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今年の人

2015-12-31 18:38:41 | 日記
10月にST病院のE.S医師に会った。日本の脊柱管の権威でいわゆる神の手を持つ人物である。その存在をつきとめてくれたのが、家人と娘だった。E師の第一印象は、「自信」だった。私はこれまでに10人に近い整形外科の老若ドクターに会い、脊柱管狭窄について外科的方法での治療について説明を受けて来たが、結果としては全員が、私の年齢や病歴を理由に、身体にメスを入れるのは無理との判断を示した。それに反し、E師は、オペで治すのが当然だというのが前提だった。90歳すぎの老体でも大丈夫だと言う。かくして私は新年の2月に、E師のメスに身をゆだねることが予定されている。
私にとっての今年の人は、このゴッドハンドE.Sである。 これについては、事が成功してから書こうと思っていたが、年の終わりに名を挙げたくなった。
テレビで観る「今年の顔」は、ラグビーの五郎丸歩選手を1番に挙げる人が多いだろう。次いで、芥川賞受賞の又吉直樹君で、私がふと思い浮かべるのが、議員の政策研究費不正使用がバレてマイクの前で大泣きした、兵庫の県会議員であって、これは、ふざけて言っているのではない。 みなさんだって、あの号泣シーンを憶えているはずで、あれは将にテレビ時代の絵なのだと思う。
和以後は、素敵な今年の人で締めくくろう。平成27年ニッポンのベストスマイルは、言うまでもなく、秋篠宮佳子様である。

年末

2015-12-30 23:11:06 | 日記
12月の後半をメモ的に書いてみると、16日→胆石の発作で近くのSK病院へ救急車で入る。即、内視鏡による手術で胆石2個が除去された。17.18日→集中治療室にて点滴。腰痛、便秘、寝不足以外の苦痛は特になし。20・21・22日→便秘の不快がピークに。娘の差し入れ『壁に耳あり』(山口瞳著)で気を紛らわす。 23日→正午に退院。満80歳の誕生日で2人の孫と次女が来宅。久々の酒旨し。24・25・26日→長女が体調不良。発熱、下痢、咳、嘔吐もあったようだ。27日→家人が体調を崩しダウン。終日ベッドの中。28日→今度は私が朝の暗いうちから嘔吐と連続の下痢。家庭内感染したのは、まさかノロウィルスではあるまいなと心配したが、29日→長女が家人をS病院へ連れて行って、点滴を打って一安心。帰りに買って来てくれたOS-1という保健飲料で水分補給をしたが、これだけでも多少の力がつく気がする。なんせ、胃腸にはほぼ何もないのだ。30日→朝、熱い豆乳を甘くしてもらって飲む。それが胃腸に留まってくれてほっとする。昼は味噌うどんを少々。  と、まぁ、えらい年の瀬になった。胆石の時と、家庭内感染の途中では、「どこまで続く、ぬかるみぞ…」という軍歌の一節を思い出したりした。 しかし、考えてみれば、もうトシなんや。ちょっと身体の調子が悪くなったら、熱燗1杯にウィスキーロックを2杯呑んで、一晩眠ったらOKだったのは、もう20年以上昔のことなのだ。 いま、30日の午後5時。48時間後に、孫たちと、ぐい呑み半分の燗酒を口にすることが出来るや否や。

老夫婦

2015-12-29 18:18:45 | 日記
「おまえ、もう少し小さい声で喋ってくれ」、隣のブースから老夫の声が聞こえる。携帯電話で女房に電話をしているようだ。一般病室は10余畳ほどの空間をカーテンで4ツに仕切り、それぞれのブースにはベッド、テレビ、冷蔵庫、洋箪笥に小さな机の付いたものが配置されている。カーテンは薄地だから、すべての声は筒抜けである。「え?ん?ん?」、老夫の声が変わった。「小さな声で・・・」と言われた女房が、急に声をおとして、今度は話が聞こえなくなったのだろう。夫の指示に怒った女房が故意にヒソヒソ声を作ったとも考えられる。
4人の入院患者はすべて老人であって、看護婦も大声になる。耳の遠い患者に馴れているからだろう。「××さん、呼ばれましたよ。行きましょう」、××老は週に3度透析の必要があり、1度は4時間かかるらしいが、これもカーテン越しに耳に入る。大変だなぁと思う。退院したとしても、また月・水・金と透析通いをしなければならないのだ。いや、私を含め、老人はみんな大変なのだ。

