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体罰

2019-07-27 14:58:25 | 日記
中学2年のとき私が休み時間にトイレに行き、その間に竹製の物差しで誰かが椅子をこすり、煙が出て、それを知ったクラス担任が怒って、誰のいたずらかを私に訊いた。私はその場にいなかったので、知らぬ存ぜぬで通したが、その間の、私のふてくされた態度に激怒した担任が、平手打ちをした。という話は以前に書いた。もし、その教師が何もせずに「今後は気をつけろよ」とでもいい残して、その場をオワリにしたら、それは教育ではないと書いた。別の言い方をすれば、そのときの平手打ちは教師の情熱であると書いた。

小・中学校時代からの友人であったC君が、東京理科大を出て中学校の教師になった。C君は理系の人間であるが、読書家でもあった。麻雀は下手だったが、人づきあいのいい奴だった。野球部では名捕手だった。何事にも一所懸命という感じがあった。要するに、熱のある好い男だった。教師になって何年目だったか、生徒を殴って別の学校に異動になったと聞いた。私は、Cはやっとホンモノの先生になったと思った。あのCが怒った。生徒を叩いたというのだから、よくよくのことであると思った。

私達の小学校高学年から中学生時代は、教師の暴力は当たり前だった。バカ教師が何か(たとえば自分の家庭不和)の腹いせに生徒を殴ったりしていた。それは現在なら即刻クビになっておかしくないレベルだった。ダメ学校のダメ教師の暴力が無くなったのは、昭和30年近くになってからではなかったか。

今日では、教師の体罰禁止は法文化されているようだ。もちろん情熱先生のビンタも教育委員会ですぐに問題になるだろう。教育とは、何か。教師におけるイの一番の必要は何か。それは情熱であると多くの人は思っているはずだが、それと体罰の関係は?

刻(とき)の長短

2019-07-27 14:51:13 | 日記
人の一生は短い。特に若い刻(とき)、青春時代は短い。曖昧な記憶だが、そんな文章をラッキョウが読み上げた。茨城の中学の国語の授業であって、ラッキョウは担任教師の渾名であり、それは師の顔形からつけられたものだった。人の一生は・・・は、教科書の中の1行だったと思う。

「どうだ?君たちの1日は長いか?短いか?」、ラッキョウが教科書から目を離してみんなを見渡した。師は時々、この種の雑談的な時間を作るのが好きだった。当然に教室中はガヤガヤとなる。「長い時も、みちかい(短い)ときもあっぺよ」という声が多数を占めた。現在の茨城の事情については全く知らないが、70年前の茨城の中学校の教室では純粋な茨城弁が通用していた。「それでは、Y君、どんな日が長く、どんな日が短かいんだ?」とラッキョウがいちばん声の大きいYに訊いた。Yはクラスでは1,2を争う優等生である。彼は顔を赤らめながら、「楽しい時間があるかどうか」の説明をした。正答であるとみんなが納得し、少し静かになったので、私が、「金がある日は短いけど、無い日は長いよなぁ」と言った。大きな笑いが起きた。それが学校での私の役目だった。金の有無は15歳の私の本音だった。祖母の遺品の銀星のスプーンを売って、フトコロの暖かい日は焼きそばが食べられた。今川焼も買えた。そういう1日は短く、ポケットにゼニの無い日は長かった。

大金持ちの一生は短いのか。億万長者の人たちは、死にたくないと思い続けているのではないかと想像することがある。億万長者の一生は短いだろう。百年生きても短いのだろう。

明日は我が身

2019-07-27 11:26:43 | 日記
託老サロンでの麻雀のメンバーはだいたい決まっている。必ず出席するのが最長老93歳のKさんで、私がサロンに通い始めた一昨年の12月から今日まで、ずっと一緒である。あとの2人は時々変わるが、長良川のお婆ちゃんとボランティア参加のHさんが相手であることが多い。私だって出席率は100%ではない。腰痛が重くて休むときもある。月に一度は休んでいるだろうか。

