gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

11月25日

2012-11-25 21:08:41 | 日記
昭和45年の今日、三島由紀夫と楯の会のメンバーが、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に侵入し、結果として割腹自殺する。何年か前、そのときの凄惨な写真が『週刊朝日』に載った。 床の上に置かれた三島の首。 割腹前に脱いだのであろう、軍人用の半長靴。 目隠しされて、椅子に縛りつけられた益田兼利(ました・かねとし)総監の姿などが、今でも頭の隅に焼き付いている。三島事件は、美輪明広さんの言う、栗原中尉(2.26事件のリーダー)の霊が三島にのりうつったのか。 あれから42年が経つ。 競馬は、第32回ジャパンカップだが、とにかくこのレースは相性が悪く、これといった好い思い出がないから31連敗中か。 とにかく、天皇賞馬エイシンフラッシュから馬連で12点流したが、結果は上位人気馬が1~3着を占めて、エイシンは凡走。やはり、競馬のレースにも、相性というものがあるのだろう。 午後から、次女が顔を見せてくれた。孫(高校1年生)が人気の鮨店でアルバイトをやっていて、それがなかなかに楽しいらしい。ノンビリ型に思えるが、案外にコマヤカなところもあって、店長さんや先輩達のウケもいいらしい。 バイトの価値は、金銭のアリガタミを知ることと、いろいろな人を知ることにある(そこが学校と異なる)わけで、つまりは、小遣い銭を稼ぎながらの人間成長だから、いつか孫は(40歳、50歳になったとき)振りかえってみて、「あのころ、培われたモノ」の大きさを想うはずだ。 選挙が近づいてきて、例によって例のごとく、中傷合戦になっているが、どの党に投票していいか(多すぎて)わからないという街の声ばかり集めるテレビ報道の手法は疑問だ。 何日か前に書いたが、選挙は、当選圏内にいる、自分と同じ(近い)考えをもつ候補者に入れるしかないのではないか。 先週末のニューヨークダウは100ドル以上上げているし、明日から投票日までの間、少し株の上げ(年越しソバ代)が期待できるか。

ヘソクリ

2012-11-25 21:01:40 | 日記
マネーゲーム的(短期売買)の株で少し儲け、その利益分だけを証券会社から銀行に振り込んでもらい、その何割かを競馬預金にまわし、残りを現金で受け取って、孫達への小遣いなどに充てるというのが、私の仕事の1ツだが、続腰痛・続々腰痛の身体だから、証券会社への電話以外のことはすべて家人に頼らざるを得ない。 だから、家人は私のフトコロにある金銭の額を100%知っている。 その反対の家人のフトコロのことを私はほとんど知らない。 そのことは赤塚不二雄流に言えば、コレデイイノダであるだろう。 また私は(株と馬券以外に)ほとんど買い物をしない。1本の酒も、1枚の下着も、すべては(家計簿上で言う)生活費として年金などから支払われているのだと思う。 買うものがないというのは、トシをとると(たとえばネクタイ1本すら選ぶと言うこともないわけで)少し淋しい感じもあり、痛む腰を恨むことも少なくない。  何日前だったか、妻のヘソクリの平均は140万円、夫のソレは半分以下という新聞記事があった。羨ましいと思った。金額ではなく、若さのことだ。たとえば、いま私が家人に秘密の金を1億円持っていたとしても、何がどうなるということもない。 若い愛人を~と考えたところで、腰痛老人にはどうにもならないし、結果としては、やはり娘や孫に使ってもらおうという、ごく健全な答えを出すだろう。  夫(妻)にナイショの金を持つ、愉しさにも年齢制限はあるのだ。

