中学生時代のお年玉は100円(硬貨ではなく紙幣)が単位だった。100円札1枚の価値は、当時もっとも安かったタバコ(ゴールデンバット)が1箱20本入り40円、格上のピースがその2倍の値段だったことで、凡その見当をつけていただけるかと思う。 お年玉の愉しみは正月に叔父(街の税務署勤務)を訪ねて来る酔客たちの気前にあった。役所の同僚も来たが、叔父が節税法でも教えているのか、商店主達もいた。家は狭かったが、長居する客は少なく、つまり、回転がよかったのは、叔父を慕う女性(税務署の後輩)が手伝いに来てくれていたので、客達に遠慮があったようだ。それに加えて、その頃の酒は品質が悪かったから、酔いも早く、2時間も呑むと、庭へ出て小間物店をを開く(嘔吐する)オッチャンもいた。 お年玉の使い方は主として買い食いだった。1皿30円、1杯30円のヤキソバとラーメンがメインだった。今の子供達と私達の子供時代の決定的は差異は、自分の金で自分の食べ物を買う必要の有無にあると思っている。 お年玉の単位が千円札になったのは、高校2年生になった(昭和27年)頃からだったと思う。前記の100円札の時代からわずかの間に、お年玉の単位が何倍にもなったのは、いうまでもなく、日本国が発展途上にあったからである。労働者の賃金は、まだまだ安かった。しかし、どこかに、明日があるさという希望があった。池田勇人蔵相(のちに首相)が所得倍増論を打ち出すのは後のことであるが、それに似た期待がオトナ達にはあったのだと思う。お年玉の使途も、ヤキソバからセーターや替えズボンに進歩した。 学生仲間の麻雀のレートも、千点50円(ただし、まだドラなどのないルール)にアップしたりした。高校生でも、お年玉でフトコロが温かいから、半荘キャッシュでやろうぜという元気な声がかかった。
今年を振り返る型のニュースの中で、先日引退表明した松井秀喜選手がとりあげられていて、その中に、星陵高校時代の監督・山下智茂氏のおもしろい証言があった。なんと、高校時代の松井選手には、ホームラン(を打て)のサインを出すことがあったというのだ。むろんバントのサインなどとは違って、ホームランでも打ってみろよという軽い気持ちのものだったかと思うが、彼はそれに応え、18回出した合図にすべてホームランを打ったそうだ。やはり、凄い打者だったのだと感心した。 娘あてに、仕事関係の人から、宅急便でおせち料理の重箱が届いた。うれしくありがたいことだ。料理の味のことや、家人がラクになることもあるが、娘が仕事のことで、誰かに感謝されているというのが何よりだ。 昼風呂に入ると、外からかなり大きな雨音が聞こえて来た。私は、昔の渾名(ヤボ)が示すとおりの人間であって、すなわち風流を解する感覚はないが、昼風呂と雨音の組み合わせは悪くない。20年前なら昼酒を1杯というところだ。 サラリーマン時代の12月30日は仕事おさめで、会社から上司の家に直行して、徹夜麻雀になるのが毎年の習慣だった。明けて大晦日、帰宅すると、同じ団地に住む麻雀メンバーから、正月の予定を決める電話が入る。それが昭和41年からの習慣だった。それ以前(子供がいない頃)は、徹夜の眠い目をこすりながら、家人の両親や妹達と熱海の宿へ行った。当時、家人が勤めていた証券会社の保養所がって、立派なごちそうが出るのに安い料金だった。いま午後6時15分。娘は出勤し、家人は買い物に出ている。いいマグロの刺身が買えるといいのだが。 テレビの麻雀ゲームで役満(四暗刻)ができた。10枚だけ買ってあるドリームジャンボ宝くじで明日大穴が当たる予兆であるかどうか。
今日(29日)はテレビのリモコンの、どこを押しても似たりよったりのものばかりだった。たいていは、お笑いと称する男女が、叫び、喚き、笑って食べるだけの内容だ。お笑いさんにケチをつけるのではない。彼らは台本通りにうごいているわけであって、面白いモノを作れない責任は、テレビ局(あるいはプロデューサー)にある。しかも、そのつまらない番組の中には、制作費が高そうなものもあるから、モッタイナイ話だ。 金をかけずに視聴率のとれる方法は少なからずあるはずだ。 なんと言っても高齢化社会である。テレビ局がストックしているであろう、昔の名画(洋画でも邦画でもいい)を、ニュースとする天気予報以外の時間に、1日中流し続けるのも一案ではないか。私が入院していたときの経験を言うと、高齢(60歳以上)の患者さん達は、よくテレビドラマの再放送を観ていて、それはたとえば「大岡越前」であり、「暴れん坊将軍」だった。決して、それらが駄作だと言うのではなく、つまりは懐かしいものの再放送を喜ぶ老人がいることは確かなのだから、第三の男、荒野の七人、死刑台のエレベーター、太陽がいっぱい、ローマの休日、地下室のメロディ(邦画は省略)あたりを、ぶっ通しで流せば、1日中チャンネルを切り替えない老人(録画するケースも多かろう)は多いはずだ。 もう何年も前になるが、大晦日の朝から夕方まで、テレビ東京が、松本清張ドラマを放映し続けたことがあるが、あれも1つの名案だった。とにかく、今日のテレビは、あまりにも芸がなさすぎる。 ついでに言うと、31日のNHK紅白歌合戦も、もう賞味期限が切れとんのとちゃいますか?
