孫娘が2歳のときに右脚のふくらはぎに丸い腫物ができ、近くの病院では判断できず、大病院で
診断が出るまで、そこの小児科病棟に1週間ほど入院した。面会時間の終わる午後8時になると、病棟に泣き声のコーラスが起こった。当然のことである。面会に行っている母親たち(その1人が、私の次女)も泣きながら帰るのが常だった。小児科病棟には小学生の年齢の子供もいた。抗がん剤の副作用で毛髪が少なくなり、頭に布を巻いて院内にある学校に通っている小さな姿を見ると、娘はたまらない気持ちになったと言う。その話を聞けば誰だって胸が痛む。親たちもどうにもできない。医師たちにも助ける方法がない。これは神の手による不公平ではないだろうか。それ以外に言いようがないのではないか。哀しみの持っていき場がない。孫娘の脚の腫物がもし悪性であって・・・と創造するとき、私の考えはそこへ行きつく。神による不公平に行きつく。
20年前に脳梗塞でダウンしたときの私に対する友人たちの反応は、「呑みすぎ、遊びすぎ、不摂生」といったものばかりだった。返す言葉はなかった。その通りだったからである。サラリーマン時代の仲間との集まりがあったときも、そのことで冷やかされた。わずかに、でも残業・残業・徹夜・徹夜で仕事の無理もあったよなぁと言い出す友人もいたが、多くは、自業自得・自己責任を冗談化したものだった。ひとりの女性が、「神様は見ているのよ」と笑った。20年前の私の血圧は160が普通だった。病院の健康診断にも行かなかった。酒も麻雀もタバコも40年間、無制限に続けていた。健康のことでは家人に叱られてばかりだった。私の脳梗塞に関して、神様は公平だった。
診断が出るまで、そこの小児科病棟に1週間ほど入院した。面会時間の終わる午後8時になると、病棟に泣き声のコーラスが起こった。当然のことである。面会に行っている母親たち(その1人が、私の次女)も泣きながら帰るのが常だった。小児科病棟には小学生の年齢の子供もいた。抗がん剤の副作用で毛髪が少なくなり、頭に布を巻いて院内にある学校に通っている小さな姿を見ると、娘はたまらない気持ちになったと言う。その話を聞けば誰だって胸が痛む。親たちもどうにもできない。医師たちにも助ける方法がない。これは神の手による不公平ではないだろうか。それ以外に言いようがないのではないか。哀しみの持っていき場がない。孫娘の脚の腫物がもし悪性であって・・・と創造するとき、私の考えはそこへ行きつく。神による不公平に行きつく。
20年前に脳梗塞でダウンしたときの私に対する友人たちの反応は、「呑みすぎ、遊びすぎ、不摂生」といったものばかりだった。返す言葉はなかった。その通りだったからである。サラリーマン時代の仲間との集まりがあったときも、そのことで冷やかされた。わずかに、でも残業・残業・徹夜・徹夜で仕事の無理もあったよなぁと言い出す友人もいたが、多くは、自業自得・自己責任を冗談化したものだった。ひとりの女性が、「神様は見ているのよ」と笑った。20年前の私の血圧は160が普通だった。病院の健康診断にも行かなかった。酒も麻雀もタバコも40年間、無制限に続けていた。健康のことでは家人に叱られてばかりだった。私の脳梗塞に関して、神様は公平だった。