結婚したのが25歳のときで、以来51年。2人の娘が生まれたが、息子はできなかったから、私はずっと女性とだけ暮らしてきた。 そのことをとても幸運に思う。その理由の第一は、清潔であるということだ。たとえば、私は毎日、昼食前に入浴しているが、その湯は、前夜に家人と娘が使用したものに加熱するだけだ。むろん髪の毛1本浮いていることもなく、更湯同然である。もし息子がいたとして同居していたとすれば、その、前夜の湯はたぶん(不潔とは言わぬまでも)使えないだろうと思う。 人生はいろいろな場面で辻褄が合うようになっている~が口癖だった友人がいたが、私は中学3年の秋から高校1年を終えるまで、祖父と叔父との男世帯を経験しているから、その反対の状態を、神が与えてくれたのかもしれぬ。あれこれの友人、知人のことを考えてみると、女性ばかりの中に自分だけという例は数少ない。 ただし、その少ない例の中に、私の妹の夫(子供は女性一人)と弟(子供は女性一人)がいるのはおもしろい偶然か。 また、その反対(男ばかりの中に女性が一人)を考えてみると、すぐに、石原典子さん(慎太郎氏夫人)が思い浮かぶ。 訊いてみたことはないが、家人も、典子さんを羨ましく思うことがあるのかもしれぬ。 今朝のニュースは、オバマ再選が中心で、彼もまた女性の中に自分だけが男性という家庭であるようだ。そうそう、女性とだけ暮らすという1ツに、子供がなくずっと2人だけの生活の友人、知人がいる。妻(夫)とだけの一生って、どないなもんやろか。それもまた、女性と暮らす1つの形ではあるけれど。
「お兄さんがほしかった」と家人がよく言っていた。家人には2人の妹と弟が一人いるから、そのことはよくわかる。小さい頃は特にそう思っただろうし、お姉さんではなくお兄さんがほしいというのも理解できる。私達夫婦には2人の女の子が生まれた。娘たちに訊いてみたことはないが、2人とも、兄か弟がほしかったのではないか。同胞(きょうだい)であっても、異性の方が親しみを感じるということが本能的にはあるような気がするが、違うかな? 物心ついた頃、私には3人の兄と1人の姉がいた。正しくは、兄と姉は私の父の弟妹で、父が早逝したため、私は、叔父叔母チームの末弟として育てられたのであるが、年齢差が大きいからケンカするといっても、8歳上の叔母が相手をしてくれるのがせいぜいで、よくある同胞ゲンカは遠い世界のことだった。高校生になって、友人の家へ遊びに行って、友人の妹が、「こんにちは、いらっしゃい」などと言いながら、お茶を運んで来たりするのを見ると羨ましかった。 前にも書いたが、私は19歳のときに母と再会する。そして、母から「あなたには妹と弟がいるのよ」ときいたときは、驚きとか喜びとかより、不思議な思いが先にあった。父親は異なるが2親等である。娘達に、 「一度も一緒に暮らしたことのない妹って、どんな存在?」と訊かれたことがあって、「そういう人が、この世にいるというだけで、ココロ(気持ち)が潤うもの」と答えたが、それ以外の答えはない。 弟は10年も前に旅立ってしまったが、妹は元気だ。 最初に会った日に(前述のように)、不思議がいっぱいで、セーラー服の少女の前で、「こんにちは、ボクが貴女の兄貴らしいですよ」という、ごく当然の身近な言葉も出なかったことを思い出す。
下請会社との懇親旅行があって、ウチの社からは社長と私が参加した。社長のお供(それも1泊旅行)というのは初めてだったが、下請の経営者(町工場のオッチャン)達は気の好い人物が多かったので、それほど重荷には感じられなかった。しかし、前日の退社時間に、女性重役(社長の娘さん)から、「大変でしょうけれど、父をよろしくね」と言われて、少しシンドい気がしてきた。よろしくと言われても、何をどうすればいいのか全くわからなかった。ま、とにかく宴会では呑み過ぎないようにしておこう(宿酔いはヤバい)と思った。 朝になって、幹事役のオッチャンから、「熱海発〇時〇分の列車で帰る」と知らされ、「会社へ戻るのは午後1時頃」と計算し、その旨を社の交換手に伝えて、部屋に戻ると、社長が「あ、(帰社が)1時過ぎになると電話しておいてくれ」と言われ、そのとき、秘書役とはかくなるものかを理解した。 短い間ならともかく、それが毎日の仕事となれば、とても自分には務まらないと思った。 「君の給料の半分は、目の前のお嬢さんにもらっている」と、社長に笑われたことがあって、これは遅刻の多い私への皮肉だったが、事実はその通りだった。 目の前のお嬢さんとは、私よりずっと若い女子社員のことだが、仕事のカンに優れていて、何度となく助けられた。秘書という言葉をきくとき、私は、よく彼女のことを思い出す。 いつか詳しく解説してみたいと思うが、秘書的センスの持ち主は数少ないが、どの会社(社会と言うべきか)にも必ずいるはずであり、逆に言えば、その才能が活かされている社会(家庭を含む)はラッキーだと思っている。