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行列

2011-04-30 23:44:04 | 日記
ペインクリニックに着いたのが午後4時頃。 前の通りに5,60人の行列があって、その先頭がどこかわからないので、近くに旨いラーメン店でもあるのかと思ったが、並んでいるほとんどが男性で、なんとなく真剣というか険しい雰囲気が漂っているので、何か夜の仕事の応募者ではないかと家人と話した。 しかし院長夫人に訊いてみると、私の尾y層とは違って、パチンコ店の午後5時のオープンを待っている人達ということだった。つまりパチンコ店の新装開店が朝ではなく夕方に行われるということだが、年齢から考えて、彼らはどんな職業に就いているのか、それとも全員がパチプロなのか。それにしても淋しい風景だった。 商品名はわからぬが、新型の携帯電話、ゲーム機、カメラをあわせたような機器の発売に、前の晩から並んでいる人達の姿がよくテレビに映る。その商品は必ずしも数量限定ではなく、別に行列を作らなくても、いつでも手に入るらしく、先着割引もないようで、どうもあの種の行列の意味がよくわからない。 ジャンボ宝くじの方は、ゲンかつぎの人もあろうから、少しは理解できるけれど。 慶早野球戦の入場券(自分用)は学校で配られた(もちろん有料)。  問題は、同行する彼女の分(一般入場券)である。 6時に起床して、神宮球場をとりまく行列に並ぶしかないか。それでもいい、デートは大事である。いや、野球を応援するよりも、彼女との時間の方がはるかに大事である。そのとき救世主が現れる。 「おまえ、これカツライス代でいいぞ」と、一般席券を渡してくれた級友がいた。入場料は30円、カツライスは120円だったが、行列に並ぶ自信のなかった私には、まさに救いの神だった。 昭和27年秋の慶早戦、慶應には多胡龍司、福沢弘行、花井悠、種田吉冨、山下新造という強力打線があり、河合貞雄という好投手がいた。それでも早大の石井連蔵の好投もあって、楽勝のはずで、意外な結果となる。これが私と家人の幼い初デートになる。

昭和

2011-04-30 01:06:41 | 日記
今日(29日)は昭和の日だそうだが、別にそれらしいテレビ番組もない。 昭和元年生まれの方は今年中に86歳になられるが、私はその10年後輩で、この10年の差は大きい。 元年生まれは、終戦のときに19歳・20歳であって、すなわち青春後期と言えるが、多くの方々に恋愛の自由はなかったと思う。昭和20年8月15日の敗戦は、同時に自由の獲得でもあった(美空ひばりさんが「恋愛は自由です」と唄ってヒットした)。 兄代わりだった叔父(父の弟)達は、大正生まれ。3人とも35歳までに他界している。年齢順に言えば、戦死、病死、病死であるが、病死の二人も遠因を考えれば戦死と言える。 昭和最大の出来事は、言うまでもなく太平洋戦争であり、私などは、今回の大震災からも戦争を思い浮かべる。 あのころはよかった(愉しかった)とは、同年代の仲間との酒席でよく交わされる会話だが、これは、分母に高度成長があって、分子には所得倍増、東京オリンピック、新幹線開通、カラーテレビ、団地生活、自家用車、社員旅行、美空ひばりと石原裕次郎、キャバレー、フラフープ・・・と、とにかく明朗系がいくつでも並べられるから、酒席も弾んで、飲みすぎたりすることも多かった。 娘達に訊いても、いまそれがないようだ。その理由の1ツが、個人的に(少人数で)食べたり飲んだり旅したりすることがあるようだ。私と娘達は3世代の歳があると思っているが、やはり昭和生まれの彼女達との比較は、また別の機会に。

