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なまけもの

2019-09-27 07:03:11 | 日記
いま私の酒壜箱(10本ぐらい収容できる)に日本酒の獺祭(だっさい)の中壜が2本入っている。1本は中身が半分ほどしか入っていない。先日、曾孫のボンちゃんが遊びに来た時に、彼の父親が「おいしい!」と言って半分呑んで行ったのである。この酒は、オバマ前大統領が訪日した時に、安倍首相が銀座の寿司店でもてなし、そのテーブルで酌み交わした銘柄として有名になった。

獺祭とは、獺(なまけもの)の祭りだ。巧い命名だと思う。洒落ていると思う。商品の名づけでは戦前のナンバー1は味の素だそうだ。戦後で優れているのはゴキブリホイホイではないかと私は思っているが、それに、この獺祭を加えたくなる。獺という生物は何かの絵で見た記憶があるが、何か木の枝につかまってダラリと腕と身体をぶら下げているような恰好だった。これは以前にも書いたことだが、茨城の中学時代に冬になると、全校マラソンというくだらない行事があった。学校のある小山を下り、田畑の道と市街地の路、約5キロを走り、学校に戻って来るという行程だった。私はその途中に近道があるのを知っていて、数人の仲間を誘って歩いた。ゴール前はもちろん歩かずに真面目顔を作ったが、この作戦はとっくにバレていた。怒り顔の教師が、「怠け者は罰として、グラウンドをまわって来い!」と怒鳴った。言い分はあった。「この寒中に5キロ走って何からのプラスがあるのだろうか。それが健康に役立つとでも思うなら、そう思う連中だけ走ればいいではないか」が私達の考え方だった。それでも、あの近道を行ったのは楽しかった。「あんまり早く着くとマズいぞ」「そうだ、ゆっくり歩くべ」は楽しかった。あれも獺祭だった。、なまけものの祭りだった。

買い物好き

2019-09-27 06:57:29 | 日記
家人は買い物が好きだ。あちこちから通販のカタログを取り寄せる。主として洋服類である。時々家に来る次女と相談する。私や長女には声をかけない。声をかけても次女のようには真面目に考えようとはしないからだ。「どっちでもいいよ」となるからだ。買い物好きは、あれでもないこれでもないと、カタログを何度もひっくり返すのが楽しいのである。「どっちでもいいよ」ではおもしろくないのだ。

金曜日にデイケアサロンへ行く。外出着は家人が揃える。夏用のシャツが5,6枚ある。1か月は4週だから、毎回異なった色を着る。ピンクを着て行くと、「若々しくてステキですね」なんて、スタッフのお姉さんに褒められる。次の週がブルーであれば、「うわぁ、涼しそう」となる。「全部、奥様が選んでいらっしゃるうんでしょう?」、それはそうだ。私は外へ買い物に出ることはできない。カタログでの選択会議にも参加しない。託老所に行くにしては私の装いは派手だ。83歳の老いぼれにしては若作りである。しかし、女性に褒められるのは嬉しいものだ。私は、サロンではただ一人の歩行器使用の病人であって、体も大きいので目立つ。ピンクもブルーも目立つ色であり、シャツの作りも大判だ。買い物としては大成功なのだと思う。

カタログの新しいのが届いて、それを見始めた家人に、「もう俺のものは買うな。明日死ぬかもしれないんだからモッタイナイよ」と言うと、家人は「そうねぇ」と答えるのだけれど。

2019-09-27 00:41:20 | 日記
我が家に、文藝春秋の9月号がある。8月10日に発売されたもので、それを家人の友人のHさんが9月の10日に届けてくださった。つまりHさんのご好意で毎月我が家は月遅れの文春を読んでいるわけで、老人が月刊誌を手にするのはそれで充分である。ところが、そのひと月遅れが新品なのである。正しくは、新品同様と言うべきなのだろうが、とにかくきれいなのだ。誌はHさんのご主人が読んでいるらしいが、全く、読み跡がない。1線の折り目もない。8月10日のままである。私はこれほどきれいに本を読む人を他に知らない。

叔父のNは読書家だった。海軍に召集され台湾にいるときに終戦になった。帰還のときに港で渡された1枚の毛布をすぐに売って本を買った。そういう人間だった。本の読み方が変わっていた。仮に400ページの本があるとして、その200ページ目を読んでいるとすると、残りの200ページ、すなわち100枚の紙を指先でいじりまわすのが癖だった。その指先運動が叔父の読書のリズムを成していた。当然のことに、読後の書物はシワが残った。

