世田谷の家の数軒先に小さなアパートがあって、Sさんはそこの一室に母親と二人で住んでいた。Sさんは自転車でリヤカーを引くスタイルの廃品回収が仕事で、あるとき、我が家の物置に放り込んである銅製の火鉢を買ってもらったことで知り合いになった。Sさんは顔の血管が浮き上がって赤く、近くによると酒の匂いがした。50歳を過ぎているぐらいの年代だろうが、老けて見えた。言葉も不正確で、明らかにアル中だった。銅の火鉢はスクラップではなく、一部分を修理して売るらしく、千円ぐらいと思っていたら、その2倍近くになった。私のバイト料が1日500円の時代の話である。Sさんがリヤカーを引かずに、ふらふらと歩いていることがあって、声をかけると、「ああ、今日は休みだ、休みだ」と言いながら、肩からぶら下げた水筒を口に当てた。中身はもちろん酒である。 私はアル中とか依存症という言葉を聞くと、よくSさんのことを思い出した。
20年前、脳こうそくで入院したとき、当分酒が呑めなくなることで、いわゆる禁断症状が出ないかと心配だった。しかし、病室に置かれた2台のベッド、朝から晩までの点滴、味気ない食事・・・そういったものが醸し出す雰囲気は、私から、酒を飲みたいという気分をまったく消し去っていた。 その後も三度の入院生活を経験しているが、病室でのいっぱいの酒を希望することはなかった。
20年前、脳こうそくで入院したとき、当分酒が呑めなくなることで、いわゆる禁断症状が出ないかと心配だった。しかし、病室に置かれた2台のベッド、朝から晩までの点滴、味気ない食事・・・そういったものが醸し出す雰囲気は、私から、酒を飲みたいという気分をまったく消し去っていた。 その後も三度の入院生活を経験しているが、病室でのいっぱいの酒を希望することはなかった。