中学生だった頃、卓球が流行った。ただし冬だけである。学校には卓球台が1つしかなかった。朝早く登校した生徒が始める。次々と登校してくるのが順番に加わる。大勢だから勝ち抜き戦だ。どちらかが3回ミスすると交代だ。待つ人間は足踏みをしたりする。校内は暖房されていないから寒い。卓球は防寒用だった。たしかに3人か4人に勝つと暖かくなる。私の腕はAクラスではなかったが、C、DではなくBの上ぐらいあったからおもしろかった。部活の卓球部はなかったが、うまい奴もいた。よくわからないが、カットマンと言うのだろうか、自分からはスマッシュを打たず、相手の打球をひたすら受ける。その、受けて返す球が変化するので相手が空振りしたりする。あの種の名選手が上級者にもいるのだろうか。とにかくいちばん多く勝っていたのは彼だったと思う。
高校時代、世田谷の家の隣に卓球台があった。そこの娘が実践女学院に通っていて、仲良しだったから、よく打ちに行っていた。台は庭にあるから、風の日はダメだった。無風の日曜日には近所の中高生が寄り集まった。台の持ち主である娘は下手で、昭和女子大付属の中高生の姉妹がうまかった。私も中学時代に茨城で鍛えた腕であまり負けなかった。
蒲田の駅の近くに卓球場があって、会社帰りに寄ることがあった。岩手の高校出身のS君と佐渡出身のK子が抜群の腕だった。二人とも卓球部で活躍していたらしい。私の中学時代と同様に、岩手も佐渡も冬は厳しいからピンポンが暖房代わりだったのだろう。S君はK子のことが好きだったようで、そういったうわさをよく聞いた。しかしK子には恋人がいて、2人は別々に結婚した。卓球が結ぶ恋とはならなかった。S君は江の島の頂上にある食堂の主となった。K子も気の優しい夫を得て幸福そうだ。みんな元気だが、コロナ騒ぎで逢えずにいる。
高校時代、世田谷の家の隣に卓球台があった。そこの娘が実践女学院に通っていて、仲良しだったから、よく打ちに行っていた。台は庭にあるから、風の日はダメだった。無風の日曜日には近所の中高生が寄り集まった。台の持ち主である娘は下手で、昭和女子大付属の中高生の姉妹がうまかった。私も中学時代に茨城で鍛えた腕であまり負けなかった。
蒲田の駅の近くに卓球場があって、会社帰りに寄ることがあった。岩手の高校出身のS君と佐渡出身のK子が抜群の腕だった。二人とも卓球部で活躍していたらしい。私の中学時代と同様に、岩手も佐渡も冬は厳しいからピンポンが暖房代わりだったのだろう。S君はK子のことが好きだったようで、そういったうわさをよく聞いた。しかしK子には恋人がいて、2人は別々に結婚した。卓球が結ぶ恋とはならなかった。S君は江の島の頂上にある食堂の主となった。K子も気の優しい夫を得て幸福そうだ。みんな元気だが、コロナ騒ぎで逢えずにいる。