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田舎者

2017-05-30 06:23:50 | 日記
少し前のことになるが、或る大臣(副大臣か)が福島の被災地へ視察に行った。会見場があって、県知事が来るのが少し遅れた。すると大臣が、「こっちは先に来てるんだ。待たせるのは失礼だろう」と怒鳴った。知事が静かに頭を下げた。大臣は更に言った。「いいか、今のはオフレコだぞ!オフレコを破ったら、その社はアウトだ!」とマスコミに向かってさらに大声を出した。オフレコどころか、その場面はテレビで何度も放映された。それを観た人の多くが思ったのが、イナカモノということだっただろう。その大臣はまもなく辞めたが、田舎者の印象が強く残った。威張る人間はイナカモノである。

行列に割り込む人間は田舎者だ、と書いたのは山口瞳さんである。他にもいろいろなイナカモノがいる。もちろん私自身もそうだ。他人に迷惑をかけている。迷惑をかけているのに気づかない。あとになって、ああ、あれは悪かったとなる。そういうことが多い。あまり価値のないものを自慢したりする。これも後悔するが、すでに遅い。

9歳になるまでの私を教育したのは祖母だった。後になって思うことだが、祖母の教えの基本は、田舎者になってはいけないということにあったような気がする。宝塚音楽学校の校訓は、清く・正しく・美しく であるが、これが都会的スマートさのイロハであるのだろう。私には清も正も美も遠い。難しい。昔は人前で煙草を吸うことが普通だった。嫌煙者であっただろう女子社員の前でプカプカやっていた。清くない。不潔である。正しくない。無礼である。美しくない。迷惑をかけているのに気づかない。それだけだって、私は田舎者である。

田舎者でなく生きていくのは大変なのかもしれない。清く正しく美しく…は窮屈なのかもしれない。と書いて来て、自分自身の年齢を思い出した。田舎者でなく生きよう、と志してももう遅い。

5月28日

2017-05-30 06:09:58 | 日記
娘が朝6時の弘前出張。家人が北鎌倉駅まで車で送って行く。このところ、娘の出張は日本酒の土産が続いていて、今度は青森の酒か。おかげで毎夕、各地の銘酒を少しずつ呑んでいる。日本酒の旨さをこの齢になって多少はわかって来た気がしている。


今日は何よりもまず、日本ダービーを当てねばならぬ。スポーツ紙の記者達の予想も散らばっていて、混戦ムードではあるが、こういうときは却って大穴にはならないものだ。18番アドミラブルが3着を外すのは考え難く、あとの2頭を1・4・7・12に絞っての3連複での買い。結果は12・4・18・と入って配当は20.2倍。大勝ちではないが、ダービーで取るのは気分が好い。

東京六大学野球の慶早戦で、慶應は、勝てば優勝というゲームだったが、投手陣がいかにも齢。1点リードの場面もあったが、結局は大敗。優勝は漁夫の利で立教になった。

歩行訓練を先週から少し変えて、家の中の廊下からマンションの廊下にした。家人に付き添ってもらう。途中で事故があったら危険だ。特に左足がヤバい。それでも5日間歩くと自信になる。

大相撲も千秋楽。白鵬の優勝は順当な気がする。相撲のことは詳しくないが、毎日観ていると、この2文字が浮かんで来る。家人が応援する遠藤は、6勝9敗に終わった。この力士に不足しているのが覇気である。茨城出身の2人は稀勢の里が途中欠場、高安が大関昇進確実となって明暗を分けた。

あまり景気の好い話がない。そういうニュースが出て来ない。株式マーケットも賑わうことがない。テレビの株価速報を観てもおもしろくないので、録画に頼ることになる。映画『推定無罪』『オリエント急行殺人事件』がある。ドラマ『刑事コロンボ』があって、横山秀夫サスペンスがある。今朝の血圧は128-86。

ハイタッチ

2017-05-27 19:58:05 | 日記
小学校の高学年とおぼしき2人の少女が歩いていた。曲がり角があって、1人はそこを曲がり、もう1人は直進する。「バイバイ」となる。すると2人とも片手を挙げた。顔の横あたりまで挙げて、そのまま掌を合わせた。ハイタッチした。病院帰りの車の中から見た風景である。昔なら、ただ手を振って別れるところである。いや、昔ではなく、つい最近までそうであったような気がする。

プロ野球の試合でA選手がホームランを打つ。ゆっくりとダイヤモンドを1周する。3塁コーチャーと肩手でハイタッチする。Aはベンチに戻ると今度は両手を挙げる。迎える他の選手も同じポーズをとる。掌と掌を合わせる。

