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6月30日

2013-06-30 23:28:31 | 日記
「バンダのなんとかカンペイなんとかって歌があるでしょ?あれ、なんていうの?」、床の中で、日課の脚の手入れ(電動機で叩く)をしているところに家人が訊きに来た。「それは、万朶(ばんだ)の桜か衿の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれたら 散兵戦の花と散れ~だ・カンペイは、間 寛平さんではなくて散兵戦だ」と応えると、「お隣のおじいちゃんが唄っていたのよ」と言う。隣家には3ツぐらいのかわいい娘さんがいて、おじいちゃん(祖父)は毎月1週間ほど連泊して遊びに来るのだそうだ。年齢は70だそうで、なんでこの歌を知っているのか不思議だった。私の終戦は9歳のときであり、お隣の老人は2歳だったはずで、この歌(題は『歩兵の本領』か)を唄える世代ではないと思うのだが。   今年もまた、冷やしタヌキの季節が来た。ソバと細めのウドンを半分ずつ混ぜる。おかずには、厚焼き卵が最高だと、去年も書いたかな?  競馬はラジオ日経賞。昨日の福島テレビ賞で16番から馬連で流し、2着が4番、9番の写真判定になった。両方とも同じ枚数を買っていたが、配当は2倍近く異なる。 結局は高い方が的中して、39.6倍。 そのツキを今日も続けたかったが、1着に来た11番はどう考えても買えなかった。  先週末のニューヨークダウは100ドル余りの下げ。ドル円は98円台で悪くないが、金曜日の上げが大きすぎた感じもあって、明日の東京マーケットの寄り付きは、いささかシンドいか。 部屋が3階なので、快い風が入る。それでも足りずに扇風機も回す。暑がり体質は、老いても不変のようだ。

19歳

2013-06-30 00:20:19 | 日記
孫娘が今日、満19歳の誕生日を迎えたが、私は、20歳になったと思っている。赤ちゃんは母親のおなかの中で280日間育つわけで、これを1歳(1年)とカウントしないというのが、どうしてもわからない。 生まれてきた赤ちゃんは、ゼロ歳児と呼ばれるが、ゼロとは無である。赤ちゃん誕生は、ゼロどころか3kg前後の体重があるではないか。 その重みは280日間の母と子の頑張りによるもので、それをゼロとするのは赤ちゃんにも、もちろん母親にも大変な失礼にあたるのではないだろうか。ほかのことでは、やたらと女性の権利を主張する女性議員達なぜこのことを黙っているのかが不思議だ。 娘達が大学生だった頃(それがちょうど19歳であったかどうかは確かではないが)、自分達の時代より幼いと感じることがあった。たしかに体は立派だが、どこか考え方(モノの見方)はコドモの印象があった。だが、これは繰り返される歴史であろう。孫娘の母親である次女も、いま同じ思いを抱いているだろう。人は常に、自分達のあの頃と較べれば、今の若者は低く映るのではないか。  学生仲間との麻雀に飽きて、時々、オトナ相手の街の雀荘で打つことがあった。7,8卓ある(つまり30人前後の客がいる)部屋で、自分が最年少であることに気付くことがあった。 壁に「未成年お断り」の貼り紙があって、19歳とは未成年かと心中で呟いたりした。むろん、誰も手加減してくれることはなかったし、相手にはヤクザも少なくなかった。それでも(ケンカではないから)怖くはなかったし、そのときの経験が後になって大きく役立つことになる。

