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年越し酒

2011-12-31 20:56:04 | 日記
12月30日が仕事納め、社員食堂で冷酒を酌み交わす。笑うことの少ない社長もご機嫌顔だ。ボーナスも期待通りだった。自動車業界は好況であり、藤沢に新築した工場も多忙だった。昭和40年、サラリ0マン生活も悪くなかった。酒盛りが終わり上司の家に向かう。 メンバーは5人、年末恒例の麻雀大会である。 上司の奥様が明るい方で、その夜の安眠妨害も笑って許してくださった。 麻雀はいつものように進行し、いつものように私が勝つ。 メンバーが5人だから交代で眠れるのだが、私はトップが多いから(2着抜け)、横になるのは1時間ほどか。 疲労を紛らわすためにウィスキーをちびちびと呑むが、全く酔わない。 ゲームセットは午前8時。奥様が握り飯と味噌汁、玉子焼きを用意してくださる。 上司宅と私の住む団地はタクシーで10分ほどだった。家に帰って、まずは入浴。同じ団地にマッサージ師がいて、出張してもらう。 言葉にすれば、極楽ゴクラクだ。 うとうとすると夜になっている。 年越しソバをツマミに、ビールが旨かったのを憶えている。  それから47年。今日はDVDで『刑事コロンボ』を観た(娘が全巻をそろえている)。 やっと5時になって、年忘れニッポンの歌。紅白の時間には眠ってしまうし、観たとしても私向きのものはないだろう。年越し酒は、熱燗の樽酒で、ツマミは八つ頭の煮物、タコと紅白ナマス、いずれも正月用だが旨い。もうすぐ年越しソバも出てくるだろう。

2011-12-31 20:30:53 | 日記
今朝は久しぶりにテレビを観て笑った。『はじめてのおつかい』で、内容は皆さんご存知だろうから省略するが、笑いながら「この前テレビで笑ったのはいつだっけ?」と考えるほどに、最近はおもしろいものがない。 お笑い芸人とやらが叫んだり喚いたりするだけのものをユーモアだと感じる人がいる、そのことを貶しているわけではない。私が不思議なのは、プロデューサー達がなぜ似たり寄ったりの感覚なのかということだ。たいていの人は、似ることを嫌うのではないだろうか。 いわんや、プロデューサーの方々のIQはかなり高いものだと思うのだが。  サッカーの試合で、選手達が子供の手をひいて入場する場面をよく見るが、あれは1ツの習慣なのだろう。それはともかく、そのときの子供達に、嬉しそうな(あるいは楽しそうな)笑顔がないのはなぜなのだろう?  民主党からポロポロと離党者がでてきた。野田・小沢の対立軸は表向きは消費税であるようだが、どこか陰気な雰囲気だ。民主党が民主的な集まりであるのなら、党大会もいいが、小沢・野田会談があってもいいのではないか。むろん、ちょっと考えてみただけではそれはムリだとわかる。こういうときに必要なのが、時の氏神(仲介役)である。どうですか、渡部恒三さん?   「こうなったら、もう病気から逃げるのではなく、抱えて生きて行こうと思う」といった癌患者などの言葉がよく本の広告などで紹介されているが、これがわからない。  私は、家の中をステッキで歩く腰痛人間であり、避ける(逃げる)ことなく、まさに抱えて生きているけれど、できれば逃げたいから痛み止め薬に頼っている。   この痛みさえなければ(痛みをとる方法があれば)生涯禁酒してもいいと思いながら、いま水割りを呑んでいる私の頭は、かなりイカれているのだろうか?

