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吹(噴)き出す

2013-09-26 11:02:08 | 日記
「Aさん、あなたはそうやって、人事を尽くさず、ただ天命だけを待っているのですか?」。 社長が部屋に入ってきたA部長に言った。仕事が遅れていた。自動車部品メーカーでは納入遅延のことを欠品と言っていたが、欠品続きで社長も苛立っていた。人事を尽くさずに~は、社長流の皮肉だった。部長は顔を赤らめ、口ごもるように「はい、そうです」と答えた。もちろんヤケクソで言ったのではなく、何かの聞き違えであっただろう。2つ隣の関にいた私は黙って立ちあがり、トイレに行くふりをして廊下に出て、階段を降りながら、口と鼻を押さえたが、吹き出し笑いを止められなかった。社長は怒ると目つきが変わるが、部長はどこかノホホンとした雰囲気を持つ人間だから、役者もセリフもそろい、これ以上のユーモアはないと思った。 お二人とも、すでに故人になられたが、あちらであのときのことを語り合うことはないだろうか。  「やっぱり肌ざわりが違いますね」「ホント、しっとりとしたフィット感といいますか」「ホンモノはホンモノの良さがあります」~、3人のタレントがシルク製とやらの女性用着衣を褒め讃え、やがて1人が「ところで、気になるお値段ですが・・・?」と切り出し、説明役が「今回に限り、それも500名様だけです」と言いながら、9,980円と書かれた札を掲げる。もちろんすぐに「えーっ!?これで1万円しないんですか!」と何か大変な発見でもしたような高い声を出す。  みなさんも毎日のようにご覧になっている、テレビショッピングのシーンである。あのタレントの人達は、よく吹き出さないなぁ。 我慢強いなぁと私は感心する。9,980円はたしかに1万円を切っているが、わずか20円であり、送料を加えれば1万数百円になるのだ。あの人達は、練習に練習を重ねている(セリフあわせなど)だろうから、それを考えると、なおさらの笑劇だ。 偉い!あそこで吹き出さないのは本当に偉い。 あの人達は、我慢のプロだと思う。

9月22日

2013-09-26 10:56:40 | 日記
土曜日・日曜日にだけスポーツ紙が配達されるが、第一面に「田中マー君、連勝記録更新!」の文字が躍っていることが多いから、彼の登板は週末が多いのだろう。 昔、麻雀を打っていて、その日はカンも好く、ツキの後押しもあって、「今日は、負ける気がしない」ということがよくあったが、今の田中投手も負ける気がしないのではないか。  今のエアコン28度、昼寝の寝室26度、昼食は冷そうめん(昨日は冷やし中華)、まだまだ暑い。 食堂には扇風機もまわしている。  3日前から、家人に「せんねん灸」で腰を焙ってもらっている。 なかなかに快いが、これもまた持続時間が短い。ま、藁をもつかむ~の一例か。 祖母がよく本格的な(モグサを焙った)灸を肩で焙っていたのを思い出す。   彼岸という言葉を聞くと、何年(何十年か)墓参に行っていないかと思う。 神仏のことには無知だが、家にある仏壇は墓地の出張所の位置にあるのかどうか。とにかく、家人が、小さな花とおはぎを供えている。 今日は久々に競馬を休んだ。あまりにも堅そうだし、このところアタリも少ないので、この辺が休みどころだと思った。 来週から秋のGⅠレースが始まる。休んだときは予想もしない。もちろん、予想が当たっていたら癪にさわるからだ。   

