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時間の遅早(おそはや)

2011-01-31 23:12:06 | 日記
麻雀ぐらい時間が早く過ぎるものは他にない、と誰かが言い、賛成の声があったところで、別の誰かが「そうかなぁ、お前ら、彼女いねぇのかよ」と声をあげ、今度はみんなが笑った。 確かに麻雀を打っていると、4,5時間はあっという間に過ぎる。 それと、好きな異性と過ごすときとどちらが時の過ぎ行くのを早く感じるかは、較べようがないから、みんなが笑ったのだ。学生時代のある日の思い出。  愉しいときは早くすぎ、苦しいときは長いに決まっているが、どちらも人それぞれに、ああ、あのときが~という経験がおありだと思う。 しかし、中には、誰もが長く感じたときもあって、その筆頭が戦争である。 終戦のとき、私は9歳だった。これで空襲がなくなると教わって、ほっとした。だが、平和が来ても、食糧難は続いた。普通の食事が口に入るようになったのは、終戦から6,7年経ってからである。 いま考えても、あの空腹の時間は長かった。  ラグビーやサッカーのように時間制のスポーツには独特のハラハラ・ドキドキがあって、今回のサッカー(アジアカップ)日本人の誰もが、ゲームセットのホイッスルが早く鳴ることを祈っただろうし、オーストラリアの皆さんはその反対の心境だっただろう。私は時間制のスポーツを経験したことがないが、あれは接戦の場合、シンドいだろうと思う。 この世でいちばん早くときが過ぎるのは何か。 麻雀、デート、酒、読書、音楽や映画、絵画などの鑑賞、スポーツ、カラオケ・・・と人によって異なるから、100でも200でも数えられると思うが、私は睡眠だと思う。 ここ数年、私はだいたい9時間眠るが、もう朝か・・・という感じでときが過ぎる。 これは私が老人だからではなく、赤ん坊も若者も、同じではないだろうか。年をとると、あまり刺激的な夢を見ないから、目覚めも快い。 あっという間ではないが、いつの間にか快く過ぎた9時間は短い。

1月30日

2011-01-31 22:59:32 | 日記
朝のテレビのトーク番組で、浅井とかいう評論家のオジサンが、菅総理の“疎い”発言について、「あれは総理の言うとおり、まだニュースが充分に伝わっていないという意味。その揚げ足をとってアレコレ言うのはおかしい」と発言し、隣席の大宅映子氏が、すぐに「そうではない。あれは明らかに総理の言いつくろいだ」と一蹴した。まさに大宅氏の言うとおりである。 あの薄ら笑いを浮かべながら「疎い」と言ったときの総理の顔を、浅井氏は何と見たのだろうか。この程度のオジサンを今後もTBSは使い続ける気だろうか。 家人が惣菜店の福引で数千円の金券を引き当てたことは前にも書いたが、その金券と交換してきたとんかつが旨い。 よくわからないが、たぶんブランド肉と言われるものなのだろう。昨夜は酒のツマミに、今朝はカツサンドに。 サッカーのアジアカップ優勝は、気持ちがいい。ザッケローニという監督が、なかなかのハンサムであるのがいい。また、選手達もあの中田英寿君時代よりも、顔が良くなった気がする。  娘が韓国旅行に行ったときにお世話になったガイドさん(44歳の女性)が日本観光に来て、昨日は娘が鎌倉を案内し、そのガイドさんの人柄の良さなどが、我が家の話題の中心。いいことだなぁと思う。国際交流などと堅い文字は好きではないが、国境なんかカンケイのない個人の友情はすばらしい。 先週末のニューヨーク市場が(ダウ平均で)3ケタ下げているので、明日の東京市場も冴えない展開になるだろう。 いや、新潟の大雪だけでなく、右も左もサムい。