今年3月の某日、買い物帰りの車を走らせていた家人の目にとまったのがA不動産のマンションのモデルルームの看板で、家人は車をとめて中に入った。興味半分からではなく、頭の中には現在住んでいる家の老朽化があった。 築40年、あちこちに綻びが出ていて、1つ1つに手を加えても、重傷の体にトクホンを貼るようなもので、追いつかない。 買うなら一戸建てかマンションかであるが、後々のことを考えると、まだ40年は生きねばならない娘にはマンションの方が利便性が高く、セキュリティの面も勝っている。2,3日経って、家人は娘を連れて再びモデルルームを訪れ、娘もひとめで気に入った。話はトントンと進み、10日後には手付金を打った。完成は来年の3月である。 「男って(物事を)決めないね。決めるのが遅い」とは娘の口癖であり、その論には私も同感している。今回のことも、家人と娘だったからこそ、決断→実行が早かったのだと思う。むろん私は居候(居候老)的存在なので、何の口出しもしないが、たとえば、これが娘でなく息子(がいたとして)であればどうだったろうかと考えてみると、そうはスムーズにいかなかった気がする。 今年の我が家のトップニュースは、この新居購入である。 野田元首相の12月16日選挙発言以来、今日(大納会)までの間に株(日経平均)は1,700円上がったが、トップニュースとなるほどのウリは出せなかった。つまり、来年への期待もあって、餅代稼ぎ程度の値では売れないのだ。来年は引っ越し騒動と、孫の大学受験で始まるだろう。引っ越しもまた、何を捨てるか、何を残すかで、女の決断と実行が見られるはずだ。
たとえば野球中継のアナウンサーが「ど真ん中の直球」などと言うのは標準語ではない。 「ど」をつけるのは関西の特徴であると山口瞳先生が何かに書いていた記憶があるが、たしかにそうだと思う。 「ど真ん中」は、「まん真ん中」が標準か。 『男どアホウ甲子園』という漫画があったが、これは『男大バカ甲子園』では力不足で、「どアホウ」の方が快い。名古屋市長の河村たかしさんは、「どえれぇこっちゃで」を連発するが、これも大問題よりは耳に残る。 「ど助平」と評されたのが強制ワイセツで、大阪知事を棒に振った横山ノック氏だったが、最近は「どエッチ」なる表現が一般化しているようだ。埼玉に住む友人が「ウチは埼玉と言っても、ど田舎ですから」と話すのを聞いて、「ははぁ、うつったな」と思ったことがあるが、関西弁に感染する(マネしたがる)人間は少なくない。いつだったかテレビドラマのセリフに「どデカい(大きい)金が入る」というのがあったが、これは関西を真似た造語ではないかと思った。 私は9歳になるまでの6年間を兵庫県で暮らしたが、「どデカい」というのは耳にしたことがなく、「ごっつい」が常用されていた。 「ど」は、何かの語を強調するときに用いられる接頭語だという気がするが違うだろうか。 たとえば、ヤクザ映画の主人公を演じる俳優さんには迫力のある顔が要求されるが、そこに1文字足して「ど迫力」となると凄みが増す気がする。 まぁ、「ど」にもいろいろあるが、いちばん雰囲気が出ているのは、「どケチ」ではないだろうか。みなさんの周囲にも、ケチん坊は必ずいると思うが、その中でも、うんとコマカい(あるいは守銭奴的な)一人を浮かべると、「どケチ」がピッタリやなぁと感じられるのではないか。