宇野さんは蒲田工場でプレス機械を踏んでいた。私よりひとまわりほど年上で40歳に近かった。無類の野球好きであるが、自分ではキャッチボールができるかどうかという程度であり、会社の野球部ではコーチの肩書が与えられていた。試合の日は、もちろんユニフォームにスパイク姿でコーチボックスに立つ。私は4番打者だったので、常にノーサインだったが、ほかの選手には盗塁やエンドランのサインぐらいは出していたらしい。 監督がおとなしい人だったので、宇野さんが実質的にチームを動かし選手の交代などを決めていた。酒好きで、少し酔うと戦争の経験談をよくしゃべった。若いときはよくケンカもしたらしい。要するに硬派だった。その宇野さんを誰かが蒲田駅近くのキャバレーに連れて行った。宇野さんは、席に着いたA子にすぐに惚れてしまった。戦中に青春を過ごした人であり、奥さんとは社内結婚だから、俗な言い方をすれば、女馴れをしていない。宇野コーチは私にも女性攻略法というか接近法をコーチしてくれと言いに来たが、こういう場合の答えは1つしかなく、「日曜日の昼間に誘ってみれば?」である。宇野さんはそれを実現すべく何度も店に通いA子を指名した。そしてついに日曜日の昼間のデートは実現する。
しかし、哀しいオチが待っていた。デートの当日、A子は4,5歳の子供を連れて現れたというのだ。そして、人の好い宇野さんは行き先を野毛山動物園にして、3人で猿を見て、レストランでカレーライオスとアイスクリームを食べて来たそうだ。宇野さんは、さほど落胆した様子を見せずに、子連れデートのことをみんなに話し、誰もが爆笑した。
私はこの話を、A子による一種の詐欺だとは思わない。キャバレーのホステスと客の間にあるものは嘘であって、キャバレーはその嘘を楽しむ場所である。「遊女は客に惚れたと言い 客は来もせで また来ると言う」。この戯れ歌は巧いなぁと思う。
しかし、哀しいオチが待っていた。デートの当日、A子は4,5歳の子供を連れて現れたというのだ。そして、人の好い宇野さんは行き先を野毛山動物園にして、3人で猿を見て、レストランでカレーライオスとアイスクリームを食べて来たそうだ。宇野さんは、さほど落胆した様子を見せずに、子連れデートのことをみんなに話し、誰もが爆笑した。
私はこの話を、A子による一種の詐欺だとは思わない。キャバレーのホステスと客の間にあるものは嘘であって、キャバレーはその嘘を楽しむ場所である。「遊女は客に惚れたと言い 客は来もせで また来ると言う」。この戯れ歌は巧いなぁと思う。