先週のこと。3時のティータイムになって、雑談が始まった。座る場所はだいたい決まっている。Kさんの昔話は私でないと理解できない場合がある。たとえば、吉原や新宿2丁目は赤線だったが、花園町は青線で1ランク下だったなんていうことは、他のメンバーにはわからない。Hさんは福岡の出身である。昭和15年の生まれだから、あの33年の西鉄・巨人の大熱戦日本シリーズのときは高校生だ。高倉、豊田、中西、大下、関口、仰木といったなつかしい話になると、今度は93歳には通じない。そんな、いつものメンバーのところに1人の老婆が顔を出した。髪が整っていない。ザンバラである。スタッフが一人付き添っている。スタッフとお茶と菓子をやりとしている。「こっちはアタシ。こっちはアナタ」と大声で言う。明らかに認知症だとわかる。そのザンバラお婆ちゃんが長良川のお婆ちゃんに話しかけた。「タイソウ、知ってる?」と大声て言った。その目にスタッフが「お茶が終わったら体操よ」と教えたのだ。「タイソウがどうしたの?」と長良川が訊き返す。「タイソウよ、タイソウ知ってる?」、私は笑いをこらえるのに必死だった。だが、笑ってはいけない。私だって認知症の予備軍の、それも最前列にいるのだ。明日は我が身である。長良川のお婆ちゃんは、ザンバラお婆ちゃんが認知症であることにまだ気づかない。「タイソウ知ってる?」が続く。

7月21日

2019-07-27 11:19:27 | 日記
NHK杯将棋で里見女流王座が男性棋士に勝った。女性棋士が男性棋士に勝利するのをテレビで観たのは初めてか。雑誌で読んだのだが将棋界は好況であるようで、一方、囲碁の方は人気が上がらず、対局料なども下がって苦しいらしい。仲邑菫ちゃん一人の人気だけではシンドいと言う。

昼食は珍しい豚まんで、上質な皮に包まれた中身は煮豚である。これは長女が長年お世話になった先輩の定年祝賀会のおみやげ。良いものは旨いという典型で、隠れた名店のものだそうだ。

大相撲は千秋楽。①結びの一番で鶴竜が勝てばそのまま優勝。②結びで白鵬が勝ち、同点決勝で鶴竜が勝つ。③同店決勝で白鵬の逆転優勝。この3つのケースになるが、もしこれに金を賭けるとなれば10人中6人が①を選ぶだろう。私もそれにのる。

参院選の候補者たちの政見放送をテレビで観ていて、「NHKから国民を守る会」という団体があるのを知った。参議院には昔から珍しい人物、珍しい団体が出て来るものだが、今回はどうか?

競馬は福島テレビ杯で、昨日のメインで堅いところ(12.1倍)を当てているので、今日も12・13に1頭を加えた3連複の4点流し。予想どおり、13は快走したが、12が凡走。しかも6がゴール前で割り込んで来て、これは買えなかった。

次女が午後から来て、散髪してもらう。家人と娘2人が揃うと話が弾む。弾むというより破裂する。それでなくても大声の持ち主である長女が爆笑する。聞いているだけでも好い時間である。今朝の血圧は138-72。

映画館

2019-07-21 18:41:18 | 日記
40年も前のこと。その頃参加していた同人誌に、映画館のことを書いた。<映画はデートの一番手。その帰りに喫茶店へ寄る。2人で歩く。そのうちに夕闇が迫るというのがベストだろう>といったことと、<たとえば休日の午後に女性が一人で映画館へ行くのは、どこか寂しい感じがする>などと書いた。これが不評だった。「一人での映画鑑賞が好き」と言う女性が何人もいたのである。もちろん誰がどんな風に映画館に行こうと勝手である。ただし、昭和の或る時期においては、初デートは映画というのが常道だったのは確かであり、男たちが女性に初めて声をかけるとき、「次の土曜日、映画観に行かない?」は「ラーメン食べに行こうか?」「神宮の外苑でも歩いてみない?」よりはラクであったと思うのだ。

映画館のシートに並んで座る。もしそれが夏ならば、半袖シャツから出た腕と腕が触れ合う。お互いにそのことを気にしているのだが、そこは<純情二重奏>であって、素知らぬ顔で画面に視線を送る。好い時間である。そっと手を握っても、振り払われることはにだろう。もしかすると、手を握り返してくれるかもしれない。それが映画館の長所である。喫茶店やカレーハウスとは違ったムードがある。ムードを作っているのは館内の薄暗さだ。私は自分一人で映画に行くのはなんだかモッタイナイ、入場料を払うのが惜しいような気がしたのを憶えている。

現在の若者たちのデートコースはどんなものなのだろうか。まずは、「ケーターの番号、教えてくれない?」と始まるのだろうか。その番号さえわかれば、次はメールだろう。そのあとは、昭和も令和も大差ないような気がする。「いい映画があるんだけど、観に行こうか」となる場合は少なくない気がする。