酒の力

2013-06-29 09:40:01 | 日記
最近のことはわからぬが、私が受験した平成4年のときの宅地建物取引主任者試験は、50の問題を120分で解く仕組みであって、50歳を過ぎた私には時間的にギリギリであり、その対策として、受験場に向かう車の中でポケットウィスキーを1本呑み、結果として、それが成功(合格)につながった(このことは、以前に少し書いた)。 言い方を変えれば、アルコールの力で頭の回転がよくなったことになる。 麻雀も、たいていの場合は呑みながら打った。勝率もよかった。アルコールのおかげで気が大きくなったわけではない。 生まれつき気の小さな人間が、何かの影響で気が大きくなったりしたら、ギャンブルは必敗である。酒を呑んでも麻雀に勝てたのは、自慢になるがカンが冴えたからだと思う。 一方、呑みながらの将棋がダメだったのは、金を賭けていないからだと思うし、それが小心者の小心者たる所以である。   よく、異性を口説くのに、酒の力を借りるということが言われるが、そのことは理解でき、それこそが、気が大きくなるということの典型だろう。 しかし、これを裏返しにすると、アルコールに背中を押してもらわないと、愛の告白すらできないとなるし、私はそういうケースをいくつか知っているが、たいていは失敗に終わっている。 異性を口説くなら、酒の力など借りず、正々堂々と~とかっこよく言いたいが、私にはその資格がない。私は早くから家人との結婚を決めていて、早くから安全地帯にいたからだ。酒の力を借りて若い愛人を口説くだけの甲斐性がなかったことは言うまでもない。

痩せる

2013-06-27 21:54:21 | 日記
3年前の夏に大病を患った。3週間の入院生活を経て退院する2日前、昔からの友人A氏、B夫妻、C夫妻が不意に見舞いに来てくれた。みんなと会うのは久しぶりだった。私がB夫人に「少し痩せましたか?」と訊き、すると彼女は「とんでもない」と大きく左右に手を振った。私は正直な印象を言っただけだったが、夫人はそれをお世辞と受け取ったようだ。この例に限らず、いまや「痩せる」というのは一級の褒め言葉であるようだ。   3カ月で10キロのダイエットに成功!といった言葉を並べた(本や薬などの)広告が目立つが、dietには「痩せる」という意味はない(単に、健康という言葉であって、もちろん、肥る健康だってある)。 痩せる→カッコイイという神話はどこから生まれたのか。肥満が健康によくないのは私程度の頭でもわかるが、一方で、いちばん長生きするのは小太り体型だというデータもある。 昔、恰幅がいいという形容があった。少々肥り気味のガッシリとした体躯、ダブルのスーツがピッタリの重役タイプ、具体例で言えば二本柳寛さんあたりか。いや、これは少し古いし、男性よりは女性の例の方がいいだろう。 森公美子さんというシンガーがいて、オペラ歌手らしく豊かなボディだ。もし、モリクミさんが何10キロかのダイエットに成功して、今の半分ほどのスリム体になったらどうだろうか。私が言いたいのは、それぞれの魅力ということであって、ただ痩身・スリムに誰もが憧れ、食べたいものを食べないでいる人達の神経が不可解ということだ。

死の順番

2013-06-27 10:13:50 | 日記
少年時代に隣家に住んでいたAさんは3ツ年上で、私の呼び名『ヤボ』の命名者であり、いわば兄貴分的な存在だった。そのAさんが50歳を待たずに病死した。もう30年も前のことだが、そこから不思議なことが始まる。 中学時代から仲の良かったB君は50代の前半、C君・D君は60代の初め、さらにはウチの娘も会ったことのあるE君は73歳で他界する。そのことをヒトコトで言うと、「親しかった人が、次々と」となる。  言うまでもないが、死の理由は人それぞれであって、結局は運命であるとか神の領域といった言葉で括られることになるが、どうも私の場合は、親友に限って早く逝ってしまうのが不可解だ。 しかも、前記の人々はすべて私より健康体であり、大酒豪であったり、不摂生な生活をしていたということもないのだ。つまりは私より先に旅立つ理由はない。  家族という単位だけで言えば、年齢の順に旅立つのが理想だと思っている。私の父は、私より25歳上だから、私が60歳のときに見送ったとしても85歳だから(悲しみはあるだろうが)ゆっくりお休みくださいと言えるだろう。 しかし父の人生は26年で終わっている。また私は、叔母の息子が満1歳を過ぎたばかりのときに肺炎で死亡したのを目の前で見ている。死の順序を決めている神が存在するとしたら、その決め方を訊いてみたい。