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脂肪

2015-02-21 16:24:40 | 日記
K子は会社勤めの頃も、その会社の仲間がトシをとってからの親睦会でも、いつもスカート姿だった。雪の日も赤いスカートにブーツで寒そうには見えなかった。ズボンは着用しない、常にスカートというのは、ひとつの立派なオシャレであり、K子は驚くほどの脚線美ではなかったが、女性らしくカッコよかった。昨年の春、彼女はほかの友人3人と連れ立って、我が家に来てくれたが、初めて見るズボン姿だった。年齢は私よりひとまわり以上も下だが、60歳は越えているから、脚は細くなってきているだろう。K子はそのことを嫌って、スカートをズボンに替えたのだと思う。女性の肉体の老化は、シワとおかシミとか薄毛などをよく挙げるが、最大のものは脂肪の減少だと私は思う。 脂肪が女らしい、ふっくら感を作り、魅力となるのだ。最近は痩身への憧憬が強いらしいが、私はそれに魅力を感じない。 肥満が好いと言うのではない。私が言いたいのは、女性には適当な脂肪は大事だということだ。  家人が、月に2,3度は大船の、いい魚屋さんに行く。私の注文は、なんでもいいからアブラののったものであって、それが必ず当たる。アジの干物、煮つけ用のタイ、ブリの刺身、とにかく脂肪が決め手となる。家人と娘はビーフステーキが好きだが、私はポークソテー派だ。これも脂肪がのっていることが重要だ。 油ものはできるだけ避けよという医師の忠告もあるが、私の食べる量は100グラムもないのである。トンカツ用の肉を少し大きめに切ってもらい、その中の脂肪を含む1片70グラムをほおばればOKだ。

草野球の監督

2015-02-21 16:14:23 | 日記
茨城の中学生だった頃は、2つの草野球チームに参加していた。1つは学校のクラス仲間で作ったもので、監督はみんなで選んだK君だった。K君はメンバーの中でいちばん従順(おとなしく)で、しかし野球に関するこまかいことをよく知っていた。監督選びは私が根回しをした。おとなしい人物がオーダーを組み、ポジションを決めれば、それに不服の者がいても文句は言えないと私は思った。おっとりとしたK君に反対するのは弱い者いじめとみられるからである。 私の考えは当たった。チームの中で、いちばん気の弱いK君は(野球に詳しいから)誰もが納得する打順を決め、守備位置を指示した。2カ月に1度ぐらいの割合で、近所に野球団が出来た。失業中の兄ちゃん、ガリ版刷りの家内業の20代の兄弟、私のような中学生や高校生もいた。監督は「おんぼ焼き」と呼ばれるFだった。Fは朝は新聞を配達し、昼間は仕事があれば火葬場へ行っていた。 その仕事が「おんぼ(隠亡)焼き」だった。彼が監督だったのは、金があるからだった。チーム用のボールやバットをリヤカーに載せて試合場に現れた。火葬場の従業員は遺族からチップがもらえるとか、時には残りの灰の中から金歯を発見するといった噂もあった。FもK君同様に静かな青年だったが、誰もが彼の指示に従った。彼はグラウンドでは元気だったが、リヤカーを引いて帰って行くときは、ふとさびしそうな顔になった。私が中学3年のときに朝鮮戦争が始まった。「Fは、南鮮の出身らしい」と、年上のメンバー達がヒソヒソ声で話していた。

