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久々に

2010-07-31 21:31:20 | 日記
ちょうど、昨日の今頃、胃が痛くなった。久々のことだった。高校野球神奈川決勝にヤキモキしたのではない(あのゲームは、とにかく安打数が14対4だったから、名将・渡辺元智さんでも、どうにもならなかった)。 それにしても、東海大相模(我が家では、東海オオズモウと呼んでいる)が、「夏は、原辰徳さんがいた頃から33年ぶりの甲子園」と聞いて、ホンマカイナと思った。津末という強打者は原さんと同期だったか、いやその3年ぐらい下に村中秀人さんという好左腕がいたが、彼も夏の甲子園には出ていないのか。ま、彼らも久々なら、私の胃痛も久しぶりだ。 当然のことだが、若い頃は飲みすぎで胃が荒れるのが、月に4,5回はあっただろう。会社に、酒は呑まぬがキャベジンを常備している変わった同僚がいて、親切にしてくれていたが、飲みすぎの胃袋に有効なのは、とにかく水を飲んで(30分でいいから)眠ることしかなかったから、購買課というポストを利用して外注先へ出かけ、そこの応接室のソファで横にさせてもらったりした。 昨日の私の胃痛は何か?気づいたのは、冷えた日本酒(約80CC)を呑んで、ウィスキーの水割りの1杯目を口にしたときであり、ツマミはバターピーナッツ10粒、白売りの辛味漬け数枚で、昼食はザルソバであって、すぐに思ったのが薬だ。 普段から脳梗塞系の薬を数種類服用しているのに、今度は手術以後用の抗生物質などの薬が加わったし、それに対抗する胃の粘膜の準備ができていなかった。 久々の胃痛も懐かしい。家人が、コレで少しは酒を減らせるのではないかと言っているが、これも、飲みすぎだった昔を久々に思い出させてくれて懐かしい。

自分と結婚しなかった人

2010-07-31 00:28:09 | 日記
私の見合いは2敗1引き分けであるが、その2人について、ふと考えることがある・・・と、藤原正彦先生が週刊誌に書いておられたのを読んだ記憶があって、そのとき、私は、フランスの言い伝えに、「老後の楽しみのひとつは、自分と結婚しなかった人について考えてみることだ」というのがあったのを思い出した。さらにこのことを少し広げてみると、20余人(あるいはもっと多かったか)と見合いして、いまでも独身貴族である阿川佐和子さんが思い浮かぶし、それは楽しいだろうと頷くほかは無い。 もちろん、見合いに限らず、自分はもしかしたらあの人と夫婦になっていたかも、と振り返る人も少なくない筈だ。 私には大モテの叔父がいたと何度か書いたが、その叔父なら、もしかしたら結婚したかも・・・という人が3人はいただろうと思う。 高校1年生のとき、隣家にとても性格のいい、かわいい顔の4ツ年下の少女がいて、私は、その少女がいいお嫁さんになるだろうと確信していたし、40歳を過ぎて、同好会などで知り合った10年以上も先輩の女姓に、「この女性のご主人は幸せだろうな」と思うこともあったが、それは、もしかしたら・・・の世界の話ではない。人生いろいろ、結婚もいろいろであるが・・・、私が思うのが(家人も同じであろう)、ある日、あるとき誰かの紹介でお見合いして、2人とも、ああこの人でいいと思ったかどうかということである。見合いの席で調子にのった私が酒を呑みすぎ、家人が、こんな呑ん平はお断りだわとなったであろうことは、充分に考えられる。

