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現場

2013-08-31 12:41:45 | 日記
「Zは客が少ないなぁ」とAさんが言い、Bさんが「うん、がらがらだよ」と応じた。5月初めのことである。Zは、ある業種の量販店として日本有数の企業であって、時々のテレビコマーシャルでは、「××市に新店開業」などと景気のよさそうな言葉もあったが、ふと気になったのが、Aさんは茨城、Bさんは埼玉と住む場所が異なり、その両方が閑散としているらしいことだった。Z社のカブは持っていないので、そのまま忘れていたが、やがて出てきた年度末決算で、悪い数字が並んで「やっぱり」と頷いた。  現場(個々の店)を見ている人の証言は正しいのだと思った。 「この会社に一度行ってみてくれないか」と上司が薄い経歴書を私の前に置いた。つまり、うちに仕事があったら出してやってくれという意味であり、購買課にいた私には、そういう依頼がよくあった。むろん、私は指示に従ったが、新しい下請けをとるのは、いつも現場を重視した。会社の歴史が長いとか、ある技術に秀でているとかいったことより大事にしたのが、製造現場の雰囲気だった。いちばんダメなのは、自分の会社に不満をもっている従業員がいる(それはすぐにわかる)ことだった。 会社の表紙は現場であることは間違いなく、その他のことは(表紙ではなく)1枚1枚のページであることを充分に認識した。  小さな個人医院を含め、多くの医療機関に世話になってきた(今も同じ)けれど、もし友人から、何かの体調不良で問い合わせがあったとき、それならばここがいいと自信をもって答えられるのは3ツほどしかない。詳しくは書ききれないが、医療機関もまた、現場がすべてである。 たとえば、親切で明朗な看護婦さんが1人いることだって、患者にとってはおおいにありがたく、それが現場というものなのだ。

子    

2013-08-31 12:33:42 | 日記
藤沢嵐子さんが亡くなった。私は、彼女の芸名が昔から好きだったが、本名も、早川嵐子さんだった。 年齢は88歳とあるから、大正の最後の生まれであり、その時代のことを考えると、我が子に嵐子とつけるには、ちょっとした勇気が必要だったのではないか。 私は77年生きて来たが、同名の女性を見たことも聞いたこともない(蘭子さんは知っているが、同じ音でも、嵐子さんの方が格上の気がする)。 もう1人、恰好いいなぁと思ったのが、フランスの映画監督イヴ・シャンピ氏と女優 岸恵子さんのお嬢さん、デルフィーヌ麻衣子という名前だ。 母方の祖母の名は「せい」であるが、自分では「清子(せいこ)」と名乗っていた。たぶん、「せい」よりはフレッシュな感じがしたのだろう。そして、祖父も「せい」という本名ではなく、ペンネームとでもいうべき「清子」の方が似合うと思ったのか、日常の呼び名は「せいこ」だった。
私達の同級生あるいは、その前後10年以上の女性達の大半は「子」のつく名前だったが、現在は「子」のつく例は少なく、いわばなんでもありの時代になった。私は2人の娘に「子」はつけなかった。 平凡になることをおそれたのではなく、どこか貴族感がある気がしたからで、たしかに、北条政子も京極竜子もカッコイイけれど、それは北条・京極といった姓があるからで、うちは、近衛様・細川様・島津様ではなく、庶民そのものだ。ま、娘達は自分の名前を気に入っているようだから、それでいい  (この文は3割ほどは、以前に書いたものを重複していますが、つい嵐子さんにのってしまいました。ボケではありません)。

