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大相撲

2020-01-25 18:27:26 | 日記
2人の横綱が早々に休場、大関も貴景勝はかろうじて優勝戦線に残っているが、豪栄道はすでに陥落が決まっている。これが今日(14日目)の状況だ。それでも国技館は連日の満員御礼である。相撲協会はファンのありがたさを深く深く感じているだろう。

炎鵬という小兵力士の存在が大きい。軽業師と言ったら怒られるかもしれないが、そういう感じだ。ここと思えばまたあちら、と飛び跳ねて、相手を翻弄する。家人が応援する遠藤も、その動きについて行けずに敗れた。炎鵬に技能賞が与えられるかどうか。

凄いのが十両優勝の照ノ富士だ。彼は一時期大関まで昇進し、幕内優勝も経験している。そこから不調で地位が下がり、十両、幕下とどんどん落ちた。とっくに引退したのではと思ったファンも少なくないのではないか。それが、来場所はたぶん幕内に戻って来る。もう30歳過ぎなのではないかと私は思っていたが、28歳だそうだ。それにしても復活のための努力は大変なものだっただろう。カムバック賞は相撲界では聞いたことがないけれど。

前述のようなことで大相撲界はいま大きな危機に立っていると思う。次代のホープが出て来ないと困る。いや、ホープではなくエースが欲しい。それは貴景勝か朝乃山か。昔の柏鵬時代、若貴時代というような〇〇時代と呼ばれるような、おもしろい日々が来るといいのだが。

見た目

2020-01-25 18:20:35 | 日記
正月の2日に家人がマンションの階段で転んだ。幸い、かすり傷程度で済んだが、なんとなく元気が出ないということで、A病院の脳神経外科で写真を撮った。「脳の一部分に微出血の痕があるが、心配はない」との診断だったが、一応というか、念のためというか、行きつけのB病院へAでもらった紹介状と写真を持って行った。行きつけといっても、脳外科のドクターとは初対面である。ドクターは、家人が診察に入る前から紹介状と写真を見ていたが、家人が入って行くと、確かめるように顔を凝視してから「ご本人ですか?」と訊いたそうだ。カルテの年齢と家人の顔が一致しなかったのだ。

家人は月に一度か2カ月に一度か髪を黒く染めているから白髪は全く無い。顔にもほとんどシワが無い。大病の経験も無い。コーラスグループで唄ったり、体操クラブに参加しているから老け込まない。

「若い奥さんでいいですねぇ」と、デイケアサロンの麻雀メンバーにも、スタッフ達からも冷やかされる。私は「ありがとうございます」と答える。それ以外に答えようがない。私は、女性の年齢は見た目で決めればいいと思っている。特に60歳を過ぎれば実年齢なんかどうでもいいと思っている。75の女性が60に見えればその女性は60歳なのだ。60歳の女性が75歳に見えれば、その人は75歳なのだ。その方がわかり易い。

昼食

2020-01-22 18:24:41 | 日記
大相撲の幕内の取り組みから5番を選ぶ。選ぶのは相撲に詳しいM君である。どちらが勝つかわからないものを選ぶ。だから、横綱 対 平幕 とか、絶好調の大関 対 平幕なんていうのは取り上げない。その5番をA・Bに分ける。A側に5人、B側に5人と分ける。そして賭ける。どちらか3勝以上した方が勝ちだ。これが高校時代によくやった昼飯の賭けだった。賭けるのは学食で最高値のカツ丼(100円)だった。学校から帰って、家で相撲のラジオを聴くのが楽しみだった。カツ丼1杯でも熱が入った。

東京世田谷三軒茶屋の小さな洋品店でバイトをしていたとき、昼食は店の奥さんが作ってくれた。店員は近所に住むハタチ前後のお姉さんと私の二人だけだった。主人はたいてい外交に出ていた。奥さんは、混ぜご飯のようなものが好きだった。私は中華料理店でのバイトも経験していて、そこのマスターが作る炒飯の味が、生涯を通してのナンバー1であることは前に書いたが、洋品店の奥さんの混ぜ飯も美味だった。要するに具の味付けがうまいのである。煮物の腕が一級なのだった。バイト料は1日500円であって、それに昼飯がつくかどうかは大きかったから、そのことをよく憶えているのかもしれない。