11月23日

2012-11-23 22:25:06 | 日記
昭和38年11月23日の朝10時頃、新丸子のアパートを出て、次の多摩川園で目蒲線に乗り換え、下丸子にある河川敷野球場に向かった。月に1,2度しかない他社との試合は愉しみだった。休日だから電車内は空いていた。そして、大袈裟に言えば、乗客のすべてが新聞を読んでいた。新聞の種類は当然に違うが、誰もが同じ記事を読み、同じ写真に見入っていた。写真は、オーポウンカーに乗ったケネディ大統領とジャクリーン夫人のもので、大統領は、その前日(1日半前)にテキサス州ダラスで凶弾に斃れた。 なんとなく車内がしーんとしていたのを思い出す。 ケネディ暗殺から、今日で49年か。  水曜日(21日)に家人が日帰りバス旅行に行ってきた。この日は、たぶん、今秋№1の行楽日よりではなかったか。 最近は晴れ女と言うらしいが(昔は、照姫)、家人は旅行日の天気に恵まれることが多い。 南足柄のアサヒビール工場見学がツアーに組み込まれていて、その話がおもしろく、ビール工場にもテイスターというのか利き酒係がいて、日本酒と違って喉越しのチェックが要るから、午前と午後、大瓶1本分のビールを呑むそうだ。そのフレッシュビールの缶を家人が持ち帰ったが、私はすっかり、スパークリングものが呑めなくなっている。 明後日に行われる競馬ジャパンカップは、出馬表を見ただけで、これだけの豪華メンバーが揃うのは、後にも先にもないのではないかと思える値打ちモノだ。 よくいう、どこからでも買える混戦だから、買い方は馬連で10点あたりとなろうが、明日からの予想も時間がかかる。また、明日は妹の誕生日だから、11・2・4の馬券を買って、ジャパンカップのハズミにしたい。 今宵の水割りのツマミは、小アジのフライで、これがなかなかの美味。大根の昆布ダシ煮も旨く、冬が来たなぁと思う。

2ケタの数字

2012-11-23 00:19:17 | 日記
娘は、2ケタの掛け算を頭の中で転がすのが好きだと言う。 すなわち、頭の体操であって、たとえば友人の携帯電話の番号が6742だとすると、すぐに67×42の計算が頭の中で回り始めるらしい。 その計算法は独自のものだそうで、私や家人(私より数学は上)に説明しても、とても(理解するのは)ムリだと言う。 松本清張の作品に、数字マニアの女性を描いたものがあったのを思い出す。車のナンバーの多くは4ケタであるが、実際には2ケタ数字が2つある形になっている。  私が通っている病院の駐車場で、よく2525ナンバーをみかけるが、これは当然に、医師か看護婦さんか職員の所有だろう。でも、2525(ニコニコ)はいい番号だ~というように、数字というものは、なんとなく気になるもので、道路で先行する車が1214だったりすると、赤穂浪士の討ち入りだと想ったりする。 競馬の電話投票は、1を01とするので2ケタ数字の世界だ(11レースの馬連の5-7を5枚買うとすれば、1140507005のボタンを押すことになり、肝腎なのが、0507だから、頭の中は2ケタが主役になる。  サラリーマン時代、会社に野球部ができて、ユニフォームの背番号は自由選択だった。 運動具店が注文をとりにくる日、私は肥っていて背中が広いので、2ケタで30以上のナンバーを考えていたが、途中で面倒になって、昼休みにちょうど居合わせていた3人の女子社員に選んでもらったのが、39だった。 背番号39の私は、チームの不動の4番打者になり本塁打王になった。

青山

2012-11-22 07:52:49 | 日記
渋谷駅から宮益坂をのぼりきった右側に、青山学院大学があった(過去形で書くのは、現在のことを全く知らないからである)。都電やバスの車窓から見る校門と、奥に広がる芝生のコントラストは、どこか、都会的であり女性的な印象だった。同校の出身である平岡精二さん作・ペギー葉山さん唄の『学生時代』は、青学の歌であるが、私のカラオケレパートリーのひとつであって、特に終章の「テニスコート、キャンプファイアー、 懐かしい日々は還らず 素晴らしいあの頃~」のくだりが、水割りのウィスキーに合う。サラリーマン時代に仕事の関係で知り合った3歳下のAさん、ITバブル期に担当者だった証券会社のBさんも青学のOBで、なぜか2人とも、気が合った。 あれは何丁目になるのか、左側にハイクラスのマーケットがあって(紀伊国屋かな?)、米軍将校の若妻風の女性が、赤ん坊をのせたベビーカーにつけた篭の中に1メートルほどの筒状のものを立てていて、それをフランスパンと言うのだと、誰かに教わった。  神宮球場へ大学野球を観に行くときは、中央線の千駄ヶ谷駅から歩いたが、慶早戦で勝利したときなどは、なぜか大勢で渋谷まで歩いた。 慶應には、早稲田に勝ったら銀座で騒ぐという習慣があったから、渋谷まで歩いて、さて、地下鉄で銀座へ行くか~という形だった。  我が家の墓地も青山にあるが、私は(腰痛になる前から)ずっとご無沙汰している。仏壇は墓の支所だと思っているサボり精神を、御先祖様が少し反省させてやろうと、腰痛と言う名のお灸を据えているのかもしれぬ。