堂々川の日本最大の石ずみ砂留
この脇にある石碑の歌の読み方をまだ調べている。
良い意味では研究熱心
悪く言えばしつこい
どちらでもよいがまだ真面目に調べています。
そして多くの方にご意見をいただいております。ありがとうございました。

堂々川の最大の砂留
碑にある歌の「彌砂」は何か調べていると
「西中条村詩」の中にヒントがあり中条公民館を訪ねた。
主事さんよると彌谷には大きな砂留があり、ここは現在整備中との話を聞いて早速出かけた。
堂々川以外の地であり地理に不案内なため地図を調べた。

神辺町西中条深水地区
先ほどの村詩の著者「金尾直樹」の邸宅

今は別の人の邸宅
江戸・明治・大正の大富豪の面影が残っている。
「潼々谷餘滴」の裁判記録にも出てくる人だ。
さて、この家のすぐ北側に
深水古砂留がある


今この地区の町内会あげて整備に取組まれておられるようだ
堂々川の砂留とは少し作りが違う。
作られた年代は江戸時代の半ば?この地に砂留を作り始めた最初のころと思う。
深水川沿いで中条小学校へ向かう道の脇だから散策するには最高だ。
さて問題の彌谷だがここからもう一つ上にある砂留「深水砂留」の上手を東にとる。

深水砂留
彌谷に入り、平成元年コンクリートで作った砂留の上を超えて
彌谷川を右手に山の曽根を左に見て約7分上流へ歩いての登る。
戦国時代の山城「菖蒲山城跡(別名真瀬城)」が頂上付近にあったと言う。


彌谷砂留
この砂留の規模は堂々川で比較すると3、4番目ぐらいの規模
つまりヒガンバナで有名にしょうとしている5番砂留程度と理解してほしい。
まだ整備が始まったばかりだが草木、笹が生い茂り大変な作業である。
堂々川ではこのあたりになると西隣の砂留だからお手伝いをしょうかとも思うが
こちらも忙しい(人が滅ぶ文字)から要請がないと行きずらい。
このブログを見る人がいたらこの冬3月までにあらかたの整備を進めることを薦める。
これだけ谷が深いと何が出てくるかわからない。
(だからここあたりを深水と言うのかも)
この彌谷が堂々川の歌の中に出ているのは間違いないと確信した。
しかも出典の作者の家の上流。
この家の田地は此処あたりではNO1の地主。
自分の土地を守るための砂留であることも垣間見ることが出来た。
彌谷砂留のすぐ下にも小さな砂留を見つけた。

名前はわからない
多分この砂留も江戸時代に造られたものだろう。
家に帰る途中
高屋川(明冶時代は神辺川と呼んでいたようだ)の堤防に
数十羽の鴨が陸で食事をしていたが我がカメラを見て
一斉に水に向かって飛びこむ。
残されたヌートリア


飛び込もうかそのまま陸に残ろうか迷っている。
農作物を荒らす害獣のくせに案外弱虫なんだなー!
かくして、約2時間の謎を解く旅は終わりになった。
近々読み方の結論が出そうである。
この脇にある石碑の歌の読み方をまだ調べている。
良い意味では研究熱心
悪く言えばしつこい
どちらでもよいがまだ真面目に調べています。
そして多くの方にご意見をいただいております。ありがとうございました。

堂々川の最大の砂留
碑にある歌の「彌砂」は何か調べていると
「西中条村詩」の中にヒントがあり中条公民館を訪ねた。
主事さんよると彌谷には大きな砂留があり、ここは現在整備中との話を聞いて早速出かけた。
堂々川以外の地であり地理に不案内なため地図を調べた。

神辺町西中条深水地区
先ほどの村詩の著者「金尾直樹」の邸宅

今は別の人の邸宅
江戸・明治・大正の大富豪の面影が残っている。
「潼々谷餘滴」の裁判記録にも出てくる人だ。
さて、この家のすぐ北側に
深水古砂留がある


今この地区の町内会あげて整備に取組まれておられるようだ
堂々川の砂留とは少し作りが違う。
作られた年代は江戸時代の半ば?この地に砂留を作り始めた最初のころと思う。
深水川沿いで中条小学校へ向かう道の脇だから散策するには最高だ。
さて問題の彌谷だがここからもう一つ上にある砂留「深水砂留」の上手を東にとる。

深水砂留
彌谷に入り、平成元年コンクリートで作った砂留の上を超えて
彌谷川を右手に山の曽根を左に見て約7分上流へ歩いての登る。
戦国時代の山城「菖蒲山城跡(別名真瀬城)」が頂上付近にあったと言う。