佐藤さん

2013-09-26 10:44:28 | 日記
昭和36年の3月に自動車部品メーカーに就職した。佐藤Aさんがそこへ入社してきたのが翌4月で、高校の新卒で、当時で言う「金の卵」である。何日か後、Aさんと帰り道が一緒になり、途中で国鉄の蒲田電車区(大型の車庫のようなもの)を通りかかり、電車の運転の話になると、Aさんは「あんなものは、ハンドルをチャッチャッと回すだけで、簡単だ」と言い、もう一人の同僚が反論すると、「だってクルマよりは単純、チャッチャッだ」と繰り返した。 私は、そのCHA、CHAを聞いて、彼が面白い人物だと直感した。事実Aさんは開放的で頭も好く、「適当に勤勉、適当に横着」という私の人生観にも近く、酒友としてモッテコイの人柄だった。以来50余年が経つが、現在も、残り少ない親友の一人だ。 蒲田から藤沢へ転勤になり、3カ月遅れで佐藤Bさんも藤沢に移って来た。藤沢といっても長後という田舎町で、呑む場所も少なかったが、中に1軒だけタル酒の旨い店があって、当然にBさんともそこで呑む機会が多かった。 少し経った或る夜、上司と二人でタル酒を呑んでいると、店主が「よく一緒にみえるBさんは独身ですか?」と訊き、上司も私もすぐにピンときた。 嫁さんを紹介するという話だ。候補者は店主の姪であって、江の島に古くからある土産物店の跡取り娘。その後のことは前にも書いたので省略するが、このBさんは、マスオさんとして成功し、現在でも島のテッペンで元気に働いている。  佐藤という姓は、数の多さで日本2位(トップは、鈴木)だから、誰だって複数のサトウさんを御存じだと思う。私も指折り数えれば、10人(あるいは20人)以上の友人知人がいると思うが、前記の2人がすぐ頭に浮かぶのは、やはり戦友だったからかと思う。

暗い、明るい

2013-09-26 10:38:57 | 日記
私達の中学時代の集合写真と娘達のそれを見較べると、まさに、暗と明である(モノクロームとカラーの差は無関係)。私たちは制服を着ていない。敗戦から5年の日本には、公立中学の生徒に制服を着せるだけの布地はなかったのだ。もっと大きな違いは表情であって、私達はみんな空腹が顔に出ている。 衣食足りずして子供に笑顔無し、である。では、娘達と孫達に差はあるかというと、それはない。 平和が続く限り、子供達の表情は明るい。 我々の時代の初デートは、映画プラス喫茶店が定番だった(私と家人の場合は、神宮球場と中華料理店)。 デートの下敷きは「二人だけ」ということであり、映画館の薄暗さはそのことをナンボか演出してくれる。喫茶店では、どうしても小声で話すことになり、ちょっとした秘密ムードができる。それがやがて、二人だけの秘密へと進むのが、幼い恋であるのだろう。つまり、明るい日比谷公園よりは、薄暗い映画館の方が~となるわけだ。病室にも明暗はある。幸いにして、私は重体の病人と同室になったことはないが、そのことを除けば、病室の明と暗は、8割方、看護婦さん次第である。 3年前の入院で、まだICUにいた或る日、初顔の若いA子さんが「きょうお世話させていただくAです。おさびしい方、どうぞ声をかけてください。お話にうかがいます」と挨拶した。明るい顔、明るい声だった。室内の電燈が何倍か光を増したような気がした。

画才

2013-09-26 10:32:48 | 日記
小学校に入ってすぐに「お絵描き」の時間があって、題は『桜』だった。私は困った。桜の樹は我が家にもあったし、その幹と枝、枝の先に綿あめのように密集している桃白色の花を描くのはムリだとすぐにわかった。隣席の女の子の方を見ると、やはり太い幹から始めているようだ。ここで、私にあるアイデアが浮かぶ。桜の樹を描くのをやめて、一輪の花だけを、どこかの学校の校章のように描けば、ナントカナルと思った。結局、一輪の花をマークのように描いて提出したが、もちろんその種のものは私の一枚だけだった。やがて参観があって、壁に貼られた全員の絵を見てきた祖母が、私の一輪画のことを夕食の話題にして、みんなが笑った。  どんなに文字が下手くそな子供でも、年齢とともに少しずつマシな字を書くようになるものだが、絵はそうはならない。たとえば、私が今、目玉焼きを描いたとすると、それは誰が見ても、ただの二重丸であろうし、つまり、70年前と何の変わりもない。また、私は家族からも教師からも、絵の上達法について教わったことは一度もない。  画才は遺伝なのだろうか。 私の場合、祖母も両親も美しい文字を書く。妹も、母の遺伝なのか佳い字であり、また長女の字は妹に似ている。しかし、絵に関してはひとりも思い当たる顔が出て来ない。 と、ここまで書いて来て、姪(妹の娘)が、たしか高校の美術の教師をしていたことがあるのではなかったかと思い出した。 残念ながら、姪の絵を見たことはないのだけれど。