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2015-01-31 15:45:43 | 日記
「ITって情報技術の意味だろう?」と友人に訊いたら、「うん、要するにコンピュータが人間を支配する時代が来たということだ」と、それ以上の説明はしなかった。彼に、私がパソコンはもちろん、携帯電話すら持っていないことを知っている。だから「要するに」と言ったのだ。 最近の中東の方のニュースも、私はテレビのニュースから得るものと、たぶんパソコンを操作していわゆるネットから引き出すのであろう「テレビには出ないホットなもの」を娘から聞くことで、ま、そこそこわかったような気になっているし、それで充分だ。  ITの恩恵の最たるものは競馬であって、電話で馬券が買えるということは、私のような腰痛人間にとって、なんともありがたいのだ。私の仕事はただひとつ株の売買であって、これも電話というITマシンで事は足りる。 株の方は肉声でのやりとりだが、馬券の方はすべてコンピュータに組み込まれた女性の声がリードしてくれる。 あの声はどうやって???と考えても仕方がない。 パソコンに支配されるというのもラクといえばラクだ。

視る、聴く、嗅ぐ

2015-01-30 09:05:36 | 日記
中学2年生だった某日の午後、教室で視力測定があった。検査表を貼ったボードのあちこちをクラス担任の教師が細い棒で示し、それに対し生徒が「エ」とか「コ」などと答えて行く方法で、昔はそれが通例だった。私の番になって、私が最下列の文字(2.0)を読み当てると、教師が「おまえ、昼休みにカンニングしたな」と笑い出し、横で手伝いをしていた2人の優等生も声を合わせた。「いや、ちゃんと見えます」という私を遮って、教師が「1.5にしておくからな」と結論した。 1.5は優秀な視力であり、2.0はそれに超がつくものだった。もちろん私は、昼休みにカンニングはしていなかった。 そして残念ながら私の優秀な視力は、子供達に受け継がれなかった。  娘が冷蔵庫から四角い包みを持ってきて、「これ、大丈夫?」と訊く。包みの中は凍ったベーコンで、岩のごとく堅い。その一部を何とか引き出して匂いを嗅ぐと、なんとかOKだとわかる。つまり、娘は私の鼻を鮮度探知器として頼ったのだ。ついでに言うと、家人は冷蔵庫の絶対的信者である。  聴力が落ちたようなので、家人や娘から「テレビの音、もっと小さくして」とよく言われているが、これについてはよくわからない。大事なのは証券会社との電話のやりとりで、株価の話だから、聴き間違いはできない。ただし、これについては一度の失敗もない。あとの2つ(触覚、味覚)も衰えているのだろうが自覚はない。 むろん、サントリーとバーボンの差は100%わかる。

1月28日

2015-01-30 08:59:04 | 日記
胃腸がすっきりしないので、行きつけの病院へ。長女がいれば車椅子も楽勝なのだが、家人の運転(というのか?)では申し訳なさが先立つ。昔あった『チャンチキおけさ』という歌の、「すまぬ すまぬと詫びて今夜も~」のくだりを思い出す。原因に(生ものや冷たいものを食べた等の)心当たりがないと言うと、ドクターも、「とんじかく整腸剤でも~」となった。 血液検査などでわかったのが、たった4日間の禁酒でγGTPが、「いつもこういう数値でいてください」となったということ。   点滴が約2時間あって、そのときのベッドが狭いので腰が悲鳴をあげる。やや強めのメガネ姿の看護婦さんが、タオルを小型の枕のように畳んで即席クッションを作ってくれて、ナンボか助かった。 柑橘類のジュースは胃腸を冷やすとのことで、ジュースはリンゴ。 アップル100%とあるのに、これが全然旨くない。すぐに家人に「すりおろしリンゴ」を頼んだが、これは旨い。 胃腸不良で味覚も変化しているのか。 明日は娘が京都遊山から帰り、明後日は家人のめのオペラチオン。胃腸不良の日々も、過ぎゆくのは早い早い。 昨日の朝のラジオで、帝銀事件から66年と言っていたが、あれを憶えている人、また松本清張さんの『日本の黒い霧』を読んであの事件を知っている人、何パーセントいるのだろうか?

1月25日

2015-01-30 08:54:24 | 日記
健康の最後の砦と思っている胃腸が、昨日の早朝から変になった。とにかく下痢また下痢で、そういうときの自己療法である絶食の効果が、36時間を過ぎても現れない。今、午後6時だから、このままカラッポの胃袋で明朝を待つしかない。 とにかく元気がないから、競馬AJC杯もスポーツ紙から丸写しで買っておいたら、これが馬連的中で119.5倍つくのだから、ま、こんな日もあるのかなと。万馬券を取るのは今年初めてだが、今日このレースを当てた方は、スポニチ小田記者のファンが多いのではないか。 大相撲への興味は大きくないが、家人が遠藤関と逸ノ城関のファンで、この2人がテレビに映ると大声を出すので、ついつい15日間(1日1時間ずつ)観ていた。 懸賞金の旗が増えたのと、「満員御礼」がいい。  明日から長女と孫娘が京都へ3泊旅行。まださほど混まないだろうから、旨い物探しができるだろう。家人もさぞかし同行したいだろうが、腰痛の老夫が、それに加えて胃腸をやられているというのでは…申し訳ない、早く寝るしかない。

最年長、最年少

2015-01-30 08:45:41 | 日記
昨年9月に叔母(父の妹)が86歳で他界して、親戚関係では私が最年長になった。日本人の平均寿命から観ると、年上の人間がもっといる計算なのだが、我が家は平均が嫌いな人間が(過去を考えてみても)多いような気がする。年賀状で先輩から頂いたものは5枚しかない。若い頃から私は年上の人との付き合いが多かったから、先に旅立たれるのは当然で、そのことを如実に感じるのが年賀状だ。人名録を、引っ越しのときに失くして、こちらから差し上げる賀状の宛先はすべて娘のパソコンにおさまっているが、もし人名録が残っていれば、「死」を示す赤線が何本も何本も引かれているはずだ。
昭和30年代の初め頃、渋谷の井の頭線のガード下に軍隊酒場があった。当然のことに、軍歌がガンガンと鳴り続け、半ズボンのカーキ色の軍服を着たホステスが、オッチャン達の相手をしていた。軍国少年だった私は、戦中歌が好きだったこともあって、千円札が1枚と百円札が数枚あるときはガード下へ行った。客の中で私は最年少であって、周囲のオッチャン達によくモテた。 「よくこの歌を知っているなぁ」「はい、終戦のとき、小学校4年でしたから」「これも知っているか?」「好きな歌です」。オッチャンが肩を組んで来る。レコードの拡声器が流すのは、『ラバウル航空隊』だ。~銀翼連ねて 南の前線 揺るがぬ護りの 海鷲達が~。