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11月27日

2016-11-27 17:24:01 | 日記
家人が友人の描いた水彩画を買った。友人は素人であるが、横浜のデパートの一隅で個展を開くほどの腕がある。どこか洋館の立ち並ぶ所のスケッチである。絵についての知識はないが、洒落ている感じがある。色使いも明朗である。居間の白壁に掛けると、部屋が洒落た空気になる。

次のアメリカ大統領が、T.P.Pから脱退すると言っているが、文藝春秋11月号のT.P.Pに対する47都道府県知事のアンケートを読むと、賛否どちらとも言えないというのが7割以上になる。条件付き賛成もいる。ドナルドさんが喚いても、日本のうぎに大打撃にはならないような気がする。

妹からハガキが来てほっとした。内容のことではなく文字のことである。春にもらったハガキの文字が小さく、指が不自由だと記してあった。妹は大病の経験がない。子供の頃からのテニスプレーヤーである。痩身であり健康である。こういう身体の持ち主は、小さなことを見逃して躓くと危ないのだ。その妹の字が元に戻った。力強くなった。これなら安心である。

競馬のジャパンカップは北島三郎さんがオーナーのキタサンブラックが快勝。私の狙いは3連複の1.3.12.16だったが、これが1.2.4着となって残念。

リハビリは4本爪の杖を使っての歩行トレーニングが中心。居間の隅から玄関までよちよち歩きで、片道が約40歩。2往復で息が切れ、3往復で椅子に倒れこむ。「首を上げて正面を向いて、反り返るぐらいでちょうどいいのよ!」、家人と娘の声が飛ぶ。

大相撲は、昨日、鶴竜の優勝が決まってしまった。家人の応援する遠藤は7勝8敗。よく勝って
よく負けた。白鵬に勝ち、3大関にも勝った。今日勝てば、殊勲賞だったが、これも残念。

ニューヨークダウも東京マーケットも上がっている。年末までにもう一度売れる株がないかと
株価表をテレビで観ているが、どうにも渋い動きだ。指数は階段を登るが、我が家の株のステップがのろい。期待はクリスマスの前あたり。今朝は血圧の計測を忘れた。

女性が中心

2016-11-26 19:58:42 | 日記
ソフト叔父が小さな薬缶で酒を沸かして呑む。「少しだけ呑んでみるか?暖まるぞ」と、中学生の私にも茶碗の底の方に透明の液体を注いでくれる。不味い液体だったが、身体はたしかに暖かくなった。つまり私がもらった酒は寒さ対策だった。防寒酒である。冬が過ぎると祖父も叔父も酒を呑まなくなった。男世帯の食卓には会話が少なかった。嫁に行ってしまった叔母が懐かしかった。叔母がいた頃は食卓がにぎやかだった。食料が充分でない時代だったが、叔母の声が座の空気を明るくしていた。

叔父が結婚した。私が高校2年生になった春だった。男世帯が終わって、叔父の妻になったK子さんが家の中心になった。夜の食卓に明るさが戻った。祖父も叔父も晩酌はしなかった。K子さんは話が上手かった。庭の水槽で飼っている金魚のことでもおもしろい話に作った。「出目金が仲間外れにされているのではないか」といったことを真面目顔で喋った。

会社で直接の上司であるK部長の家で、年末麻雀を打つのが恒例だった。部長の奥様がさっぱりした明朗な気性であるのがありがたかった。麻雀の前に酒になる。ごちそうが出る。もう少しマシなお土産を持って来ればよかったと悔やむが、もう遅い。呑むしかない。部長は下戸だから、この家では晩酌の習慣がないことがわかる。わかっているから、ウィスキーをぶら下げて来ている。それで奥様のための菓子を買い忘れているのだ。徳利が空になる。ロック用の氷が切れる。誰かが台所へ行く。「あら、ごめんなさい。気がつかなくて」と言う声が聞こえる。しかし気楽である。奥方に気兼ねしないで酒を呑める。麻雀を打てる。部長邸の酒と麻雀は、年末の楽しみだった。奥様のおかげだった。家庭は女性が作っている。家庭の空気は女性が作っている。

海を見る、海から見る

2016-11-25 19:55:08 | 日記
「海へ行ってみようか」、叔父のT雄が言った。夏ではなかった。芦屋の浜へ行って、そこにある堤防の上から海を眺めるプランである。T叔父は父の4人の弟の中でいちばん下だった。私と同じ亥年で、その頃は京都の同志社大学に通っていた。私は子供用の自転車、叔父は徒歩である。浜までは30分以上の距離だった。省線(JR)の踏切を渡り、路面電車のあった国道を過ぎ、阪神電鉄の打出駅を過ぎると商店街があって、さらに田舎道を行くと、潮の香りが漂った。堤防の高さは5メートルほどだっただろうか。沖の方に、ちょっと大きな船が見えた。「軍艦とちゃうかな?」「あれは違うよ」、叔父はその次の年か、もう1年後だったかに、繰り上げ卒業とやらで大学を終え、陸軍に召集された。伊豆の大島で終戦を迎え、早々に復員できた。浜からの帰り道は登り坂が多くなる。六甲山に向かって歩く。自転車を押す。山の七合目あたりに、ぽつんと白い建物がある。国際ホテルだ。白いホテルは目立つ存在だった。山の彩りになっていた。