成長

2011-04-28 21:56:57 | 日記
4年前か5年前になるか、テレビ朝日のワイドショー番組の司会が、渡辺宣嗣さんから赤江珠緒さんに交替したときは、大丈夫かな?と思った。 この種の司会者の仕事はあらかじめ準備できていることが大半だろうが、中には速報的なものもある。次にコメンテーターやゲストなどの出演者とのやりとりがあって、このことは、タイミング(呼吸)が主となるから、経験という名の勉強が要る。 そして赤江さんは見事にそれらの壁を乗り越え、いまや充分な余裕さえ感じられるようになった。 TBSの『みのもんたの朝ズバッ!』の天気予報を担当していた根本美緒ちゃんは気取りのない美人で、素敵な笑顔の持ち主であり、いかにもテキパキとした仕事ぶりだったから、その後を継いだ美馬玲子ちゃん(名前もいい)は大変だったと思うが、彼女もまた見事なウェザーガールになった。まだ2年ほどかと思うが、かりに彼女の表情を毎日1枚ずつ撮り続けたとすれば、1枚目と730枚目とでは別人のように写っているはずだ。 むろん年齢的なこともあるが、それとは別の、端的に言えば、女性としての魅力が3倍にも5倍にもなっている。みのもんた氏の不人気で『朝ズバッ!』の視聴率は下落しているそうだが、美馬玲子嬢の笑顔は、雨の日でも気分が晴れる。 A子は19歳のときに私の課に配属されてきた。最初の仕事は当然に雑用的になるが、次第に課内のみんながA子にアレコレの仕事を頼むことが増えるようになった。彼女の前任者(寿退社していた)も優秀だったが、2人の共通点はカンのよさだった。たとえば、部長、課長、係長の3人から仕事を頼まれたとき(男性社員なら役職順に引き受けようとするが)それを重要順に並べ替える判断力があった。
部長からの依頼より係長の依頼を優先するには、一種の度胸が必要だが、そこのところの直感も冴えていた。 私は彼女に何度も助けられた。 赤江さん、美馬さん、A子さんに言えるのが人間としての急成長である。彼女達を短時間で成長させたものは何だろうか。もってうまれた直感力だろうか。それもあるし、それが大きいとも言えるけれど、もう1ツは、やりがいと責任感であるだろう。赤江さん、美馬さん、A子にも優れた前任者がいた。その先輩を超えようではなく、せめてその名(ポスト)を汚さないようにしようという責任感、そして、この仕事は私に合っているからやってやろうじゃない!という気持ちが、成長のもとになったことは間違いないだろう。

誤読と誤用

2011-04-28 00:42:02 | 日記
「私はマクマにセリフを確認するので忙しいんです」と女優(高畑淳子さん演)が言い、「マクマをお邪魔して申し訳ありません」と、警部(水谷豊さん演)が頭を下げる。 ドラマ『相棒』(これのDVDを娘が全巻持っていて、午前の足踏み運動のときに、よく観ている)の1シーンである。 マクマは幕間(まくあい)の誤読であって、高畑さんは完全なミスである。水谷さんは、もしかすると正しい読み方を知っていながら相手に恥をかかせないように、故意にマクマと言ったのかどうか、その辺はわからない。私がフシギに思うのは、ちょっとした演技の失敗でもすぐにカット(ストップ)の声がかかるのに、この場合、なぜ声がかからなかったのかということだ。 その時点なら、高畑さんがちょっと顔を赤らめるだけで(表に出さずに)済んだはずだ。 また同じ話の中で、杉下(水谷)警部が、何度も「お食べになりました」という言葉を使うが、杉下警部は全巻を通して、なんでも知っている知識人の設定であり、「召し上がりました」を「お食べになりました」と言うのは不自然である。 ごく普通の社会で、「お食べになる」という言い方をする人はほとんどいないのではないか。 ドラマ作りの工程の中に、セリフの読み合わせのような勉強時間はないのだろうか。もちろん誰にだって誤読はあるだろうし、私もいいかげんなものだ。しかし、大勢の人が観るものには、歴史モノにある時代考証のように言語考証があるといいと思う。15才の少女が、これぞいい言葉だと思って「お食べになりましたか?」と使われるのは困るし、彼女が40歳になってもそう言い続けるのも困る。

声の遺言

2011-04-28 00:32:05 | 日記
「あれは辛かった」と、全く別の幼児で電話をかけてきたA子さんが言った。一昨日行われた元キャンディーズの田中好子さんの告別式で流れた、故人の声の遺言とでも言うべきテープのことである。 もちろん、旅立つ人の最期の声を家族などが聴くということはいくらでもある。しかし、田中さんの場合は少し違って、テープが録音されたのは死の26日前(3月29日)であって、私もテレビを通して聴いたが、いかにも弱々しく、それがA子さんの言う「あれは辛い」ということなのだ。たとえば、ある歌手が亡くなったとして、その葬儀には彼(彼女)が元気だった頃のヒット曲が流れるのが通例であり、また自然でもあるから、一昨日の場合は異例と言えるし、それに感動する人もあるだろうし、A子さんのように?マークをつける人もある。 平成4年に49歳で逝った家人の妹の声が(ウチの娘達との会話で)残っているが、私も家人も、それを聴くことはないし、むしろ聴きたくない気持ちが先立つ。 声は文字、写真、肩身などと較べて生々しいということもあるが、声というものは、動作と同じように、想い出の中にしまっておきたいという気持ちが働くからだ。 写真、肩身、文字は有形だが、声は無形遺産だから、少なくとも歌手の場合は、ベストのときのものを~とするA子さんの考えに私も賛同する。 田中好子さんの終わりのメッセージ、「息苦しくなってきました」はA子さんの言うように、辛さだけが残ってしまう。