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お礼

2013-07-30 18:29:28 | 日記
「そうだ、あの110番の方にも」と気付いた。3年前、大病から生還し、お世話になった病院のドクターやナースセンター、ICUのみなさんなどに礼状を書きながら、倒れたときのことが頭によみがえった。 胸部の激痛の中で電話機をとり、119をまわすべきダイアルを間違えて、そのとき応対してくださった110番の方(中年男性の声だった)が、少しずつ意識が薄れて行く私に励ましの声をかけながら、救急車やハシゴ車など、すべての手配をしてくださったのだった。家人が市の警察に訊いてみると、110番というのは、最寄りの警察につながるのではなく、県央(横浜)にある総合センターに行くのだそうで、「ひとこと御礼を申し上げたいので」と言うと、「それは公務ですから、どうぞお気遣いなく」と丁寧な言葉が返って来たそうだ。むろん、その他にも御礼を申し上げたい人はある。 倒れてから生還するまでの間、私を助け支えてくれた人の数は、その顔を思い出すだけでも、かなりの時間が要るほどだ。  先週、ある鉄道の駅で、1人の女性が電車とホームの間に落ち、そのとき多くの乗客が車体を押して、車体の下にあるクッションの作用と瞬間的に合致して隙間ができて、女性は無事に救助されたという、グッドニュースがあったが、その女性も、みなさんの力(おかげ)をしみじみと感じているだろう。 そして、やはり「どうやってお礼をしたらいいのだろうか」と考えているのではないだろうか。

7月28日

2013-07-28 21:04:45 | 日記
この前の木曜日の神奈川大会で、注目の松井裕樹投手(桐光学園)が敗れたが、春のセンバツ準優勝の安楽智大投手(愛媛 済美)は甲子園行きの切符を手にした。 春の決勝はスタミナ切れで浦和学院に打ち込まれたが、上甲正典監督が2番手投手をどう育てたか。とにかく今年は久々に好投手の優勝を観たい。  殺人、事故、大雨。ほとんど毎日こういうニュースで朝が始まる。英国王室のジョージちゃん誕生が明るいのが救いになっている。 キャロライン・ケネディ氏の駐日大使就任も時の流れの早さを確認させてくれる。あの、ダラスの暗殺から今年で半世紀が経つ。 家人が昨夜のテレビ番組で福永裕一騎手と将棋の渡辺明竜王の対談を観て、福永君を気に入って馬券を買いたいと言う。 レースは新潟名物アイビスS.Dで、彼が乗る7番の馬は4番人気だったが、まさかの出遅れで凡走。私はカタいところで10倍ちょうどを当てて、ま、儲けは少ないが、夫婦そろって健全娯楽。 このところ株の下げがキツい。やはり秋の臨時国会までは夏休みか。 選挙で負けた各野党のゴタゴタも、みっともない。期待は与党の経済対策だけで、利己的に言えば、株さえ上がればOKとなる。 8月1日は病院の健康診断。8日からは甲子園。今宵のツマミは、練りウニをのせたクラッカーで、もらい物か、娘の土産か。とにかく、やたらと旨いので食べ過ぎに注意する。

2013-07-27 20:52:22 | 日記
黒のスーツは、いまや日本人男性のユニフォームのようになっている。政治家達を見ていても、黒を着ていないのは麻生太郎さんぐらいのものだ。あの、右へ習え~はどこから始まったのか。 私は黒の背広を着たことがない。そんなものが短髪肥満の人間に似合うはずもなく、チャコールグレー(ネクタイも同じ)で葬儀に出席した。この墨灰色のダブルというのは便利なもので、ネクタイを替えれば祝い事にも通用した。黒で思い出すのが、ラグビーのニュージーランド代表「オールブラックス」で、あれは、いかにも強そうに見える。 茄子紺と呼ばれる色があるのを知ったのは50歳頃だっただろうか。 それまで私は、ナスはムラサキの代表だと思っていた。家人にそのことを言うと、「ムラサキはこれでしょ」と言って、風呂敷のようなものを見せてくれた。 なるほどそうかとは思ったが、その判別の区切りはよくわからなかった。そういえば、明治大学の校旗は、たしか紫紺だった。そうなると、もう私にはわからない。   性的魅力を利用して異性を誘うことを色仕掛けと言い、男女の秘め事を色艶ごとと言うけれど、そういう場合の色は、カラーではなくムードのようなものを言うのかと思うが、一方で女性のセクシーさを、ピンク、桃色ナントカと表現したりする。いや、この辺にしておこう。要するに、私は、色のことは、之不可解 なのだ。

