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仕事と趣味

2017-02-26 09:55:51 | 日記
「将棋の棋士というのは、自分が強ければ、負けなければ、これほど好い商売はない」と言ったのは内藤国雄さんだった。内藤さんも強かった。気風のよい将棋を指した。しかし名人位は獲れなかった。それでも内藤さんは棋士という仕事が大好きだったと思う。『おゆき』という歌をヒットさせた美声だったが、あれは余技だったと思う。将棋が好きで好きでその道に入り、その道に進んだのだと思う。

趣味が仕事になったという人は少なくないだろう。プロスポーツの選手をはじめ、いわゆる職人と呼ばれる人達は、その出発点が趣味、つまり子供の頃からそれが大好きだったという場合は多いと思う。むろん、人生の途中からの例もある。私のサラリーマン時代の同僚で、料理好きだったS君は、30歳を過ぎてから、脱サラして、食堂の娘と結婚し、現在でも江ノ島でガス台の鍋の前に立っている。

主婦の仕事の1つに料理がある。家人は料理が好きだ。例えば餃子や春巻きを包んでいる姿を見ていると、楽しそうであり、面白そうである。女房自慢になるが、味も好い。娘が「ママの餃子がいちばんおいしい」と言っているが、お世辞ではないと思う。娘が何軒の中華店の味を知っているのかはわからぬが、私も誰かからもらったり、お店で買って来たものと食べ比べると、家人の勝ちと思うことが多い。家人の趣味は外出が第一で、フラダンスが第二であるかと思う。家人にとって料理は仕事である。仕事であるが、趣味でもあるのだろうと思う。「そろそろ春巻きを作らないか?」と言うと、「いいわよ」となる。材料の買い出しへ行く。帰るとすぐに台所に立ち、具を作る。時間を待って皮に包み始める。一人で行う流れ作業である。面倒がるということがない。好きだからだ。食べ物を作るのが楽しいからだ。主婦の仕事は無形財産である。それぞれの家庭で、その財産の大きさは異なる。仕事の1つである料理にも、財産価値の差がある。家人が料理が趣味であることで、私と娘は、うんと得をしている。

いじめ

2017-02-26 09:48:05 | 日記
昔は女の子を泣かせたりしたら、「アイツは女の子をいじめた」と噂が広がって大変だった。幼稚園でも小学校でも、遊び相手がいなくなるほど大変だった。女の子にもイヤな性格なのがいる。小狡いのがいる。それを咎めると泣き出す。すると、「女の子をいじめた。泣かせた」となる。戦前戦中は、そういう風潮があったのは事実である。女の子のこと以外でも、弱い者いじめは軽蔑された。弱い者とは年下のことが多かった。5年生が1年生を殴ったりすることである。もう1つは、体の弱い子である。私の同級生に小児麻痺を経験して、いつも少し体を震わせている男の子がいた。誰もが彼を丁寧に扱った。相撲のときは、彼の体を静かにそっと土俵の外へ押し出すようにしていた。この少年は不思議なことに絵を描くことに長けていた。このことは以前に書いた。

昔は居間のような陰湿ないじめはなかった、と老人達が言うのを多くの人が聞いていると思う。ただし、渾名に関してはかなりひどいのがあった。茨城の小・中学校の想い出だが、「ヨメ」というのがいた。おとなしく、どこか女っぽく色白であったので、その名がついたのだろう。「ポケ」もいた。どこか抜けている、ポケッとしているといった意味なのだろうが、なるほどと思えるほどに似合っていた。ヨメもポケもそう呼ばれてもイヤな顔はしなかった。馴れきっていた。だから、それがいじめだとは誰も思っていなかった。しかし、自分にそういう渾名がついたら、さぞイヤであろうことは想像がつく。あれはやはり1つのいじめであったかもしれない。

福島から転校してきた子供に「菌」という語をつけて呼んでいた教師がいるというニュースがあった。つまり、その子供の姓名が田中だとすれば田中菌と呼んでいたことになるが、その教師の頭の中はどうなっているのかわからなくなってしまう。もしかすると、それがユーモアだとでも思っているのだろうか。それとも教師自身が幼いころに汚い渾名で呼ばれていて、それを今になって教え子相手に復讐しようとでも考えたのか。とにかく私にはわからない。

姓のこと

2017-02-25 12:41:39 | 日記
「同じナカソネでも、沖縄の方はニンベンが付くのね」と家人が言った。中曽根康弘さんと仲宗根美樹さんのことだった。ニンベンの付く方の美樹さんは、沖縄人特有の黒眼の大きい女性だった。『川は流れる』という歌を唄って大ヒットしたのは昭和30年代だっただろうか。

佐藤姓の多い会社に勤めていた。サトウさんをそれぞれ区別するために、ファーストネームで呼ぶことが多かった。ヒロシがいてヒロミがいた。政光も清三郎もいた。フォークリフトを担当していた先輩は、運ちゃんと呼ばれていた。女子社員にもいた。その中の一人に訊くと、高校時代に、1クラス40人中、佐藤・高橋以外の姓は3人しかいなかった、と説明してくれた。