家人と娘がトンカツを食べる。野菜サラダを付け合わせにする。味は中濃ソースだ。私はトンカツを玉ねぎと煮て卵とじにしてもらう。つまり、カツ丼の屋根である。それをつまみながら水割りを呑む。貧血気味だから肉を食べるようにとドクターから言われているが、これだと50グラムぐらいは食べられる。学生時代からの付き合いだ。

先輩

2020-01-22 11:04:15 | 日記
高校2年になるときに、茨城の県立校から都会の私立高に転入学した。いろいろと馴れないこと、珍しいことがあったが、同級生に先輩がいるというのも初めてだった。この先輩というのは留年生である。当時の言葉で言うと、ダブった奴だ。1年生を2回やり、2年生も2回なんていうのがいる。つまり2歳上である。みんなから<さん>づけで呼ばれることになる。病気でダブったのではない。学力不足なのだ。中には九州の炭鉱会社の社長の息子もいた。女中を連れて来ていて、一軒家に住んでいる。もちろん金はある。時々は、新宿の2丁目(赤線宿)から登校したりする。顔もオトナ風だから、学帽を脱いでコートの衿を立てれば、充分にハタチ以上に見えた。級友とは遊ばない。麻雀は打たない。どこか得体の知れぬ感じがあった。3年生にはならなかったようだ。街の不良グループに入ったという噂があった。

84歳の私はたいていの所で最年長である。親戚の中で、私より上はいない。昔のサラリーマン時代の仲間のパーティーには1歳上が1人だけいるが、茨城時代の知己にはもう先輩はいない。いま住んでいるマンションにも年上はいないのではないか。いれば、家人か娘が、「あそこのおじいさんは」という話をすると思うが、それが無い。

デイケアサロンには10歳上のKさんがいる。麻雀仲間である。サロンでの84歳は真ん中あたりではないか。Kさんは私以外の人とは昔話をしない。話が合わないからだと思う。私は若い頃、よく軍隊酒場で呑んで、先輩方と唄ったり、喋ったりしていたので、Kさんの話に合わせることができる。先輩と話すのが好きだ。それが少なく、少なくなっていく。

勝負の難しさ

2020-01-22 10:58:23 | 日記
昨日の大相撲の中日、遠藤 対 炎鵬は炎鵬が完勝した。日経新聞は翻弄という言葉を使っているが、その通りだった。ただ、私のような素人が思うのは、遠藤は相手を掴まえようとする前になぜ押したり突っ張ったりしなかったのか、ということだ。相手が小さいと、突いたり押したりするのは難しいのだろうか。遠藤は立ち合い直後から激しく動き回る相手に、かっとなったのではないか。汚い言い方をすれば、この野郎!である。勝負事では怒って勝つということもあるが、怒りが裏目に出ることもあって、むしろその方が多い。たとえば、野球の投手が打者のカウント2-3からギリギリの球を投げて、それがボールと判定されてかっとなるとき、次打者へのボールは、たいてい打ちやすいものになる。

A,B,Cの3人と麻雀を打つ。仮にそれが会社の同僚であったとしても、どうしても人間的に好き嫌いが生じる。Aは自己中心的なイヤな奴だ。なんとかAを沈めてやろうと考える。Bは気持ちの好い男だ。AとB両方にリーチがかかる。自分は悪手だからアガリ放棄である。Aには安全の牌を打つ。Bに当たるかもしれぬが、それでもいい。だが、こういうときはAが勝つ。そういうことが圧倒的に多い。なぜだかはわからないが、統計的にはそうなっている。麻雀は、この男にだけは勝たせたくないとか、彼が勝つのならいいや、などと考えたらダメだ。私の70年間の統計ではそうなっている。