gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

肉を食べる

2019-08-31 23:17:39 | 日記
「どうも貧血気味だなぁ、肉を食べるといいんだがなぁ。1日60グラム、60グラム」、先週の木曜日の定期健診のときに内科担当のKドクターに言われた。3カ月前にも、その3カ月までにも同じようなことを言われた。もちろん家人も私の横でそれを聞いている。だから夕食の(正しくは晩酌の)皿には肉がのることが多い。

学生時代は肉が大好きだった。学校での仲間同士の賭けの賞品は、常に昼食のカツ丼だった。そして家に帰ってその夜の食事がスキヤキだったりすると、当たり!と心中で叫んだ。サラリーマン時代もカツ丼を昼食にすることが多かった。

昨日の昼食はヤマザキパンの肉まんだった。それにヨーグルト(苺ジャム入り)。クリームドーナッツ1個、ビスケット3枚に、小粒チョコレート3個だった。肉まん1個に豚肉は何グラム入っているのだろうか。晩酌は柿ピー、冷奴、ベビーチーズのレギュラーに黒豆の煮物、豚肉の生姜焼だったが、その生姜焼が2枚しか食べられない。もっと食べるようにと家人から声が飛ぶが、3枚、4枚は無理だ。むろん、60グラムには届くまい。時々、トンカツを玉ねぎと煮て卵を混ぜ、つまりカツ丼の屋根を家人が作ってくれるが、それもトンカツ3分の1程度の肉が食べられているのかどうか。

90歳、100歳の老人には、肉好きが多いらしい。よく食べられるなぁと感心するほかにない。思うのが、ベジタリアンという人たちのことである。菜食主義のみなさんは、貧血にはならないのだろうか。健康体ではないのだろうか。

野次

2019-08-31 23:09:01 | 日記
「大掃除の分担を決める」、学級担任のW先生が言った。2学期の末、つまり冬休みの前日だった。茨城の中学3年のときの話だ。私は思わず手をあげて「廊下」と言った。半分は野次のつもりだった。私はクラスの野次係だった。するとW師が、「よし、そこの後ろの席の4人、廊下をやれ!その代わり、自分の顔が写るようにピカピカにするんだ」と真顔になった。失敗したと思ったがもう遅い。周りの3人は、「しゃああんめぇ」「やるしかあんめぇ」と言ってくれた。私が「廊下」と言ったのは、そこならばモップで2,3度拭けばOKと思ったからだったのだが、ピカピカとなると雑巾がけが要る。これはシンドい。W師の狙いは、とかく授業中に雑談(私のプロ野球中継模写もある)の多い一団を懲らしめてやろうというところにあったようだ。モップ作業を終えて、雑巾で床を拭いていると、W師が来て「乾いた雑巾の方が床が光るぞ」と冷やかした。教室での私の野次はたいていは成功した。笑いがとれた。しかし、その日は失敗した。

テレビの国会中継を観る。特に予算委員会がおもしろい。安倍首相が答弁に立つ。答弁の途中で野党席の後ろの方から野次が飛ぶ。ざわつく。すると首相は、言葉をとめて、「あの・・・ちょっと静かにしてもらえませんか。いませっかく一生懸命答えている最中ですから」と野次の方向を見る。委員長も「お静かに願います」と発言する。そこに数十秒の間が生じる。上手いなぁと、見ていて思う。その数十秒間で安倍さんの言葉選びが整うのだ。そうでなくても、すらすら答弁に長けている首相である。そこに野次ストップの間が加わるのだから、すらすらが更に滑らかになる。このことは首相答弁に限らない。普通の日常会話だって、ふとした間によってうまい言葉選びに気づくことは誰にだってあると思う。誰もが経験していると思う。とにかく、野党の野次は安倍答弁を助けている。

赤線青線

2019-08-31 23:01:50 | 日記
「赤線、青線なんてのがあってねぇ」、93歳のKさんが言う。麻雀を1時間打った後の、サロンのティータイムである。「アカセン、アオセンって何ですか?」、40歳ぐらいのスタッフの女性が興味を打つ。Kさんが危ないことを口走らないうちに、助け船を出す。サロンには禁句のようなものがある気がする。「昭和33年まで、日本には売春禁止法が無かったんです」。それにKさんが付け加える。「そういう場所がある方が犯罪防止に役立っていたんだ」。