私の名は真理という名である。「水田さんという男性と結婚すると困るね」と言うと微笑した。彼女も、佐藤姓の男性と結婚した。水たまりには、ならなかった。

4年生の秋まで、兵庫県芦屋市立岩園小学校で学んだ。1年生のとき、同じクラスに南里という姓の美少女がいた。学校は六甲山の登り口にあって、たいていの子供は、坂を登る形で登校していたが、南里は、山の中腹部分から降りて来ていた。女中さんが付き添っていた。つまりは、深窓の令嬢だった。「ごっつい家に住んどるらしいで」とみんなが噂をしていた。私は、南里という姓に憧れた。上等な感じがした。洒落ていると思った。その女の子とは一度も話したことがなかった。私が再びその名と出会ったのは学生時代で、それは、南里文雄とホットペッパーズなる楽団だった。

倉又君という、小学校以来の友人がいる。数えれば70年来ということになる。新潟の糸魚川の出身で、茨城の小学校へは疎開の形で来ていたようだ。高校野球で、糸魚川商工が強かった頃は公立人気があった。メンバーに、倉又姓が3人か4人いた。友人の倉又君は糸魚川一高から一橋大学を経て、一流商社に入って出世した。いまでもゴルフができるらしい。倉又は(笑)珍しい姓である。たぶん、新潟にだけあるのではないだろうか。

猫騒動

2017-02-25 12:15:59 | 日記
昨日の朝からViViちゃんが何度も姿を隠した。そのたびに家人と娘が声を挙げ、名を呼んで探す。最初は玄関の靴箱の下に、次は居間の飾り棚の下に、その次は納戸の隅に…というように、人の目を避けるように潜んでいた。元気がなかった。餌もあまり食べていないらしい。娘が仕事へ行き、家人が姪に電話をした。家人の姪は何年も猫を飼っているので、知識がある。発情期なのではないか、そんな話が電話の応対から聞こえて来る。私が心配したのは、体の具合が悪くなると人目を避けたがる生物がいるということだった。何かで読んだ記憶だった。

私のことなら何の問題もない。急に何かのことで心臓が止まっても、一度は死んだ人間である。火葬場へ行き、持ち帰った骨を青山霊園へ運べば済む。家人が私の介助から解放される。ハワイへ行ける。憧れのハワイである。晴れた空、そよぐ風である。 この歌を岡晴夫さんが唄ったときは、港出船の銅鑼の音たのし…と続くのだが、今は、成田飛び立つ翼よたのし…である。

夜になって娘が帰宅し、夜間診療の動物病院へ連れて行った。発情期かもしれぬし、強風の音への怖れかもしれない、今のところ病気の気配はないと言われたようだ。その頃私はとっくに眠っていた。

朝になって、ズボンを替えているとき、ViViが走って来た。いつものように元気な表情だった。ほっとした。それでは、昨日のカクレンボは何だったのか。家人や娘の話を総合して、私は、風の音への恐怖が当たっている気がした。
昨日は強風だった。マンションの庭に高い樹がある。テラスの前に太い電線がある。それらが風に鳴ると二重ガラスを越えてP音が入って来る。ペルシャ猫は、そういうノイズに弱いのかもしれない。とにかく一安心だ。旨い酒が呑める。憧れのジョニ黒である。琥珀色のグラスぞたのし…である。

選挙

2017-02-25 12:03:57 | 日記
ばかばかしい選挙があった。茨城の田舎中学にいたときである。昭和20年代の前半である。年度が替わるたびに学級再編があった。1学年は250人で、男女半分ずつ5学級あったから、1クラスは50人である。25人の男子の中に一人、同じく女子の中に一人、出来の良いのがいた。そういう風に教員たちが配分していた。その中から学級委員長と副委員長を決めるべく選挙が行われた。委員長には男子の優等生、副委員長にいは女子の優等生が選出されることはわかっていた。だから、ばかばかしいのである。私は委員長に女子の名を、副委員長に男子の名を書いた。開票のときに私の書いたものが読み上げられると、みんなが笑った。それは私の仕業だとバレていた。委員長で1票を得た女子優等生は、私を睨んでいた。怒ったような顔をしていた。副で1票をとった男子優等生は顔を朱くしていた。他の誰かが「ヤボ(私の呼び名)、ふざけるの上手いなぁ」と言い、私は、「女が委員長になったっていいじゃねぇか」と反論し、3年生のときは私の言葉に担任教師が「それもそうだ」と賛成した。民主主義というコトバが流行り始めた時代だった。

東京都議会議員の定数は127だそうだから、過半数は64になる。この7月の選挙で都民ファースト+αで過半数が獲れるかどうかの攻防になる。小池支持対半小池の絵になる。公明は自民と袂をわかった。自民は完全に防である。小池さんに、よほど大きなネガティブニュースが出ない限り、自民は負けるだろう。何がどこまでということは私にはわからないが、小池さんの目指す東京大改革は進み始めるだろう。そして3年後にオリンピックが来る。7月の選挙はうんとにぎやかになるだろう。新党は1回目には勝つが、2回目からが難しい…とは小池さん自身の経験から出た言葉だが、その1回目である。告示前からテレビも忙しくなるだろう。