私は本のページの上肩の部分を折る癖がある。栞のヒモがついていても、それを使わないで、肩部を折る。ここまで読んだ、あるいはここはもう一度読もうというときのマークである。だから、娘に借りて読む山口瞳モノの中には、何度も同じところに折りを入れて、破れかけているのがある。

我が家にHさんの御主人のような人間がいたら、どうだろうか。「みんな、本はきれいに読め」と言われたらどうだろうか。いや、本だけではない。新聞だって同じだ。私の新聞の読み方が粗雑なので、毎朝、家人がホチキスを使ってバラけないようにしているが、新聞もきれいに、となったらこれは大変だ。

9月22日

2019-09-27 00:33:41 | 日記
昨夜はラグビーW杯のニュージーランド対南アフリカのゲームを、眠くなるまで観ていた。ニュージーランドのオールブラックスの文字通り、上も下も黒色のユニフォームはラグビーのみならず、他のすべてのスポーツのすべてのチームの着衣の中でも№1だと思う。強い男たちという題で絵を描くとしたら、多くの人がこの黒い集団を選ぶのではないか。

読売ジャイアンツが5年ぶりにリーグ優勝し、原監督が男泣きしている姿がスポーツニッポンのトップだった。プロ野球のことはよく知らないのだが、張本勲さんの解説によれば、最高殊勲は原監督だそうだ。選手では坂本勇人君なのだろう。


大相撲は御嶽海と貴景勝の同星優勝決定戦になるかどうか。このブログを書き終えたらテレビの前に座らねばならない。その座りだが、臀部のスリ傷はかなり良くなってきた。

臀部のことは腰にも響く。そのせいで、デイケアサロン行きを3週間休んだ。サロンでは、ちょっと見かけて、すぐにいなくなる人がいる。麻雀を1,2度一緒に打っただけという人がいる。もちろん、その人はどうしたのかなどとスタッフに訊くことはできない。サロンにはタブーがある。なんといっても老人の家であるから、その辺は気遣いが要る。3週間休んだ私のことを、腰が悪くなって寝たきりになったか、と想像してくださっている方もいるかもしれない。

最近、血圧が高い。夏の間、塩分の濃いものを食べ過ぎたのかもしれない。少し注意しなければと思っているときに限って、家人が、酒肴に絶好のサバの塩麹漬を作ってくれたりする。365日食べている柿ピーだって、塩分は少なくないかもしれない。とにかく、夏の旨いものはたいてい濃い味である。冷し中華だって、薄味ではない。今朝の血圧は155-82。

夫源病

2019-09-21 17:13:37 | 日記
文藝春秋9月号に、夫源病のことが載っている。夫源病というのは、妻が夫に対して持つ不快感、嫌悪感といったものが重なることによって起きる、神経疾患のようなもののようだ。夫婦喧嘩とは少し異なる。この病の因となる夫のタイプが列挙されているが、そのすべては書ききれないので、第一の点だけ触れておくと、外では愛想が好いのに家の中では不機嫌、というのがある。しかし、このことは夫だけでなく妻にもあるのではないだろうか。つまり、よほどのムッツリ屋を別にすれば(あるいは桁外れに明朗な人間を除けば)たいていは、他人に対しては機嫌よく「おはようございます」「こんにちは」を言うのではないだろうか。私は幼い頃、祖父と祖母がニコニコしながら話し合っている姿を見たことがなかった。祖父が祖母に何かを話すのは、いわば命令だった。「●●さんの所へ行くのに土産物が要る。この前の返礼だ」という言い方だったと思う。それを不機嫌と言えばそうだっただろう。しかし、祖父が笑いながら話しかける相手は私だけだった。私だけがチビだったからである。けれど、もしかすると、祖父は私をからかうことで家族みんなの笑いを誘い、食卓を明るくしようとしていたのかもしれない。つまり、祖父はその辺は不器用だったのではないだろうか。

家では不機嫌、というより、家では無口という男は少なくない。そういう友人知人を何人も思い浮かべることは簡単にできる。私自身もそうかもしれない。第一に家人と話すネタがない。「千葉県の停電は大変ねぇ」「うん。このマンションだって電気が止まったらお手上げだ」…その先がない。自分が経験した伊勢湾台風水害のことはもう何回も話した。と、そこへ猫が走って来る。たちまちにして、家人が猫撫で声で「ルー、ルー、ルー」と呼ぶ。リャンピンの本名はルークなのだ。夫源病対策には、猫を飼うのが好いようだ。