「海の方へ行ってみる?」、家人に訊かれた。病院の帰路であって、夕方までに多少の時間があった。私は海岸道路から見る、逗子、葉山、鎌倉、藤沢の風景が好きだ。不揃いに並んだ家々やビルの背後に緑がある。緑は夏の前後だけであって、他の季節は灰色になる。そのグリーンやグレーが、小高い山の連なりに見える。湘南の風景となると、たいていは海が主役になるのだろうが、海から見る景色も湘南である。私はそれを見るのが大好きである。たいていは、家人の運転する自動車の窓からということになる。タイミングの良いときは、車の速度をおとしてもらう。ゆっくりと、その絵を眺めたくなる。

「どうするの?海の方へ行ってみる?」、再び家人に訊かれた。「いや、帰ろう」と答える。病院の診察を待つ時間が長引いて、腰が痛むのである。早く帰って、寝転びたいのである。その日は天気も良く、暖かかった。海岸通りから望む、おっとりとした平和そうな幸福そうな、絵の鑑賞は腰痛に邪魔されてしまった。

(の)の字

2016-11-24 23:03:43 | 日記
国語の時間にプリントが配られた。ガリ版刷りのものだった。教科書は島崎藤村の『千曲川旅情』にさしかかっていて、その部分の説明を強調するために作られたペーパーだった。珍しいことだったから教師が藤村ファンだったのだろう。そのプリントの1箇所に誤記があった。藤村の歌集とあるべき部分が歌集の藤村となっていた。教師もそれに気づいていて、生徒に最初に訂正させ、ついでに「日本語は難しいな。(の)の字の前と後を間違えると全然別の意味になってしまう」と言った。私はすぐに「女の人 と ヒトの女」と野次り、みんなが笑い、教師も笑った。今のパソコンと違って、ガリ版で作ったものを作り直すのは面倒だった。笑いが終わって授業が始まった。小諸なる古城のほとり雲白く 遊子かなしむ 緑なす はこべは萌えず 若草も敷くによしなし・・・。

政治家の顔というのがあった。三角大福という言葉があったが、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赴夫の首相達はすべて、その頃の政治家の顔をしていた。それが変わったのが小泉純一郎首相の時だった。小泉さんは、自民党をぶっ壊すと言ったが、新鮮味があった。現在の安倍晋三首相も、昔の政治家の顔ではない。いま、三角大福時代の顔を残しているのは、麻生太郎副首相と二階俊博幹事長あたりだけではないだろうか。政治家(の)顔というのは、どううやってできるのだろうか。単なる「の」ではなく、カッコをつけた(の)を使いたくなるような、あの昔の政治家達の顔を作ったのは何なのだろうか。

犬と猫

2016-11-23 20:58:15 | 日記
叔父の妻だったK子さんの実家は東京・世田谷の個人医院だった。時々そこへ遊びに行くことがあったが、いつもたくさんの猫がいた。その猫達が増えたり減ったりするのに気づいて、訊いてみると、患者さん達に頼まれてあげたりもらったりしているのだった。 K子さんのお父上が人気ドクターだったので、そういう近所付き合いがあったのだ。ドクターは早くに奥様を亡くされていたためか、にぎやか好きだった。酒豪でもあった。診察を終えて居間で晩酌をするときは、周囲に猫を集め、それぞれの名前を楽しそうに呼んだりしていた。まだ学生だった私にビールをすすめてくださりながら、チビとかシマちゃん…などとご機嫌だった。途中で電話が鳴ると、杯を置き、「おやおや、タマちゃんの嫁入り先のおばあちゃんが具合が悪いんだとさ」と、自転車で往診に出かけることもあった。タマちゃんは、猫の名前だった。

猫嫌いの人を2人知っている。一人は山口瞳先生であり、もう一人は私の母である。山口先生は猫は悪賢く狡いと書いている。母は、犬ならなんでもいいが猫はダメと言っていたが、それでも母の家で犬を飼っているのを見たことはない。犬好き・猫好きはどうやって分かれるのだろうか。まさか、その人の生まれ年(十二支)や血液型とは関係ないだろう。ボクちゃんの家には犬と猫の両方がいる。ボクちゃんとお兄ちゃん、それに両親の4人暮らしだが、誰がどっちを、という話も聞いたことがない。


「ViViちゃんが重くなった」と、家人が何度も言うようになった。まだ我が家に来てから3週間ほどで、人間の年齢にすると10歳ぐらいというのが娘の説明である。人見知りをしない好性格である。繰り返しになるが好奇なる美女である。前の家では、家猫も外猫(縁の下に住み着いていた)も近所の猫もいっぱいいたので、私もいつの間にか猫馴れしているようだ。山口瞳先生と違って、私は猫の或る素晴らしい点を発見している。それは、「何を考えているのかがわからない」というところである。私は猫の、そこのところがいちばん好きなのだ。