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三軒茶屋

2016-03-30 22:28:21 | 日記
学校の帰りに玉電の三軒茶屋で下車することがよくあった。玉電(東急玉川線の略称で、路面を走った)は、渋谷から下高井戸行と二子玉川行きの2本あって、私の住んでいた世田谷の家は、下高井戸行の西太子堂と若林のどちらの駅で降りても徒歩5分のところにあった。三軒茶屋は下高井戸ラインと二子玉川ラインの分岐点でもあり、駅の周辺を含め、ちょっとした商店街があった。
三軒茶屋で降りて、パチンコ店に行った。私は極めて不器用な人間であるが、パチンコの玉を弾くことと、麻雀の牌捌きだけでは指先が器用だった。パチンコで当てて、玉を煙草のピースに替え、それが近くのウナギ屋で30円で売れた。ピースの正価は45円だったから、ウナギ屋だって客から「煙草、ある?」と訊かれれば、15円儲かる勘定だった。
学生仲間の麻雀に飽きると、三軒茶屋の雀荘でオトナ相手に打った。若き日の山口瞳さんは、オトナ相手に連戦連勝だったそうだが、私も勝率は高かった。麻雀で稼いだ金で、酒を呑んで家まで歩いて帰ることも多かった。三軒茶屋の隣が西太子堂だった。
ごくまれに、現在の三軒茶屋がテレビに映ることがあるが、どこがどうなのか全くわからない。あの頃、あの町でいちばん大きかった建物は緑屋だったが、それもわからない。それはそうだ。以上のことは60年前のことなのだから。

指圧

2016-03-30 22:24:02 | 日記
訪問マッサージという名で指圧の名人が週に1回、治療に来てくれている。名人は全盲だが、性格は明朗だ。35歳で指圧技術という点ではすでにベテランであって、これほど巧い指圧師に出会ったことがない。 治療は1回約30分で、そのうちの15分は私が「痛い!痛い!」と声を出す。私が話すアレコレに名人が笑い、付き添いの人も、家人も笑う。脊柱管狭窄の手術は成功しているのに、まだ左右の腰が痛い。名人は、「ボルトが馴染むまで、半年はかかる」と予言する。指圧治療が終わると、腰痛は軽くなり、歩行器を頼ればスタスタと歩ける。名人の指先が圧したのは、もちろんボルトのあるところでも、その周囲でもない。足先から足の筋肉、肩、腕、頚筋をごく普通のjコース同様に柔軟にする行為だけだ。「今日は、ここまで」という名人の声で、治療が終わると眠くなる。めまいを伴って、眠くなる。

タレント議員

2016-03-28 22:12:31 | 日記
石原慎太郎氏が参議院全国区に立候補して300万票を得て当選したのは昭和43年ではなかったか。青島幸男氏も150万票を獲り、その頃からタレント候補(議員)という言葉ができ、宮田輝氏、横山ノック氏…扇千景氏は最後は参議院の議長にまでなった。その後も選挙が近づくと、誰や彼やとアレコレの顔が取りざたされるようになった。
この夏の参院選で自民党が推そうとしていた乙武洋匡氏が週刊新潮で浮気をバラされちゃったので、これでは女性票は無理だから、自民の選対はガッカリしただろう。
「でも、乙武さんの不倫って(女の側から考えても)不思議ねぇ」と家人が言うが、私も同感だ。家人は五体満足なれど腰痛を抱えた老亭主の介護だけでも大変なのだから、その辺のことは想像できるだろうし、面倒をみてもらっている私にだってわかる。
昨今のテレビを観て、この人ならば参院選で勝てそうだと思うのは、池上彰氏だ。林修氏もウレているが、「今じゃない、まだでしょ!」か。

3月27日

2016-03-28 22:05:38 | 日記
センバツ高校野球で秀岳館(熊本)が16対0で南陽工に大勝。この学校の監督は早大でも松下電器でも好打者として活躍し、更にはパナソニックの役員にまで出世した鍛冶舎巧さん。大会社の役員を辞めてまで高校野球の指導者になるというのはすごいと思う。野球の虫と言ってしまえば、それまでだけれど。
昼食のハヤシライスが旨かった。スープは小袋に入った既製品であるが、これを使ってビーフシチューができると思った。但し、ビーフシチューは家人が好まないので、実現はしないだろう。
競馬は高松宮記念で、ウリウリが直線で伸びると見て馬連で流したが凡走。
家人の誕生日祝いの鮨パーティーだが、次女と孫は多忙で欠席。正確な生まれは29日だが、3月29日というのは、何かギリギリの感じがしておもしろい。
快晴で湿気が無いからか、腰の痛みが軽い。指圧のS名人から「雨期は大変ですよ」と今から脅されているが、手術は成功しているのに腰が痛むのは、体内にボルトという異物が入っているからだそうで、それが馴染んでくれるまでには時間がかかるようだ。とにかく80歳の老体だからなぁ。朝の血圧は133-83。

ケ・セラ・セラ

2016-03-26 18:54:23 | 日記
織田信長は、意のままにならぬものとして、「賽の目、川の流れ、叡山の僧」を挙げたが、後になって比叡山を焼き討ちしている。別の言い方をすれば、ままならぬものを自力で除去したわけだ。
40代の頃、或る同人誌に「私の人生観は、ケ・セラ・セラ。人生、なるようにしかならないのではないか」と書いたら、60、70代の長老たちから「人生は戦い。早くから諦めるのはよくない」と叱られた。信長は叡山の僧兵と戦って勝った。しかし、普通の人間は、信長のようには強くはないのではないか。
闘病という言葉がある。特にガンとの闘いについては多くの本が書かれている。私は腰痛と闘うのではなく、仕方がないから我慢して10何年か生きて来た。昨年になって家人と娘が名医を探し出してくれ、今年になって手術を受けた。結果がどうなるかは時が経たないとわからない。もし痛みが全くなくなったら、腰痛と闘って勝ったことになるのか。それとも流れにのっているうちに自然に勝ったことになるのか。もう1つあるのが、老化である。闘老という語はあまり聞かないし、そのことも含め、やはり人生、ケ・セラ・セラであるのではないだろうか。