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喪中葉書

2011-11-29 22:30:14 | 日記
今年もまた、「喪中につき新年の御挨拶を御遠慮~」という葉書が数枚舞い込んで来たが、あれほど不思議なものはない。中には、「「夏に亡くなった義姉の喪中」なんてのがある。服喪規定というか、ひとつの形式のようなものがあって、それは明治時代の太政官布告であり、たしかに、親の死ならば1年といった記述があるが、義姉はせいぜいが7日間程度であるだろう。そもそも、服喪とはにぎやかなことや慶事に参加するのを遠慮するといった意味であり、夏に亡くなった義姉のことで、たとえば勤め先の忘年会も欠席し、正月の料理も用意しないなんてことがあるだろうか。  私の母は、桜の季節の終わるころに他界したが、同じ年の秋に長女が課長職に就き、ファミリー祝賀会を焼肉店で催した。 私は太政官布告よりは母のことを考えた。母は当然に祝賀会の方に賛成してくれるはずだと思ったし、年賀状も同じ考えで通した。 服喪中につき~の欠礼葉書は(むろんそれが正しい場合もあるが)ほとんど意味はなく、言葉は悪いが、ただの人真似だと思っている。Aさんから義姉の喪中につき~という葉書をもらうより、年賀状で近況を知らせてくれる方が何倍も価値がある。   ま、ネット検索か何か知らぬが、一度、服喪に関する太政官布告を読んでいただきたい。 そして、御自分のところに届けられた喪中葉書を再読してみていただきたい。

喪中葉書

2011-11-29 22:30:14 | 日記
今年もまた、「喪中につき新年の御挨拶を御遠慮~」という葉書が数枚舞い込んで来たが、あれほど不思議なものはない。中には、「「夏に亡くなった義姉の喪中」なんてのがある。服喪規定というか、ひとつの形式のようなものがあって、それは明治時代の太政官布告であり、たしかに、親の死ならば1年といった記述があるが、義姉はせいぜいが7日間程度であるだろう。そもそも、服喪とはにぎやかなことや慶事に参加するのを遠慮するといった意味であり、夏に亡くなった義姉のことで、たとえば勤め先の忘年会も欠席し、正月の料理も用意しないなんてことがあるだろうか。  私の母は、桜の季節の終わるころに他界したが、同じ年の秋に長女が課長職に就き、ファミリー祝賀会を焼肉店で催した。 私は太政官布告よりは母のことを考えた。母は当然に祝賀会の方に賛成してくれるはずだと思ったし、年賀状も同じ考えで通した。 服喪中につき~の欠礼葉書は(むろんそれが正しい場合もあるが)ほとんど意味はなく、言葉は悪いが、ただの人真似だと思っている。Aさんから義姉の喪中につき~という葉書をもらうより、年賀状で近況を知らせてくれる方が何倍も価値がある。   ま、ネット検索か何か知らぬが、一度、服喪に関する太政官布告を読んでいただきたい。 そして、御自分のところに届けられた喪中葉書を再読してみていただきたい。

11月27日

2011-11-27 18:03:57 | 日記
居間の床下が傷んで、朝から張替工事。何年ぶりかで2階への階段を這い上がり、娘のベッドに横になる。見回してみると整然とした、いい部屋だ。 娘が「ママはモノを捨てないから、1階の居間や寝室がいつも雑然としている」と説明するが、たしかに家人はモノを捨てないタイプであって、時々20年前のセーターを着て、「これ、どう?」と見せたりする。 たしかにボロではないが、娘の言う「整理整頓には、捨てるココロが必要」というのもうなずける。 競馬はジャパンカップで、昨年も同じことを書いたが、このレースは相性が悪い。ま、見物料を2,000円として、ペルーサから100円玉3枚ずつの7点買いしたら、なんと出走16頭中の16着。 藤沢和雄調教師、横山典弘騎手が揃って、「馬が走りたがらなかった」とコメントしたが、走りたがらない馬を走る気にさせるのが調教師と騎手の仕事ではないかと思うのだが。   大阪維新の会の圧勝に終わったナニワの決戦に拍手を送りたい。平松候補の街頭演説のときは市の職員が出てきて、演説が終わるとゾロゾロと思潮社へ戻って行くという図をテレビで観れば、多くの人は、橋下氏に期待するだろうし、平松サイドの古臭さを確認するはずだ。  張替工事が終わってホッとした夕食。 いちばん疲れたのは家人だろう。 私は看護婦(娘が休日)付きの1日家庭内入院でラクではあったが、ほぼ寝たきり姿勢だったので、どこかシンドい。 それでも水割りプラス肉ジャガが旨い。

比較

2011-11-26 22:54:08 | 日記
「仕事と私とどっちが大事なの?」とは、三流ドラマにでてくる女房のセリフだが、これはドラマではなく普通の夫婦間でも交わされる言葉でもあるようだ。仕事と女房を天秤にかけることは全くの無意味であって、もし家人が同じ問いを私にすれば、私は、水と空気とどっちが大事かと訊かれたらなんと答えるかと言うだろう。 つまり、仕事と女房は比較対象にはならないと思うのだ。しかし、このぐもんい正面から答えた男がいて、それはリクルート社の創業者である江副浩正氏だ。彼は、妻の「どっちが大事?」に、「俺の命はリクルート」と答えて離婚したが、本当にそう考えていたのか、それとも、こんなくだらぬ質問をする女性とはもう暮らしたくないとあきらめたのかは定かでない。  A君は私より1歳下、3年前に胃癌の手術をしていて、電話で話すと、どうしても病気とその後のことになる。A君は、私のことを内臓の病気ではないからいいと羨ましそうに言う。確かに胸部大動脈瘤はオペが成功すれば、後遺症はなく、食欲はあるし、酒も旨いから、アフター胃癌よりはマシかもしれぬが、A君は私のような腰痛はなく、月に一度のゴルフを楽しんでいる。 A君と私と、どちらがラッキーなのか、この比較も難しい。

読書入門

2011-11-26 08:06:27 | 日記
45、6歳の頃、同人誌に「読書を始めるのは、女の子より男の子の方が早いのではないか」と書いたら、先輩の女性達からおおいなる反論をいただいた。 私が講談社の絵本で英雄伝を読んでいた幼年期、周囲の女の子でそんなものを読んでいるのを見たことがないし、また絵本時代が終わって江戸川乱歩の探偵小説(当時は、推理小説という言葉はなかった)に夢中だった小学校の低学年時代も、本を読む少女はあまり見かけなかった。  さらに言えば中学生になる頃は、男子は性への興味が女子より強いから、たとえば田村泰治郎の『肉体の門』などは題名だけでも胸躍る感じがあったが、女子は名作を好むから、『路傍の石』を何度も繰り返して読んでいたのではないか。 これが私の「読書入門は男の子の方が先」の論拠であったのだが、先輩女性の反論は熱が入っていた。 随筆の会にいる自分が男の子に(読書のことで)負けるわけがないでしょうという自負のようなものがあった。私は、そんなことはどうでもいいと思っていた。ただ、そのことでは男の子の方が先ではないかと感じていただけのことだった。 そもそも読書入門は、男とか女ではなく、個人それぞれの話なのだ。しかし、そのことで、随筆同人誌に参加するような女性達のある性格を知った。感想を言えば、「狭い(幅がない)なぁ」だった。