あの日、あのとき

2011-12-29 20:55:51 | 日記
テレビの国会中継を観ていると、ニュース速報のテロップが流れ、「石原都知事再出馬へ」の文字が映った。正確ではないが、午後1時半頃ではなかったか。 その後、国会の問答がおもしろくなくなってきたので、ラジオに切り換え、テレビの麻雀ゲームを始めた(これも指先と頭を使う、ボケ防止法の1ツだ)。   やがてラジオから耳慣れぬ音とともに緊急地震速報が早口で「ただいま、東北地方に強い~」と伝え、すぐに停電し、私の体も揺れた。1人掛けのソファが水面に浮かぶ小舟の感じになり、私は目の前のコタツの上板をつかんだ。テレビが台から落ちて発火するのではないかと思った。 安心の尺度は仏壇にあった。そこにある位牌、水を入れた器などは、最も落下しやすいはずで、それが落ちてこないのが、ひとつの安心につながった。その頃被災地では~、これはもう何度も報道されているのでどなたもご存じだろうが、悲壮な時間が流れていたことになる。あの3月11日。   昨夏、私は胸部大動脈瘤破裂で倒れた。その発症の瞬間、たまたま電話の子機が目の前にあった。もし、そのときトイレに入っていたら電話機まで歩くことはできず、数分後には(多量出血で)失神するから、夕方に帰宅した家人は私の遺体と対面していただろう。  3.11には、紙一重、間一髪の差が命運を分けた例が無数にあると思う。 1年の終わりにあって、それぞれのご家庭で、あの日・あのときは、どう語られているだろうか。いかにも寒くなりそうな冬が、まだ入り口でしかない。

あの日、あのとき

2011-12-29 20:55:51 | 日記
テレビの国会中継を観ていると、ニュース速報のテロップが流れ、「石原都知事再出馬へ」の文字が映った。正確ではないが、午後1時半頃ではなかったか。 その後、国会の問答がおもしろくなくなってきたので、ラジオに切り換え、テレビの麻雀ゲームを始めた(これも指先と頭を使う、ボケ防止法の1ツだ)。   やがてラジオから耳慣れぬ音とともに緊急地震速報が早口で「ただいま、東北地方に強い~」と伝え、すぐに停電し、私の体も揺れた。1人掛けのソファが水面に浮かぶ小舟の感じになり、私は目の前のコタツの上板をつかんだ。テレビが台から落ちて発火するのではないかと思った。 安心の尺度は仏壇にあった。そこにある位牌、水を入れた器などは、最も落下しやすいはずで、それが落ちてこないのが、ひとつの安心につながった。その頃被災地では~、これはもう何度も報道されているのでどなたもご存じだろうが、悲壮な時間が流れていたことになる。あの3月11日。   昨夏、私は胸部大動脈瘤破裂で倒れた。その発症の瞬間、たまたま電話の子機が目の前にあった。もし、そのときトイレに入っていたら電話機まで歩くことはできず、数分後には(多量出血で)失神するから、夕方に帰宅した家人は私の遺体と対面していただろう。  3.11には、紙一重、間一髪の差が命運を分けた例が無数にあると思う。 1年の終わりにあって、それぞれのご家庭で、あの日・あのときは、どう語られているだろうか。いかにも寒くなりそうな冬が、まだ入り口でしかない。

年上の女(ひと)

2011-12-29 18:14:39 | 日記
玉電の若林駅で降りると荒井恵子さんが人待ち顔で立っていた。 荒井さんはNHKのど自慢の出身の歌手で、『森の水車』の歌で人気が出た。 彼女の行先が天地真佐雄さん(のど自慢の伴奏や3ツの歌などのピアノ奏者として有名)の稽古場であることはわかっていた。それは我が家のトイメンにあった。 私は自分が向かい側に住んでいることを言って、荒井さんの荷物(スーツケース)を持つことを申し出た。 小太りでかわいい顔のスター歌手は「申し訳ないわ」を繰り返したが、結局は私の申し出に頷いた。 盛夏の暑い日だった。スーツケースの中身は衣類だと思ったが、17歳の若い力でも少し重かった。右手に荷物を持つ私の左側から荒井さんが日傘をさしかけてくれる。 荒井さんの脇と私の脇が触れ合い、汗と汗が混じり合う。駅から家までは約10分、私は、もっと家が遠かったらよかったのに・・・という感じになった。稽古場のドアから、越山あつ子さん(天地氏の愛人で、今なら週刊誌のネタにされそうだが、昭和28年当時にそれはなかった)が出てきて、「あーら、ごめんなさい。誰も(迎えに出る若い新人歌手)がいなかったのよ」と高い声で言い、私の体を叩き、ありがとうと言った。 年上の女性という言葉に接すると、私は反射的にその日のことを思い出す。2人で映画に行ったり、神宮球場へ行ったりする同年代の女の子とは全く別の雰囲気を持つオトナの女性を強く感じたのは、その日が最初だったかもしれぬ。 それを漢字1文字にすると、『甘』となるだろうか。