癌と脳卒中

2015-02-21 16:07:41 | 日記
「昨年は春に肺を、秋には胃を切除しました。今は健康のありがたさをしみじみと感じております」。4年前のA君からの年賀状である。詳しくはわからぬが、半年間の時をおいて肺癌と胃癌の手術を受けたであろうことが想像できた。A君は学生時代からの友人で、トシは1ツ下だった。還暦頃までは電話でよく話したが、そのうちに年賀状の往復だけになっていたから、いきなりという感じの驚きもあった。翌年、A君からの年賀状は来なかった。そして、1月の中旬になって、A君の奥さんから、「夫は昨年の3月に死亡」との手紙が来た。つまり、健康のありがたさ~からわずからの時を経て他界したことになり、たぶん2ツのオペを受けた時点で、すでに手遅れだったのだろうと思った。  ハゲに癌無し、白髪に脳卒中無しと言われるが、私の周囲ではこの言葉が当たっている。前記のA君も、友人のM君(大腸癌を切って6年目。現在は健康)、家人の弟(食道癌を切って5年目。現在は健康)も髪の毛は多く、脳卒中の気配はない。 私は20年前に脳梗塞を患っていて、頭は昼間なら陽光に輝き、夜ならば月光に映える。若い頃からかなりのアルコールを飲んで来たが、食道も胃もなんとかもっている。自分のゴールは、たぶん、再度の脳卒中か、あるいは心臓系の急病ではないかと漠然と想像している。

2月15日

2015-02-21 16:03:06 | 日記
娘にもらったチョコレートを1個食べてみて、上質だとわかり、残りの5個を夕方のウィスキー用に残した。チョコレートは、家人が毎日(認知症防止とやらで)食べているのが壜に詰まっているし、誰からもらったのか、カル・ド・ショコラと印された黒い中型の箱も食卓にあるから、和t菓子の5粒は夕方まで安全だと思っていた。それが甘かった。さてという時間になって、フタを開けてみたら、残りは1個だけだった。 家人の嗅覚は、箱を観ただけでこれが上等だとわかったのだ。  競馬 共同通信杯は1.10の馬単(どちらでも50倍見当)を狙って、2頭とも予想通りの好走を見せたが、10が3着。 次女が散髪に来てくれた。毛髪は後頭部の左右の裾に、申し訳なさそうにチョロチョロと残っているだけだが、それでもバリカンで刈り上げると、なんとも快い。 晩酌は日本酒とブリの刺身でスタート。 寒ブリは、脂がのって旨い。仕上げはもちろん1粒のチョコレートとウィスキーの少々濃いめの水割り。 ベッドに入ると、両脚がだるい。明日はリハビリがあるので、最初の20分の手入れで軽くなるだろう。 理学療法に感謝。

トンカツ

2015-02-21 15:56:10 | 日記
高校時代、よく昼飯の賭けがあった。その頃学食で最も高いのは120円のカツライスで、それを賭けるのだった。流行るのは大相撲のあるときで、クラスで最も相撲通と言われている(自分でも自信があると言っている)Y君が、賭けの台帳を作った。それは中入り後の取り組みの中から3番を選び、A・Bに分けて勝負を競うものだった。つまり、AチームにもBチームにも3人の力士がいて、そのうちの2人が勝てば賭けも勝利するわけだ。当然に横綱対平幕などは賭けの対象にはならず、どちらが勝つかわからないものをY君が選んで3マッチを並べるわけで、それなりに面白かった。 賭けも真剣だった。当時の120円は、学割で封切映画を観ることが出来たし、喫茶店のコーヒーは1杯50円である。愉快だったのがY君自身の賭けで、彼はギャンブルカードを作る役だから、自分が書けるのは最後になっていて、よく負けていた。それに気づいた誰かが、「今日は、おまえが最初に賭けていいよ」と言い出し、みんなも賛成した。繰り返すが、Y君は自称とはいえ相撲通だから、巧みに自分が勝つように取り組みを選べるはずだと考えるのが普通で、実際にY君乗りのカードを買うのが早い者勝ちの人気になった。私は違った。ここのところ彼はツイていない、自分が作った賭け表であっても負ける公算が大だと見た。 これが当たった。家でトンカツを食べると、私はこの昔話を思い出す。今夜の酒肴はカツとタマネギの玉子とじ煮で、これは昨夜の残りを利用したものだ。私は、このカツ丼の屋根が好物で、特にトシをとってからは日本酒に合う気がしている。