売春防止法が施行されたのは昭和33年4月1日である。それまで、特殊飲食店という名で、その店での売春が認められていた。いわゆる公娼地帯であって、赤は青より格上だった。値段も高かった。赤と青の差は衛生状態にあると言われていた。女の質の差を言う人もいた。昭和30年の時点で、私は19歳だった。金のない学生であり、アルバイト生活人間だった。同級生に金持ちの息子がいて、3日連続で赤線から学校に通ったりするのがいた。

私は売春防止法に反対するのではない。思うのはただそういう時代があったということだけだ。1つだけ付け足すとすれば、赤線青線を知っていた奴を知らない奴(昭和15年以後の生まれ)とでは、ほんの少し青春が違っていたということがあると思うのだ。

若き日のKさんは金があったようで、吉原や新宿2丁目の話をする。両方とも格上の赤である。私は、新宿花園町(青線)のことに触れようとしてやめた。サロンには禁句がある。

8月25日

2019-08-31 22:54:21 | 日記
NHK杯将棋に藤井聡太七段が登場。相手は久保利明九段で、初めは千日手による指し直しとなった。その分、時間の少なくなった2局目は、一手を争う熱戦になったが、最後は久保さんの一6香が効果的で藤井君投了。

最近はおもしろい(楽しい、明るい)ニュースがあまりないというか、ほとんど聞かれなくなった気がする。先週でも韓国問題と、あおり運転のことだけで、テレビのワイドショーの半分以上を占めていた。週末のニューヨークダウも600ドルの下げで終わっているから、明日の東京マーケットも明るくはなれないだろう。甲子園も終わったし。

金曜日にデイケアサロンで麻雀を打つ。4時に帰宅して5時から重田名人の指圧を受ける。「今夜は酒がよくまわりますよ」と名人が言うが、その通りであって、いつもと同量の水割りが9時間眠る。睡眠充分の頭で考える土曜の競馬は当たってもよさそうなものだが、昨日はダメだったし、今日も7番が買えず。先週の土日連勝の勢いを続けられなかった。

昼食に、娘がドライカレーを作ってくれた。思い出すのが高校時代で、友人に、「おまえ、インディアンカレーって知っているか?」と訊かれ、首を横に振ると、東京・青山の種長という店へ連れて行ってくれた。その友人は種長の娘に惚れているようだった。それから10数年後、サラリーマンになっていた私は、下請会社の若い重役さんと仲良くなり、若重役が青山学院のOBであることを知り、ふと種長のことを話してみると、なんと若重役は種長の娘と付き合っていたことを知らされる。世の中狭い、とはこのことかと思ったものだ。今朝の血圧は152-92。

老老麻雀

2019-08-25 20:14:43 | 日記
93翁、86(元女子プロ野球選手)、82長良川、83腰痛。この4人で麻雀を打つ。数字は年齢であって、4人足すといくつになるのか、にわかには計算できない。計算しても仕方ない。この年齢で、どうしてチョンボ(誤ったアガリなど)が起きないのかが不思議である。

ゲームは静かに進行する。ポン、チー、リーチ、ロン以外の声は少ない。私だけが喋る。「Kさん(93翁)の手が早そうだなぁ」「ドラはNさん(長良川)に2枚かな」と言ったりする。返事はない。返事をする余裕がない。自分の手を見るのがイッパイである。

私は30分に一度の割で立ち上がる。「大丈夫ですか?」と、少し前までは誰かから声がかかった。サロンで歩行器を利用しているのは私だけだ。誰にも私の腰痛がわかっている。時々立ち上がらないと腰がもたない。なるべくゲームの進行が滞らないように、リーチをかけたときに立ち上がるようにしている。それなら、ロンかツモ切りのどちらかしかないから、迷惑がかからない。

老老麻雀の特徴は、テンパイ即リーチが多いことであって、つまりヤミテンのあがりは私に多い。すると、「なんでリーチしないんですか?」と訊かれたりする。この手はヤミテンならあがれると見てのことなのだが、振り込んだ人は、「ああ、上手いなぁ」なんて言ってくれる。

麻雀は腕のランクでA級が1人、B級が2人、C級が1人で打つと、C級のゲームになる。すなわち、運がすべてになる。運が向けばC級の長良川のお婆ちゃんが大勝する。他の3人が、長良川のお婆ちゃんにながば振り込んでもいいやと思っているからだ。サロンの老老麻雀もおもしろい。テレビゲームよりおもしろい。