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1月31日

2016-01-31 18:15:38 | 日記
甘利辞任があったら、すぐに日銀のマイナス金利が出た。こういうのをタイミングの妙と言うのだろうか。ま、株式市場は好転したから、よしよしと頷くべきか。
NHK杯将棋で、藤井猛九段が絶妙の角打ちで勝利した。私は藤井九段の顔が大好きである。この人のような男っぽさのある顔が少なくなっている。
競馬は根岸Sで、8,9、11、15の3連複ボックスで買い。ゴール直前に2が伸びてきて残念。
家人と娘が近所に新しくできたレストラン(開店半額サービス)のカレーを食べに行った。最近のカレーは千数百円クラスで美味しいそうだが、私も腰の手術が成功したら外食をしてみたい。近所に旨いトンカツあるいは、ポークソテーの店があるのかどうか、とにかく旨いポークで呑みたい。

今日で1月が終わる。2月はいよいよ腰の手術がある。腰痛ゼロというのは週に1回のS名人の指圧(約1時間)経験するけれど、腰が無痛になっても、歩行はヨチヨチである。だから、オペの後もリハビリや指圧の力に頼って結局ステッキ1本で歩けるようになるのには、何カ月かが必要になるはずだ。夕方に湯上りの酒を呑めるのもあと1週間。 それにしても、手術が行われるのが入院の翌日というのが、なんともありがたい。 今朝の血圧は138-85。

つもり

2016-01-30 21:30:35 | 日記
選抜高校野球の出場校が決まった。真っ先に目に入ったのが高知の土佐高校だ。あの純白のユニフォーム、攻守交代の際の全力疾走、なんとも気持ちの好いチームである。 近年というか、長い間、高知の夏の代表は明徳義塾と決まっていて、県内では抜群なのだろう。また四国には強豪校が多いから、センバツで選ばれるのも大変だ(現に明徳義塾は、この大会にも出場する)。

5年前に佐渡高校が21世紀枠で選ばれたことがあって、1回戦で智弁和歌山と対戦のクジを引いて、力の差を見せつけられたが、佐渡のスタンドでの応援が実にきれいで、好感が持てた。 佐渡高校出身の2人の女性がサラリーマン時代の同僚で、ともに新潟美人。その応援の素晴らしさを褒めるとおおいに喜んで、高校野球の好さはこういうところにもあるのだ。
センバツの開始は3月20日であって、それまでに私は腰の手術と、それに伴うリハビリなどの苦労があるのだが、そんなことを忘れて、高校野球を観る頃は暖かくなるだろうなどと考えている。 漫画家でテレビタレントの蛭子能収さんは、人生の目標は死なないことだと言っているが、私も少なくとも3月20日までは生きているような気がする。そして、その次は夏の大会まで、また生きているつもりになるのかもしれない。蛭子さんのように、目標は死なないことではないのだけれど。

戦争

2016-01-29 22:42:29 | 日記
私の兄代わりだった3人の叔父(父の弟)達は軍隊に入る(召集される)年齢だった。いちばん年下のT雄は同志社大学の最終学年を修了したことにされて陸軍に行き、伊豆の大島で終戦になり、すぐに家に帰って来た。その後は茨城の本家(本家には後継者がなかった)を継いで、郡の事務所に勤めたが、他人に貸すほどの田畑もあって、村では大学出は珍しかったこともあって、豪農の娘を嫁に迎えた。つまりは穏やかで豊かな田舎生活を楽しめる境遇と言えた。子どもも2人生まれ、ようやく田園生活に馴染んだ頃に肺結核を患った。当時、パスと呼ばれる抗生物質があって、それが入手できれば、結核に対抗できるという噂があったが、田舎村の医院に、そのようなものがあるはずはなかった。
T雄より2つ年上のN雄のことは以前に書いた。肺結核の手術のときの輸血が汚れていて、肝臓がやられて死去した。
更に2つ年上のS雄は、開戦前に海軍にはいり、昭和17年6月のミッドウェー海戦で米空軍の攻撃を受け、空母「蒼龍」と共に南海に沈み、今もそこで眠っている。

S雄は直接的な戦死である。そして、私はN雄、T雄の2人もまた戦争による死だと思っている。ペニシリンの有無のことよりも、2人とも軍隊生活で体がボロボロになっていたのだと思う。弱った体では結核菌に抗すべくもなかっただろう。我が家はB29の空襲は免れた。しかし、3人の若い生命が犠牲になった。終戦の時の私は9歳だった。もう10年早く生まれていたら…と、ふと考えることがある。

独り言

2016-01-29 22:32:30 | 日記
「お湯は母さん 知っていますか?」、朝の目覚めは7時前。家人に叱られるので、ジャスト7時になってからテレビをつけ、電動足もみ器のスイッチを押す。室内のヒーターはすでに作動しているが、少し寒い。そこでふと前記の独り言が口をついて出る。いや、これは言葉というよりCMソングの一節であり、だから節もついている。このCMを、最初は温泉の宣伝だと思った。お湯は母さん、とは温かいという意味だろうと思っていたが、実際は、母さんではなくパーパスだった。パーパスという湯沸し器のCMだった。それでも私が口ずさむ時は、お湯は母さんである。 たいていの場合、独り言は「今朝は寒いなぁ」とか「よく寝たなぁ」といった、その場の印象といったようなものなのだろうが、私の場合は歌の一節になることが多い。歌は何曲もあって、その朝に選ぶのは理由はなく、つまりはひとりでに~である。昨日は「にっこり笑う ラバウル航空隊」だった。 これは軍歌の一節で、その前に「数をばたのんで 寄せ来るただ中 必ず勝つぞと飛び込むときは 胸に挿した墓地の花も」とあるのだが、独り言として使うのは、「にっこり」以下だ。 短いから繰り返して口ずさむことになり、ベッドを離れて洗面所へ行くまで(その前に40分間の足の手入れもある)ポツリポツリと反復することもある。もちろん途切れることもある。 腰がキビシイから、「にっこり笑う」ヲストップして「痛い!痛い!」と叫ぶ。

名人

2016-01-27 20:05:35 | 日記
訪問マッサージ治療というのは、大別して①さする、なでる②もむ③押す という3つに分けられるが、私が名人から受けているのは③の指圧である。名人と呼ぶのはお世辞ではなく、20歳頃からあれこれのマッサージ師にかかってきて初めての巧技だからだ。名人のファーストネームは一宏さんで、私が、カズヒロさんでは優しすぎるし迫力が足りないから、名刺にはイッコウとカナを振った方がいいと言うと、彼も、彼の付き添いで来るオーナーも笑う。 更に私は、「自分で名人と名乗ることに制限はないなずだから、ネームカードに堂々と印せばいいし、名刺というのは自己紹介のペーパーだから価値がない。お宅の会社名はKEIROWで、アドレスは神奈川県鎌倉市~だが、相模国 敬老一家 ○組とする」。ここでまた2人と共に家人も笑うが、私はマジである。
繰り返すが相手に強い印象を与えるのが第一であって、腕は抜群なのだから、次から次へと紹介のリレーがあるはずなのだ。あまり忙しくて私のところへ来る時間が制限されることも予想されるが、それでもいい。名人の指は間違いなく多くの人を救うのである。彼はよく、相性という言葉を口にするが、そこは指先の加減の問題だろう。とにかく、私は脊柱管狭窄の痛みが短時間ではあるが止まる。相模国 敬老一家 ○組 名人△△宏(いっこう)の名刺が、まずは鎌倉市、藤沢市、逗子市あたりだけでも広まることを願っている。