7月29日

2010-07-31 00:14:37 | 日記
人生には絶対ということはありえない・・・というテーマで書かれた同人誌会の先輩の文について、「たとえば、人生の終わりの死は、絶対なのでは?」と言ったら、そういう意味ではないと叱られたことがある(私は50歳、先輩は70歳近かった)。 もちろん他にもあって、もし将棋の羽生名人と私が1千万円を賭けて対局すれば、(名人も1千万円を賭ければ手は緩めないから)絶対に、私が負ける。しかし、それが麻雀であれば、千点千円のレートでも、私が小島武夫名人などのプロと対戦しても、必敗とは限らない。 つまり、この世には絶対のある場面とそうでない場面があるのだと思う。 Aさんにプロポーズされて、君を絶対に幸せにするって言われちゃって・・・と、B子さんが笑いながら言ったとき、すぐに、その笑いの意味がわかった。 求婚する男が、相手の女性に向かって、絶対に幸せにするなんていえば、アホかいな(おこがましい)と思われるのが当然であるし、むろんA男とB子が結ばれることはなかった。 株と競馬は、これこそ絶対のない世界の典型で、老人ボケの防止には役立っている。 もうひとつは、体の健康だが、これも(どんなに節制しても)絶対というものはない。日本男子の平均寿命は79歳だそうだが、そこまで生きて何かの値打ちがあるのかどうか、よくわからない。人生の最後の希望は、(誰でもそうだろうが)安楽死である。あっと言ったがこの世の別れ、が理想である。 絶対にそうしてくださいよ、と八百万の神々にお願いしておこう。

16年

2010-07-28 21:04:59 | 日記
煙草はやめた。塩分のあるスープは1日1食(朝、味噌汁を食べたら昼食のラーメンの汁は捨てる)。 1人で外出しない。外出時には水のボトルを持つ。自分で血圧を測る。夏の海辺、サウナ風呂などは厳禁。その他にもいくつかあるが、何といっても朝晩服用している数種類の薬の効用が大きいだろう。 脳梗塞でダウンしてから、私の生活は一変した。禁煙するのに3カ月かかった。もちろん煙草はすぐにやめたのだが、口がさびしいので、ハッカパイプを90日間咥えていた。 食堂の卓上の醤油を、家人が日本酒で薄めた(これは、醤油の味が変わらないから、減塩志向の方はお試しください)。煮物は煮詰め主義で、たとえば鯛の煮付けなら、まず切り身を薄味のスープで煮て、火が通ったらひきあげ、残った汁をとことん煮詰めて、先の鯛にかける。 他も同様で、減塩とはイコール調理の工夫であるが、その主役は日本酒で、多くの場面で、「これ、薄味じゃないよ」を演出してくれる。神経的、肉体的ストレスの対抗策は、宮沢賢治の逆でいく。 雨ニモ負ケテ傘ヲサス、風ニモ負ケテ コートを着て、夏ノ暑サハ クーラーを回シ~でいく。  イツモ静カニ笑ッテイルことはできぬが、夜は必ず熟睡することは可能だ。脳梗塞患者の再発率は1年以内に1割、10年以内に5割(7割というデータもある)。 私は16年経っているので、時々ドクターから誉められるが、これはすべて、家族と近代医学のオカゲだと感謝している。

がっかり

2010-07-27 22:23:37 | 日記
「この問題を○○○と考えるのは私一人でしょうか、という文を読むと、がっかりする」と言ったのは誰だったか忘れたが(伊丹十三氏のような気がするけれど)、私はそれが頭に残って、以後(たぶん、それ以前も)決して使わないことにしている。この「がっかり」は、決まり文句というより、どこか道端で拾ったような安っぽさを言っているのだと思う。 同じように、「○○○と決め付けてしまっても、決して過言ではない」「まだまだ予断を許さない」など、私が自分に禁じている文言はいくつかあるが、この禁句を設けるのは、作文に役立った気がする。 会社のデスクでOKが「A課長ってケチやな、昨日ビアホールに誘われたけど、ジョッキ1杯とヤキトリだけで、さぁ帰ろうかやって」と悪口を言っていると、出張先に向かうA課長が電車の中でクシャミをするなんてテレビドラマのヒトコマを観ると、がっかりするより、アホカイナと気が抜けてしまう。 女房の代わりに亭主が(自分用に)淹れたお茶は、必ず「アチチ」という高熱であるというのも落胆する。 がっかりは世の常であって、私は株と競馬だけでも、そのことには馴れている。ただ、この2Kは、負け続けということはなく、勝利の酔いもあるから、前記のような文章やドラマのツクリに対する「これはアカン(もうシマイや)」とは異なる。 そうそう、「言うまいと思えど 今日の暑さ哉」って、誰の句ですか? ご存知の方、教えてください。 この5・7・5を巧いなぁと思うのは、私一人でありましょうか? いやぁ、暑い!