ふと女性病棟を想像してみる。入院中の老妻を老夫が見舞いに来るだろうか。男性の病室と較べれば、その数はうんと少ないと思う。第一に、夫はすでに他界している場合がある。第二に、私のように、家にいても体が悪く、見舞いに来られないケースで、結局は女房棟へ通うのは患者の娘さんや孫、あるいは息子の嫁さんあたりが中心になるのではないか。
老人病棟は現在の日本の縮図である。
老人大国ニッポンの、いちばんの具体例である。××さんが透析を終えて帰って来た。ベッドの横で待っていた老妻に、「終わった、終わった、もう帰っていいよ」と言った。

12月27日

2015-12-27 20:58:17 | 日記
23日の退院は、偶然に私の80歳の誕生日と重なった。2人の孫も祝いに来てくれた。私は晩酌で、普段の身体に戻った。昨日の繰り返しになるが、酒の力が快眠・快便をもたらすのだ。
私に代わって、娘が発熱などで体調を悪くしている。入院中の私への見舞いで何かに感染したか。一般病室はともかく、野戦病院はヤバいからねぇ。
入院中に株が下がった。年内の2万円回復(日経平均)は難しくなっている。我が家の株による収入は、今年は目標に届かず。

娘がボクちゃんにリカちゃん人形をクリスマスプレゼントにした。着せ替え用の洋服やリカちゃんハウスも付けたようだから、楽しいだろう。今年もまた、ボクちゃんには家人も娘も楽しませてもらった。
競馬は今年を締めくくる有馬記念。1年を通しての当たり男ミルコ・デムーロが騎乗するサウンズオブアースから馬連流しと、ラブリーデーを加えての3連複を少々。勝ったのはゴールドアクターだったが、サウンズが2着に追い込んで、6,840円を的中。ま、気分よく終わった。
病院にいるとき、娘が差し入れてくれた山口瞳先生の『壁に耳あり』が(男性自身のダイジェスト版)が最高の暇つぶしになった。むろん一度は読んだものだが、充分に新鮮だった。看護婦が覗きに来て、「女性の作家ですか?」と訊くので、「あまり女性は読まない本」と答えたが、「あ、男性自身って書いてある」と笑った。あの笑いは、何か別のことを想像したのではないだろうか。 今朝の血圧は、146-88。

病室にて

2015-12-26 17:12:07 | 日記
内視鏡で医師を取ってもらったあとは、集中治療室へ行く。そこは完全な野戦病院のスタイルであって、次々と術後患者が運ばれてくるし、また次々と一般病室に移って行く。私の滞在時間は2日半で、その間、右隣におもしろい老病院(といっても、私より2ツ年下らしかった)がいて、退屈しなかった。老人はどこを手術したのか、とにかくまだ水を与えられる状態ではなかった。そこで彼は喉の渇きを訴え、大声で要求する。「ミル、イッパイ、モッテコイ、ランデモッテコナインダ、ヒョウリョクシロヨ、ヒョウリョクスリャ、レキルンラヨ(水1杯持って来い、なんで持って来ないんだ。協力しろよ。協力すりゃ出来るんだよ」。多少認知症気味であるが、意味は通る。もしかすると、院長や医師、看護婦たちがみんなで協力すれば1杯の水は無理としても(私の経験から言えば)小さな氷片のついた割り箸ぐらいは舐めさせてあげられるのではないかと思った。
「○○さーん。採血、採るよ」と看護婦が元気な声で言う。「採血を採る」とどうなるか。2倍の血液を注射器で吸い上げるのだろうか。まさか、採った血液を捨ててしまうことはあり得ないだろうが、いずれにせよ、この言葉はこの病院では通用するようだ。

便秘が続いて参った。毎晩下剤を服用しているし、食事も摂っているのだが、どうしてもダメだった。どうすればよいかはわかっている。酒だ! 私の胃腸の動きは、酒によって健全化されているから、晩酌抜きの毎日では、その辺の臓器が眠ってしまう。改めて思う。酒は偉大なり!