疎い

2011-01-30 00:42:40 | 日記
寝室のエアコン、台所のレンジとトースター、トイレのストーブを同時につけて、1箇所のブレーカーが外れ、下の階の半分が停電状態になった。いつもはブレーカーを元に戻せば通電するのだが、その日はダメだった。こうなると我が家の3人の手には負えず、家人が知り合いの工事店に電話した。つまり、家人も娘も私も、そういうことに疎いのである。すなわち無知識であり、無関心である。 木曜日の夕方に、アメリカの格付会社が、日本の国債を1ランク格下したというニュースが流れ、そのことを訊かれた菅首相が、自分は疎いので~と応え、それが問題になった。 一国の首相が、自国の国債を格下されて、その方面に疎いというのでは困る。慌てた首相が、翌日の国会で、「昨日、疎いと言ったのは、まだそのニュースを聞いたばかりだったので、つまり情報不足のことを疎いと表現したのだ」と釈明したが、それはたぶん、言いつくろいだり、首相の言うとおりだとすれば、日本語の誤用になる。麻生太郎元総理の「みぞうゆう」を思い出す。 私は、何でも知っているふりをしたがる上司に仕えたことがあるが、その人に対する私の感想は、気の毒だなぁ(大変だろうなぁ)だった。 人間、誰だって、あることには詳しいが、あることには疎いのであって、その変の按配というか、ほどほどのところで生きているのだろ思う。 センバツ高校野球の出場校が発表された。 私は昔、プロ野球に詳しかったが、もうすっかり疎遠になった。しかし、高校野球は好きだ。 疎いどころか、ナンボかの知識もあるし、おおいなる関心(興味)もある。

金と銀

2011-01-29 10:19:03 | 日記
祖母はオシャレにうるさい人だったが、その基本は上品にあった。 特に金ピカが嫌いだった。祖父は金の懐中時計が自慢だったが、祖母がそれを嫌うので、2人で外出するときは別の時計をつけた。 これは8歳上の叔母の証言であるが、他のことは夫唱婦随の明治の夫婦であっても、オシャレに関しては祖父が一歩譲ったのだと思う。 祖母は私が9歳のときに他界するが、それでも9年間の教えが影響したのか、私も金ピカは嫌いで、腕時計はすべて銀色、ネクタイピンも同様である。特にイヤなのが、自分の姓をハンコ型に彫った指輪で、あれを指に嵌めているオッサンを見ると、どこのイナカ?と訊きたくなる。 随筆同人会で知り合ったA子さんは、いわゆる先人の知恵(家庭の医学)に詳しく、特に医食同源的なことを教わった。 その中に、朝のリンゴは金、昼になると銀というのがあった。つまり(リンゴに限らず)果物は朝食のデザートであるのがベストで、昼→夜に向かって、だんだんその価値が下がるという意味だが、我が家では以前からそうなっていて、夕食後のリンゴはなかった。 もちろん家人に、その方面の知識はないから、本能的に、あるいは主婦のカンで、銀より金を選んでいたことになる。 1週間後の2月4日は、私達の結婚50年目の日になる。腰痛という邪魔者がいなければ、親戚や親友を招いて、家人への感謝の坂も理解を催したいのだが、もう少し温かくなったら、毎日の服用薬をセーブして、腰のブロック施術を受け、なんとか~と考えている。でも50年というのは、自分で言うのも変だが、スゴイと思う。 その金メダルのために神様が命を助けてくれたのだという、叔母の言葉が耳に残る。  昨夏の大病のとき、常識通りにむこうへ行っていれば、2月4日には、「パパが生きていたら、きょうは金婚式になったじゃん」と、娘達が、私の遺影の前に水割りウィスキーのグラスを置いただろう。

気分転換

2011-01-29 00:45:55 | 日記
昼休みに工場の横でキャッチボールをしていると、社長が事務所から出て来て門の外へ歩いて行った。社長が徒歩あるいはバス、電車などで外出することはなかったからフシギに思っていると、しばらくして、パン屋の紙袋を持って帰って来た。そういうことが何度かあって、あるとき私が理由を訊いてみると、頭の切り替えのためだと社長が笑った。 そのとき、私は祖父を思い出した。父方の祖父も、何かをやりかけている手を途中で止めて1時間ほど外に散歩に出ることがあった。気分転換に散歩を選ぶ人は案外多いのではないか。  「少し気分をかえましょう」と言って、看護婦さんが私を乗せた車椅子を病院の渡り廊下からヒトケのない庭の隅へ押していってくれた。 8月の末の午後4時頃のことで、まだ西日の暑さはあったが、病室のクーラーとは異なった涼しさのある空気が、なんとも気持ちよかった。  16年前の、まもなく退院という時の話である。 私は若い看護婦さんに感謝した。 私の病気を治してくれたのは、ドクターの技術、再審の薬品、温かい看護・・・要は近代医学であるのは確かだが、ココロのケアというか、あの車椅子と夏の夕陽と久々の外気は、今でも私の中に残っている。 気分転換の方法は百人百様であるだろうが、誰にも共通するのは、睡眠ではないだろうか。睡眠による気分転換をみにつけると、多くの場面でラクになるのはたしかだ。