貯金

2013-08-28 21:09:16 | 日記
娘が「500円玉貯金をやってみる」と言い出し、私はすぐに山口瞳先生のことを思い出した。 山口先生も、30年近く前に、同じことを試みて、1年間で40万円ほど貯まったと、週刊新潮連載の「男性自身」に記している。 40万円は500円玉800枚であり、1日に2枚では追いつかない。もちろん、千円札や1万円札を両替すれば可能だが、それでは貯金というものの最大ポイントであるおもしろみがなくなってしまう。山口先生が800枚を集められたのは、ご自宅の近くに東京競馬場があって、そこへよく通っていたことが大きいし、酒場や買い物の釣り銭もなるべく500円玉が手に入るように工夫されたのだと思う。 娘の場合は競馬場へ行かないから、釣り銭が中心になるはずで、たとえばランチが600円のカレーライスだったとすれば、千円札1枚と100円玉を1つ渡して500円玉を入手するといった手法になるだろう。  娘の5分の1の話でしかないが、私も100円玉貯金をしていた時期があって、そのベースは新聞の集金だった。日経新聞の1カ月の購読料には300ナンボかの端数がつくから、1万円で支払えば6枚の100円玉のおつりが来る。そのころはまだ腰も軽かったから、外出の時のタクシー代や家への土産の菓子も買ったりして、ちょっとしたキャンディーの空き缶がすぐに重くなっていった。そして、(これも大きなファクターなのだが)使うということがほとんどなかった。 男用財布というのは硬貨を入れるにはきわめて不向きであり、またテレカができたこともあった。 この100円玉貯金箱は現在もどこかにあるはずで、まだ100数十枚の100円玉が残っているだろう。不思議なのは、「貯金するなら硬貨」ということであって、これが千円札貯金ではおもしろくない。 つまり、箱の中のガチャガチャ感が愉しいのだ。

2013-08-28 11:53:17 | 日記
医学、科学、数学、法学、哲学…世に「学」は多いが、「おんがく」だけは「音楽」と書く(むろん、音に関する学問は別に存在するのだろうが)。  Musicを音学とせずに音楽と当てたのが誰なのかは知らぬが、そのセンスの良さには敬服する。  夏休みもあと5日で終わるという時になって、宿題に慌てる子は少なくないだろうが、オトナにだって「楽」と「憂」を逆にした「先楽後憂」はいくらでもある。 ついついツケで呑みすぎて、月末に酒場から届く請求書に悲鳴をあげる呑ん平は、いつの世にもいるだろう。  大差で勝つことを楽勝と言うが、苦難の末ギリギリで勝利するのは苦勝ではなく辛勝と言う。競馬で言えば、ゴール寸前に後続馬に首の差まで迫られたが辛うじて逃げ切った~となるが、この辛の時も味わいがある。  悲観は感情だが、楽観は意志である~とは誰の言葉なのか。ちょっとわかりにくいフレーズだが、自分に起こった或る事象にあてはめてみると、そうだなぁと頷くことはある。   「結婚の条件は、相性」と何度か書いてきた。相性とは、その人と一緒にいて楽であり、楽しいことだと思っている。だから、未婚の男女には、「結婚するなら、楽女房、楽亭主を選ぶといい」と、結婚52年の老人は伝えたい。もちろん、結婚生活は長続きする方が貴い~と言うつもりはないけれど。

眠る

2013-08-28 11:47:47 | 日記
夜は8時過ぎにはベッドに行き、朝は8時頃に床を離れる。といっても12時間眠るわけではなく、朝は7時を少し過ぎたあたりから電動の健康器具を使って下半身の手入れをするし、夜もすぐにイビキをかくわけではない。昼前に入浴を終え、食事が済むとまたベッドに身を投げ出すが、これがなんとも快い。 横臥すれば腰痛は消えるし、眠ってもいいし、眠らなくてもいいという時間は貴重なものだが、それも3時には終わる。週日には株式市場の大引けがあり、土日には競馬があるからだ。 「あちらの国へ行く」ことを永眠と言う。うまい言い方であり、形のいい熟語である。 私はあちらに、いわゆる死後の世界があると信じていて、そういうことを書いたものに信用性があると思っている。あちらのことを想像するのも楽しいもので、まず迎えてくれるのは家族や友人達かと思うが、なんといっても無限の時間があるから、待っていれば「こちらでは会えなかった人」との面会も可能だろう。 一緒に呑んでみたいのが、大石内蔵助さん、明智光秀さんで、大石さんの京都での放蕩、光秀さんの本能寺の事実は、別に執拗にきかずとも、杯を重ねるうちに自然にわかるだろう。また、あちらにはこちらでは望むべくもない完全なる自由があるらしいから、マリリン・モンローさんのストリップショーだって拝見できるだろう。といった図を頭に浮かべれば、今夜もまた、いい眠りに誘われるだろう。