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テレビよりも

2010-09-29 20:25:19 | 日記
前回(6月)の入院のときは、W杯サッカーと参院選があったので時々テレビを観ていたが、今回(21日間入院)は、ほとんど観なかった。なんとなく面倒だった。長女が持って来てくれた週刊誌や山口瞳モノ(文庫本)は午前と午後に1時間ずつ読んでいたが、これは腕が疲れるまで飽きなかった。娘の観察によると、患者さんの多くはイヤホンを耳に挟んでいる(テレビを観ている)そうで、それは退屈しのぎというより、老人の生活習慣と思える(私のいた病院の患者の大半は老人である)。帰宅してからは、長女が録り溜めしてくれていた『龍馬伝』やミステリーものを観ている。家人に「病院ではテレビなんか観なくても退屈しなかった」と話すと、「大勢の人がいたからよ」とこたえたが、それはその通りだ。 ドクター、看護婦さん、他のスタッフ、患者さん、見舞い客・・・一人ひとりが役者であり、ひとつ1ツが小さなドラマだ。 「●●さーん(患者の名)、今日も奥さん来る?」「わかんねぇな」「きっと来るよ、昨日も来たんだからさぁ」「わかんねぇな」・・・どうです、このやりとり、テレビの三流ドラマよりおもしろいでしょう?

家族

2010-09-29 08:48:47 | 日記
祖父母と3人の叔父、叔母と私、それに3人の女中さん(祖父母が特別のブルジョアだったのではなく、当時は、地方の高等小学校を出て、就職先のない女子を、行儀見習いとして預かるのが普通だった)が、戦前のウチの家族だった。 それが私が経験した最も多人数の我が家だった。 祖母や3人の叔父が他界し、叔母が遠地に嫁ぎ、離婚して戻って来るまで、祖父と私の2人世帯の時期があったし、また家人と結婚してから最初の子供が生まれるまでの約5年間は2人暮らしだった(ただし、その時期は家人の妹が同居したりして、そこそこにぎやかだった)。 そして私の理想は、大家族にある。 自分の6親等、配偶者の3親等までを親族というそうだが、6親等といえば、たとえば従姉妹の孫がそうだが、そういう人物に生涯一度も会うことがないという例は(私もそうだが)世の中に少なくないだろうし、言い方が悪いかもしれぬが、生涯会うことのない親族よりも、自分で飼っているペットの方が家族としての親近感(近親感か)が強いのではないだろうか。 もし長女が仕事で外国に住んでいたら・・・、もし次女が北海道に嫁に行っていたら・・・と、今回の入院中に何度か考えた。「毎日、お嬢さんがきてくれて嬉しいでしょ?」と、看護婦さんに訊かれて、「ええ、息子じゃなくてよかった」と答えたが、それは実感だった。 家族に必要なのは男でなく女性である。ま、例外的に孝行息子もいるのだろうけど、若い皆さん、子供を産むなら女の子だよ。

9月26日

2010-09-26 20:54:58 | 日記
退院して12日が経ったが、1ツの変化は血圧で、病院では120-85程度だったのが、下が95を越えることが多いのは、薄味の病院食よりは少々濃いめの食事をしているからなのか(我が家も総体的には薄味主義であるのだが)。 尖閣問題は、「パンダをもらって尖閣を渡すのか(石原慎太郎氏)」、「日本はあまりオトナにならない方がいい(青山繁晴氏)」、「日本も核を持つといい(ウチの娘)」の3人の言葉に頷く。 高校1年生の孫娘の文化祭で、家人と2人の娘が見に行った。孫は、1枚40円で売るホットケーキを3万円分(750枚)焼かねばならぬそうだが、それよりも、750枚売れるかどうか。でも、おもしろい経験ではあるだろう。 競馬はオールカマー。入院中は娘に携帯電話で打ってもらって馬券を買いソコソコ的中していたが、このソコソコ(少額勝負)のクセがついて、何かドンとした買い方(といっても、1日5,000円を投じて、狙いの中心に3,000円、あと2,000円をバラ買い)に自信がなく、今日も投資額は2,000円。 狙ったシルポートは直線失速でアウトだったが、なんとなく残念にも感じないのは体力の衰えか。病院では、「今後の生活に、体力の衰えを感じることはたびたびあるでしょう。なんといっても、あれだけの大手術ですから」と言われている。 毎晩、ノンアルコールビールを呑んでいて、それに少量の「ホントのビール」を混ぜる。胃腸の病気ではないのだから、1日1合レベル(ウィスキー水割り2杯)ぐらいは楽勝かと思うのだが、これまた、「あれだけの大手術。死んだはずの身体なのだから・・・」と言われると、沈黙せざるを得ない。

九死に一生スペシャル その10

2010-09-25 21:24:38 | 日記
後半の12日間を過ごした一般病室(C病院に個室はない)は12畳ほどの広さを4ツにカーテンで仕切ったもので、義弟によると「イカシカ(東京医科歯科大のことで、彼はその病院に入っていた経験がある)より、ずっとキレイで広い」そうだ。 確かにベッドの横にはデスクもあって、その上にテレビがのっている。 確かに、ベッドは狭いが占有面積は(家人と2人の娘が同時に来ても大丈夫)ゆっくりとしていた。更にC病院が優れていたのが、患者離れの好さである。私は、執刀医がしばらくの間経過を看てくれると考えていたが、翌日からはICUがすべてを管理し、執刀医に再会したのは4日目で、それ以後も私の身体は入院患者担当区というか、執刀医とはスタッフに委ねられた。そして、その上での早期(新記録的)退院となるのだ。病院には、「当院の理念により一切の金品(謝礼)は受け取りません」と貼り紙があるが、同様のことが記されている病院でも、それが確実には履行されていない例を私は複数知っている。しかるにC病院には、そういう(ちょっとした礼金なら~といった)雰囲気が全くない。 私は今まで最も優れた(ドクターもスタッフも、そして経営方針も)病院にめぐりあったと思っている。

九死に一生スペシャル その9

2010-09-25 00:44:26 | 日記
山口瞳先生は、著書『礼儀作法入門』の中で、「病院見舞いは難しい」と書いている(20人からメロンをもらって困惑する人の例が挙げられている)が、見舞い品のことでいえば、一昔前と違って、昨今は現金主義であるのでわかりやすくなっている。 一方、見舞われる方にも苦労はあって、今回の私の場合は自分の妹の来訪すら断ったりしていた。むろん妹には会いたいのだが、先立つのが疲労感だった。肉体だけはない。頭というか神経の疲労もあったし、とにかく誰かの前でイヤな顔をしてしまうのが怖かった。しかし、9月12日(退院の2日前)にすごいことが起きる。かつての仕事仲間5人(うち夫婦が2組)、家人の弟とその娘夫婦と子供が、ほぼ同時刻に見舞いに来てくれ、我が家の4人を含めて総勢13人、私の病室の近くにあるロビーを、一族で占領し、1時間あまり雑談したのだ。翌日の最終検査(造影剤を投与してのCT撮影で、かなりきつかった)を乗り切ったのも、このパーティーで元気が出たのかもしれない。 その1時間、私が疲れなかったのは、大勢いたので却って気を遣わずに住んだからだと思う。 今日は9月24日。倒れたのが8月24日だから、まる1カ月が過ぎたことになるが、このヒトツキは長かったか短かったか。人生には、永い1日、永い1時間、あるいは永い1分間もあると思っているが、同時に、過ぎ去ってみればすべては短いときの間とも言える気がする。 来週の木曜日は、退院後初めての通院でチェックを受けに行くが、どの先生と会えるのか、楽しみもあり懐かしさもある。