暑がり

2013-07-27 20:44:51 | 日記
3月下旬あたりの、まだ少し寒さのあるときに、たとえばレストランや乗り物の中などで、自分だけが額にうっすらと汗をかいて、それを手で拭っているのに気付く~といったことがよくあったのを思い出す。 子供の頃のことは忘れてしまったが、20歳を過ぎるあたりからは一級の汗かき人間になった。かつて阪神タイガースの一時代を築いた村山実投手も大汗型体質であって、もし彼がそういう体質でなかったら、もっと活躍できたはずという評もあったが、汗をかくのは健康に良いのは当然とはいえ、かき過ぎるというのもまたシンドいものなのだ。 通勤用とヨソユキ用のオーバーコート、それにトレンチコートを持っていて、特にトレンチコートが好きだったから、たとえばちょっとポカポカとした冬の休日に家人と外出するときなどに、それを着ようとすると、「こういうときのために、いい方のオーバーがあるじゃない」と言われたりした。たしかにその通りなのだが、伊達の薄着なる言葉もあるように、厚手のコートばかりの街をトレンチコートに慶大ラグビー部のタイガー色のマフラーで歩いてみたいというキザ心があった。 しかしそれだけではなかった。若い頃(還暦前まで)の私は、よほどの日を除けば、冬の寒さはたいしたことはなかった。 いま(7月27日午後6時)、私はエアコン温度28度の部屋に扇風機を2メートル横でまわし、半袖シャツに短パン姿でこれを書いているが、額にも、髪のない頭にも汗がある。 扇風機の届かない場所でテレビを観ている家人は、先刻から「ああ、気持ちいい」と涼しげだ。 「暑いなぁ」と言うと「お酒を呑んでいるからよ」という答えが来るから、黙っている。 山盛り氷を入れた水割りが旨い。

親孝行

2013-07-27 20:44:33 | 日記
中国では、俗に親孝行法と呼ばれる法律があり、たとえば、親から離れた土地で働いている子供に、「1年に一度は必ず親元に帰ること」などを定めているそうだが、こういうことって、法律で決めるというのはどうだろうかと思ってしまう。親子関係といっても、必ずしもすべてが良好というわけではないし。   「孝行は いつでもできる 長寿国」というのは、20年ほど前に私が作った川柳で、むろん「孝行のしたいときには親はなし」の名句を裏返しただけのものだが、選者が同感してくれたのか、新聞に載った。 そして、自分が生き過ぎの年齢になって、そのことを実感している。 私は現在でも、家人もやがては娘達の力を借りなければ生きることはできない。 それに反して私は親孝行をしてこなかった。父は早死にしたが、母は長寿だった。母の老後は妹が看た。 孝行のひとつに、立派な人間になることがあるかと思うが、私は立派どころか、誰の役にも立たぬままに旅立ちの時を待っている。  家人の名は孝子であって、たとえば旅行案内のペーパーがほしくて電話して、そのとき自分の名を、「親孝行の孝です」と説明すると、旅行会社から「高子様」と書かれた封書が届く。私が、「どこかに大屋高校という学校があるのではないか」と言い、笑い話になるが、これでわかるのが、親孝行という3文字語はすでに死語になっているということだ。