民間テレビ局「信越放送」では放送開始のオープニングミュージックに使っていました。
明治の中期に作詞されたものでありわかりづらいので現代文を脇に記しました。1行目2行目はその通りですが3行目4行目は「チョッとね」と感じます。4つの平といっても山岳森林80%、耕地は20%に満たないのです。沖積平野は花崗岩の真砂土、火山灰のシラス、とても肥沃の地とはいいにくい。「万ず足らざるものは無し]といっても、子どものころ海の魚なんて食べたことはなかったのだ。「負け惜しみ」のような内容ですが、それでも歯を食しばって頑張る・・・というのが信州人のアイデンティティーかも知れない。
この歌の良さはメロディーに負うところが多い。途中でメロディーが変調します。それがまたイイ。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加