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便利な言葉

2011-09-29 21:53:10 | 日記
法務大臣の答弁は2ツの言葉を覚えておけばいいと失言して(管内閣の)柳田稔法相が辞任に追い込まれたが、この世には便利な言葉というのがあって、柳田氏のように、ついついそれに頼ってしまうということがある。 「~と思うのは私一人でしょうか」という文を読むとがっかりする。これもたしかに便利な言葉だが、どこか手垢がついている感じがしてしまう。 これと似たのが、「~と感じる、今日この頃です」であり、もっといやなのが「幼いころの思い出が走馬燈のように~」である。私は(テレビでは見たことがあるが)走馬燈を知らないし、多くの人もそうなのではないだろうか。 作文を料理とすれば、走馬燈のように~は、味噌も豆腐もネギも隣家から借りてミソシルをつくるようなものではないかと思う。 「いま、ちょっとドキドキしています」、中学3年のとき初めて書いたラブレターめいたものの書き出しであり、この15文字を考えるのに、何日もかかった。ラブレターの的中率は悪かったが、この15文字は便利な言葉となって、20歳を過ぎてからも時々使った。 今日はメール時代らしいが、あの、なんとも安っぽい絵文字に頼るより、オリジナルというか、自作の便利な言葉を考える方が、後になって(トシをとってから)でもいい思い出になるだろう、と思うのは私一人だけだろうか。

カタカナ

2011-09-28 22:16:07 | 日記
外国語(人名・地名を含む)は、中国以外はすべてカタカナで書くが、日本語であっても、多くの農産物、海産物もカタカナで表すのが(新聞などでも)普通だ。 家人は、鱧、鰤、秋刀魚といったシンドい文字も多いから、ハモ、ブリ、サンマ、トウモロコシ、ニンニクなんてのも漢検の試験に出そうだと言うが、その通りだろう。 サラリーマン時代の戦友に、キミ子さんとミツヨさんがいて、2人とも自分の名を古臭くて嫌がっている。 彼女達は私より10歳以上年下だが、その頃(終戦何年目か)女性のカタカナ名は数的にどうだったのだろう。 私の同級生名簿には、カタカナ女性はほとんどいない。キミ子さん、ミツヨさんに、古臭いどころか、そろそろ流行るかもしれないと話したのは10年ほど前だったかと思う。 浅丘ルリ子さんが決して古臭くないこともあったが、なんといっても(女性ではないが)イチロー君(鈴木一朗)のことが頭にあった。JRAの登録馬名は、カタカナで2文字以上9文字以下と決められている。2文字では、ナゾ、モチがあり、厩舎で(調教師や厩務員に)「おい、モチ、次のレースは頑張れよ」などと顔を撫でられたりしているのを想像するのも楽しい。 10歳のときに命名され、今日でも通用する私の渾名はヤボである。 漢字にすれば野暮であるが、これは絶対にカタカンのヤボであらねばならぬ。語源は、坊やをひっくり返したヤァ坊であるが、ここはカタカナの出番だろう。

2011-09-27 21:52:19 | 日記
30代の中ごろに随筆同人会に入った。初めて合評会とやらへ行ってみると、先輩達が、「随筆とエッセイはどこが違うか」を議論していた。随筆という語にはどこか花鳥風月の雰囲気があり、エッセイには洒落た感じがあったが、私にそんなものが書けるはずはない。私が書いたのは雑文だった。雑文とは文字通り、雑談を文字にしただけのものである。しかし、それは必ずしも不評ではなかった。鯛の刺身より、時にはモツの煮込みの方が旨いと思ってくれた読者もいた。  雑食動物であるヒトに生まれたことを幸運だと思う。 今日では、職は娯楽でさえあるのではないか。だから、その楽が過ぎぬように、神は糖尿病というブレーキを用意したのではないだろうか。 元禄15年12月14日、本所松坂町の吉良邸へ討ち入った赤穂浪士は48人いたのだが、後に切腹する(泉岳寺に祀られている)のは47人である。もう一人の寺坂吉衛門は、浅野家への報告のため、西国へ走って義士名簿に名を残していない。 こういうのを雑学というが、私は正規の学問は苦手(基礎学力が乏しい)であって、だからというわけでもないが、雑学という学問が好きだ。 雑学はクイズ的性質を持っていて、基本は例外探しではないかと思うが、私は、多くのことで例外的なものが好きだ。

訛り

2011-09-26 22:03:11 | 日記
家人が時々、娘に茨城訛りを注意している。 家人は大阪生まれであるが、8歳から15年余、茨城に住んでいたことと、家人の妹夫婦が営んでいる個人医院を長い間手伝っていて、そこのメンバーが、家人姉妹と看護婦さんの一人が、やはり茨城、もう一人が栃木出身と、訛り族が揃っているから、なかなか直らないのだと思う。 言葉(しゃべり方)というものは、赤ちゃんのカタコトも、外国語の習得も、要は人まねである。以前にも自慢したことがあるが、私は、育った土地それぞれの関西弁・茨城弁・東京弁を使い分けることができる。また、娘は、数年前に仕事で訪れた茨城の結城市で、半日間で茨城訛りをマスターしてきた(だから母親の訛りを指摘できるということもある)。娘のモノマネ上手は、私の血を引いたのかもしれぬ。 関西人は東京へ来ても、あまり訛りを直そうとしないが、茨城人は(東京に誓うこともあるからか)大げさな抑揚(イントネーション)を控えめにし、「やるしかないでしょうよ」を「やってみるしかないわね」に替えようと心掛けるのだが、そこのところがなかなか真似られないものだ。お国訛りは数々あれど、茨城弁が田舎臭さの代表であるのはなぜだろう。 冴えない(スマートでない)のはなぜだろう。単に、耳触りのことだけではないとは思うけれど。

9月25日

2011-09-26 02:20:42 | 日記
古賀茂明さんが明日、経産省を去るそうだ。 彼を重用した渡辺喜美さんの「みんなの党」に入って、海江田前経産省の東京1区から立候補すれば(この区には与謝野大臣もいるので)おもしろい選挙戦になるだろう。 2日前に、杉浦直樹さんが亡くなった。思い出すのが『岸辺のアルバム』で、このドラマは、連続モノでは最高作品ではないかと思っている。娘も、再放送を望んでいる。 昼食後に、いつも甘いモノをヒトクチもらうが、今日は、おはぎ。昨日は豆大福のちょっと大きいのを食べて失敗した。トシをとると、とにかく満腹はダメだ。 競馬はオールカマーで、アナはなさそうなので、1.4.6.7を組み合わせた3連複にしたが、1-6-7と入って配当は13.8倍。 ヨーロッパ(特にギリシャ)の、いわゆる信用不安で、先週ニューヨークダウは6.4%も下げた。夏休みまではダメかと思っていた株が、夏も終わり秋の間もシンドさが見え、ま、待つしかないか。  千秋楽の琴奨菊は、大関昇進が決まったのにカタかった。立ち合いの拙さというのか、競馬で言えば出遅れだった。みんなが期待した(稀勢の里も含む)巴戦にはならないことが相撲無知の私にもわかった。 この一番は白鵬が勝つというのは明らかで、妙な言い方だが、相撲に無知であるからこそ、それがわかる。晩酌の友は、鮎家の黄金巻で芯はニシン。 血圧は安定しているので、多少の塩モノはOKなのがありがたい。