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ペット

2020-12-30 12:50:49 | 日記
家人が居間のソファに座る。リャンピン(ルーク)がその近くの椅子に来る。家人の様子を見る。家人が何かを言う。リャンピンは嬉しそにソファに移る。家人が手を伸ばしてリャンピンのアゴの下から胸のあたりを撫でる。毎日のことだから、どちらも馴れている。一方、お嬢(ヴィヴィアン)は家人の前に来て仰向けに寝ころがる。家人がその胸から腹の部分を足の裏で撫でまわす。この遊びはゴロニャンと呼ばれている。

2名のネコを見ていると、甘え上手という言葉を思う。時々小声で鳴くが、そのタイミングも巧い。どうすれば飼い主が喜ぶかを知っているのではないかとすら見える。ペットとは愛玩と訳すのかと思うが、相思相愛としてもよいのではないか。家人だってネコに甘えているのだと思う。文芸春秋に、毎月、もうひとりの家族というページでイヌやネコが飼い主と並んだ写真が載っているが、どの家でも人とペットとの関係は相思であり、相愛であるだろう。

一人暮らしの老人が愛犬を、もう一人の家族としていたとする。その老人がコロナに感染したとする。入院の必要がある。そのとき、愛犬はどうするのか。預かってくれる家族はいない。友人、知人もいない。もしいたとしても感染者の家まで引き取りに来てくれるだろうか。そんな危険を冒してきてくれることはまずないだろう。この種の悲劇は毎日多くの場所で起こっているのではないだろうか。いや、必ず起こっているはずだ。ペットたちがホームレスになる。良い人に拾ってもらえればよいか、そうでなければ食事も寝床も自分で探さねばならないのだ。コロナの魔の手はペットにまで忍び寄っている。

信長とチャイナタウン

2020-12-30 12:41:05 | 日記
NHK大河ドラマ『麒麟が来る!』の前回の副題に<信長と蘭奢待>とあった。私は無学無知であって、蘭奢待というのがわからない。スマホで調べればすぐにわかるのだろうが、そんな洒落たものを私が持っているわけがない。そのうちにふと、ランジャという言葉を何かで耳にしたことがあるのを思い出した。終戦間もない頃に流行した『サンフランシスコのチャイナタウン』という歌の中に、<忘らりょか 忘らりょか ランジャの香り>という歌詞があったのを思い出した。蘭麝という文字から考えても、チャイナタウンから想像しても、中国産のものだろう。伽羅とか白檀と同様に植物からの香りだろう。

ドラマで観たそれは、正倉院に眠る古木の体(待)だった。何か所かに削り取られたあとがあって、それらはいずれも室町幕府の3人か4人の将軍によるものだった。信長も一片を削り取った。それが、天下人の証のように振舞った。かくして、私は信長とチャイナタウンがつながった。

このように、何か1つのことを(あるいは1人の人物のことを)考えたり、思い出そうとするときに、それに連なってアレコレのことが思い浮かんでくることは、どなたにもあると思う。そして、ああ、そうだったという風につながって、なんとなくほっとしたり、どうにも最後までつながらなくて、もういいや考えるのが面倒くさいというように終わることもある。つまり、ほとんど関係のなさそうなモノから、ある解答が導き出されることがあるのがおもしろいのだ。光秀ドラマが蘭奢待にさしかかったとき、一緒に観ていた家人に、『サンフランシスコのチャイナタウン』という歌を憶えているかと訊いたら、すぐに小声で口ずさんだ。

寿命

2020-12-27 12:45:34 | 日記
寿命とは天(神)が人間それぞれに与えた人間界での時間ではないかという気がする。だから、時によって、神は不公平だ。何の罪もない
幼子が亡くなったりする。長命な悪人もいる。

私が、小学6年生の時に叔母の子供が肺炎で亡くなった。満1歳になるかならないかの子だ。終戦間もない頃であり、もちろん抗生物質などあるはずもない。枕元に駆けつけて来た2人のドクターも、気休めに何かの注射を打つだけだった。赤ちゃんは口からコーヒー色の液体を吐き、みるみるうちに小さい体を更に小さくしていった。翌日か翌々日か、骨壺の入った小型の木箱を先祖の位牌が並ぶ仏壇の横に置きながら、祖父が、「寿命か」と言った。祖父はこのとき、神の不公平さを怨んだだろう。

私の寿命は74年と8カ月だった。これは自分で勝手に決めているのではなく、6人の医師が証言している。そのとき私の胸部大動脈瘤が破裂した。詳細については以前から書いているので省略するが、8時間にわたる手術には7人のドクターが参加してくださったそうだ。執刀医の星野丈二先生は無口な方で、私には、「頑張りましたね」と笑顔で声をかけてくださっただけだが、他の6人のドクターの中にはいろいろと説明される方もいて、4リットルの輸血のことなど、すごいオペだったことを知らされた。「あれは、間違いなく死んどった」と関西弁で話す一人が言い、それに2,3人が頷いた。つまり、死んで当然、死ぬのが当たり前だったのだ。すなわち、寿命の終点だったのだと思う。