彌谷砂留
この砂留の規模は堂々川で比較すると3、4番目ぐらいの規模
つまりヒガンバナで有名にしょうとしている5番砂留程度と理解してほしい。
まだ整備が始まったばかりだが草木、笹が生い茂り大変な作業である。
堂々川ではこのあたりになると西隣の砂留だからお手伝いをしょうかとも思うが
こちらも忙しい(人が滅ぶ文字)から要請がないと行きずらい。
このブログを見る人がいたらこの冬3月までにあらかたの整備を進めることを薦める。
これだけ谷が深いと何が出てくるかわからない。
(だからここあたりを深水と言うのかも)
この彌谷が堂々川の歌の中に出ているのは間違いないと確信した。
しかも出典の作者の家の上流。
この家の田地は此処あたりではNO1の地主。
自分の土地を守るための砂留であることも垣間見ることが出来た。
彌谷砂留のすぐ下にも小さな砂留を見つけた。

名前はわからない
多分この砂留も江戸時代に造られたものだろう。
家に帰る途中
高屋川(明冶時代は神辺川と呼んでいたようだ)の堤防に
数十羽の鴨が陸で食事をしていたが我がカメラを見て
一斉に水に向かって飛びこむ。
残されたヌートリア


飛び込もうかそのまま陸に残ろうか迷っている。
農作物を荒らす害獣のくせに案外弱虫なんだなー!
かくして、約2時間の謎を解く旅は終わりになった。
近々読み方の結論が出そうである。
石は何処から持ってきたのでしょう
近くに石切り場などがあったのかな
まだ四国にはヌートリアはいませんが、
すぐ香川県の上辺りの島まで、勢力を拡大してきているそうです^^;
香川上陸は時間の問題
すでに上陸しているかも!
堂々川の歌碑は探検家である、
自然を尋ねる人さまにより解き明かされていくのは、
そろそろですね。
砂留の多さに水に縁のある地であることが分かります。
管理の行き届いていない砂留では、
どうぞ足元にはくれぐれもお気をつけくださいね。
数十羽のカモが一斉に羽ばたくとは、凄い迫力です!
あぁ~これがヌートリアですね!
気持ちが悪くなるほど大きいのですぅ。。。
今日もありがとうございました~♪
良い意味では研究熱心
☆ 石文を 読み解きあかし 作者宅
近辺の川、砂留めを鳥瞰的に見せてもらいました。
近辺に砂留めあり、川、名所旧跡ありのようです。これらをリンクして観光名所に仕立て上げる。もちろん観光協会がなさることでしょうが、強力にバックアップ・・・・・・・・・。
☆ 一つより 二つ合さり 三倍に
堂々川とは別の場所にも最古の砂留めが
あったのですね。
歌碑から始まった謎解き探求・・
自然さんの探求心はのパワーには驚かされるばかりです。
きっと神が降りた方なのでしょうね。
この砂留めもいつの日か日の目を浴びて このあたり一帯が指定されるといいですね。
それこそが日本1に輝くのではないでしょうか。
お体にお気をつけて行政も動かして道筋を立てられるといいですね。
頑張ってください。
応援します。
ところで愛媛だったのですね。
まよこが間違っていました。
お詫びし訂正させていただきました。
まよこからの間違いでご迷惑をお掛けせてしまったコメントは全て削除させていただきました。
ごめんなさい。
砂留の石を見ると、お城の石垣のようです。
歴史を辿れば昔砂留の上にお城が建っていたかも知れませんね。
そんな感じがしてます、それだけ立派に出来上がってます。
砂留は現在も利用しているのですか、それとも歴史として保存しているだけでしょうか。
気になる隣の砂留です。
どんどん埋もれていくのですね。
それにしてもたくさんの石。
造るためには大変な人力が必要であったことでしょうね。
真理を追究されるための冬道堂々歩き。
暖かいストーブの前でぼうっとしている我が身に反省。
益々熱が入りますね。
沢山の砂留があるのには驚きです!
歌碑にある歌の作者の家が自分の土地を守るための砂留を作った可能性もあるとは・・・。
相当の財力、労働力を要したと思われますから、たいそうな家だったのですね。
自然さんの研究熱心なお陰で謎が解明される日も近そうですね~^^;*/
今日はとても暖かくて良いお天気です。
自然さんのところもかしら?
これから春に近づいて、でもまだいろんな動物が活動する前に、自然さんもいろいろ調べておきたいですね?
調べられては次から次と疑問や興味が湧いていらっしゃるのではないでしょうか?
読ませていただいていても興味が湧きます。
行ってみたい所の一つが神辺町です。
国土地理院のネットサービス地図で見ました。深水の谷、堂々川より少し短い谷のようです。
カマキリの卵のうの話、昨日のブログにリンクさせてもらいました。