ハイタッチというのは、どうやって始まったのだろうか。何のスポーツから始まったのだろうか。それとも私が見たように、子供達から大人へと伝わって行ったのか。あるいは、輸入モノかもしれない。アメリカあたりから輸入されたのが広まったのかとも思う。大人はともかく、幼い子がやればかわいい動作だと思う。

もうすぐ夏の高校野球が始まる。各都道府県で代表決定戦が行われる。そこで甲子園行きが決まると、投手マウンド付近に全選手が集まって片手を挙げる。人差し指だけを天に向かって突き上げる。あの集団パフォーマンスも最近のものだ。敗れたチームがホームベースの片側に整列して待っているから、天を突くポーズは長くやっているわけにはいかない。数十秒の歓喜と誇りの舞である。想像だが、あれは輸入されたものではない気がする。日本的な感じがする。

昔のバイバイは手を振るだけだった。ホームランを打った選手を迎えるのは握手だった。甲子園行きは抱き合うシーンが目立った。喜びの表現も時代と共に変わる。その裏側に誰か振付師のような人間がいるだろうかと思ったりするが、どうだろう。

忖度

2017-05-27 00:07:41 | 日記
部長の機嫌が悪い。何か言いたそうな素振りであるが、黙っている。「ああ、あの仕事を下請けのA社に出したのが気に入らないんだなぁ。部長はB社の社長が仲が良いからなぁ。ま、次の仕事はB社にまわすことにするか」なんてことは、会社ではよくあることだ。部長には度々酒をご馳走になっているから、この次は機嫌を良くしてやろうと考える。これが最近よく耳にする「忖度」である。どこの社会にもある。それは役人だろうと、民間会社勤めだろうと同じである。

いま騒がれている加計学園の問題で、昨日、元の文部科学省事務次官が記者会見を開いて、「総理の御意向が…と記された文章が実在した」と証言した。私はちょっと不思議な感じがした。総理の御意向がXからYへ、YからZへと伝えて行くのに文書が用いられるというのがわからない。そんなことは文字にすることはなく、もしかするとヒソヒソ声で、もしかすると空気とか雰囲気といったもので伝わって行くのではないか。それが忖度というものだろうと思ったからである。

「これで、ソンタクっていう言葉と漢字をみんなが覚えたんじゃない?」と娘が言った。その通りだと思った。誰もが相手の気持ちを推し測りながら生活している。そこから人間関係に平和が生まれる。時には悔しい遠慮もある。我慢の妥協もある。辛抱も譲歩も必要である。しかし、相手だって、こちらの胸の中を読んでいるのである。こちらだって、無理を通していることがあるのだ。とかくこの世は住みにくい、のである。忖度が不可欠なのだ。

年末になると、流行語大賞の選考がある。忖度は間違いなく大賞候補になるだろう。

ギャンブル依存症

2017-05-26 23:59:38 | 日記
三軒茶屋の雀荘には、種々雑多の人間がいた。近所の商店の主人、廃品回収の元締め、ヤクザ、獣医、職業不詳…阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記』にあるような面々がいた。そういう中にFさんもいた。生命保険の外交員で、いつもきちんとネクタイを締め、背広姿だった。雀力は普通だった。勝ったり負けたりだった。長形の財布に千円札をギッシリと詰め込んでいることがあった。1万円札が発行される以前のことである。保険の大口契約が取れたのではないかなどと、周囲が噂したりしていた。

「昨日、後楽園でFさんに会ったよ」と、Tさんが言った。Tさんは私と同年齢で、水道工事の下請けをやっていた。愛媛県出身のおもしろい人で、麻雀の帰りに何度か二人で酒を呑んだ。競輪ファンだった。Fさんに会った後楽園というのは、野球場ではなく競輪場のことである。「Fさんは、ごっつい勝負しよるで」とTさんが小声になった。繰り返すが、1万円札のない時代である。Fさんは1レースに千円札を10枚ぐらい注ぎ込んでいるようだった。

そのFさんが雀荘に来なくなった。「あの人、無一文になって夜逃げしたらしいよ」と雀荘のマスターが言った。生命保険の外交というのもウソで、アチコチから借金を重ね、最後は自宅を売り払ったそうだ。どうりで大金を持つことがあったのだと思い当たった。競輪の大勝負も理解できた。
「家族はいないの?」と誰かが訊いて、「奥さんと小学生の子供がいたらしい。3人で夜逃げだよ」。

雀荘での勝負は大きく勝っても一晩5千円程度だった。競輪に賭ける金に比べれば安いものだ。それでもFさんは雀荘へ来て楽しそうに牌を振っていた。一人でいるのが辛かったのかもしれないと私は思った。なぜ、いつも整った背広姿だったのだろうか。そこから先を考えるのは少し寂しい気がした。むなしい気がした。