12月23日で85歳になった。妹が祝いの電話をくれた。少し寿命の話をした。前記のような話をした。妹の孫娘は大学4年生だそうだ。その子が2歳か3歳のときに、妹の家でおもしろいことがあった。どうしてそういう状況になったのかはわからないが、小さい女の子がソファの奥に座り、その少し離れたところに私がいた。女の子は困っただろう。見知らぬオッチャンの前を通り抜けなければママたちのところへ行けないのだ。その女の子が大学4年生になっている。

省略

2020-12-27 12:36:45 | 日記
『逃亡者』というテレビドラマを観た。アメリカのドラマのリメイクだそうだ。主演は渡辺謙さんで、これが無実の罪を背負っての逃亡者役。それを追う刑事側のリーダーが豊川悦司さんだ。娘の説明によると、豊川さんは20年以上前に大人気だった俳優だそうだ。トヨエツと呼ばれもてはやされていたそうだ。

トヨエツは、姓と名の上半分をあわせた略名であって、木村拓哉さんのキムタクと同じだ。この種の略名というのは最近の流行なのだろうか。みのもんたさんが、みのもん。橋本龍太郎さんがハシリュウ、安藤勝己さんがアンカツで通用する。野口五郎さんはノグゴロ、萬屋錦之介さんをヨロキンと呼んでいるのは我が家だけかな。

「トリセツって言葉、わかりますか?」、友人と電話中に訊かれたことがある。何か酒のことを話していた途中だったかで、すぐにわかった。取引相手を接待すること、と答えたら笑われた。トリセツとは取扱説明書の略なのだそうだ。そういえば、私達のサラリーマン時代にもいろいろな略語があった。ただ、その略語は業界の専門用語であることが多かった気がする。トリセツとは業界用語でも専門用語でもない。家庭の主婦でも小学生でも知っているようだ。

渡辺謙さんを、ワタケンと略することはない。私の中学時代の理科の担当で、3年生の時のクラス担任が渡辺謙次先生で、生徒たちは陰でワタケンと呼んでいた。情熱のある人だった。良い先生だった。あるテストで、私がクラス中の最高点をとったことがある。電池のつなぎ方で電線の明るさが異なることを問うたものであって、私のヨミが的中した。電池のツナギを暗号マーク化してのカンニングは大きな工夫を要したが、その甲斐があった。しかし、通信簿は4だった。5は私よりテストの点の低い優等生にまわされた。良い先生だった。

12月20日

2020-12-27 12:26:54 | 日記
孫娘夫婦とボン(曽孫)が遊びに来てくれた。ボンを見るのは2カ月ぶりだ。家人が、ずいぶん大きくなったと言うが、私にはわからない。家人には、子育て経験が私よりはずっと色濃く残っているのだろう。ボンは長女がプレゼントした新幹線の玩具に夢中になる。私は知らなかったのだが、現在の新幹線は、走る路線によって、それぞれ固有の名前があり、車体の形や色が異なるようで、2歳とちょっとの赤ん坊がそれをおぼえている。おぼえるのに一所懸命だ。ポテトフライが好物のようだ。握り寿司の玉子もパクついている。

ボンのパパと将棋を指した。やはりテレビのAI相手より、人間と指す方がおもしろい。1局目はボンパパに大きな見落としがあって、私が楽勝したが、2局目は端攻めに集中しすぎて相手陣に<と金>が2枚、<成桂>が1枚あるのに、寄せのスピードが上がらない。そのうちに相手の攻めが始まった。<歩>があればラクに受かるのだが、手ごまに<歩>がない。歩のない将棋は負け将棋という格言どおりになって、1手差で負けた。1勝1敗は好い結果だ。

先日、終活と題したこのブログに書いたように、私にも携帯電話が必要であることがわかった。それが無いとすべての社会から遮断されてしまうということをテレビで知った。誰かと話せるようにしておくことが、終活では最も大事なことだ。コロナであっても、他の病気であっても、入院生活になると面会が難しくなる。家族とも会えないわけだ。つまり、入院は昔の兵隊と同じことなのだ。私の兄代わりだった3人の叔父たちは、戦争中、どこにいるかわからなかった。わからないうちに1人はミッドウェーで戦死し、1人は終戦時に台湾に、もう1人は伊豆大島に居たことがわかった。わかったのは、戦争が終わってからのことである。コロナでの一家離散とは世に多いはずだ。戦中と同じ状態が起きている。少しだけ違うのが、携帯電話、スマートフォンの存在だと思う。とにかく大変な世の中になっている。ボンが大きくなったの頃の世界は?今朝の血圧、127ー78。