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12月31日

2017-12-31 18:21:35 | 日記
午前10時から、石原裕次郎の映画『鷲と鷹』を家人と娘と3人で観た。昭和32年の作品だが、何度観てもおもしろい。裕次郎映画に名作無しと、よく言われるが、これは娯楽性という意味では名作なのではないか。久々に涙が出た。悲しさとか感動といったものからではなく、笑いの涙である。泣かせてくれたのは、裕次郎ではなく、西村晃さん、柳沢真一さんだった。

家族麻雀の打ち納めは娘が快勝し、私が一人負け。3人麻雀を始めたのが8月だから、もう4カ月が経つ。娘はさすがに上達した。振り込みが少なくなった。

今日は大晦日。今年の人を1人選ぶとすれば、やはり小池百合子の5文字が浮かぶ。7月の都議選で都民ファーストは大勝した。そして10月の衆院選で希望の党はボロ負けした。マスコミは小池氏の排除発言を敗因の第一に挙げているが、それよりも言えるのが、勝者の驕りである。都議選の勝因は敵失にあった。相手のエラーで勝ったのである。敵のエラーはそうは続かない。むこうだって反省するのである。一方、安倍首相の解散は賭けだった。麻雀で言えば、3人の相手がリーチをかけているところへ、目をつぶって安全パイとは言えないパイを打つようなものだった。そして勝った。それでも今年の人は小池さんだった。みんなが彼女を見ていた。

我が家のトップニュースは、猫が家族の一員となって1年経ったことだろう。この子の存在が、家庭を明るくしている。おもしろくしている。文藝春秋12月号の巻頭グラビアで、吉田修一さんという作家が、「猫の好さは、何を考えているかがわからないところにある」と述べている。それを読んで、やはり同じことを考える人がいると思った。

29

2017-12-31 18:14:15 | 日記
我が家には29日生まれが3人いる。家人(3月)、次女(2月)、孫娘(6月)である。孫の6月というのは別にどうということはないが、家人の3月はギリギリという感じがある。つまりあと4日生まれてくれれば別の学年になって、しかもその学年の最年長者になる。家人の話によると、小学校1,2年生あたりまでは、体操の時間などで最年少であることを感じたそうだ。次女の2月は、カレンダーでは4年に1回しか印されていない。普通の人には同月同日生まれが365分の1の確率で存在するが、次女のそれは、365×4 分の1になる。だから、生まれたときに産院のドクターが、3月1日にしておきましょうか?と言った。もちろん、私はその善意なおせっかいを断った。4年に1回、上等、上等と思った。

29という数字を見て、何を思い浮かべるか。私の年代はアメリカの大型爆撃機B29が最初に出て来る。あれは凄かったなぁと思う。ラジオの声が、「敵B29約100機が潮岬を北上中、和歌山県、奈良県、空襲警報。中部軍管区司令長官発令」から始まって、私のいた兵庫県にもすぐ警報が発令された。我が家は奇跡的に焼け残ったが、両側の隣家は焼失した。

12月29日。昨夕からボクちゃんが泊まり掛けで遊びに来ていた。幼い女の子が家にいるというのは、とてもいい時間である。声が好い。笑い声がいい。ボクちゃんというのは男用語だとわかって来て、ウチと言うようになった。ウチは関西弁だから、どこかで耳に入れたのだろう。本名は葉月(はづき)である。ハズキルーペである。ハーちゃんは安っぽい感じがするし、ハヅちゃんも音が好くない。顔を見ていると、やっぱりボクは似合っていたなぁと思う。

39

2017-12-31 17:51:16 | 日記
昭和39年の夏に公団住宅に入居した。6畳1間のアパート生活が終わった。嬉しかった。子供を持つことができる。新築の2DKである。場所もいい。地番は横浜市戸塚区であるが、最寄駅は大船であって、以前から好きな駅だった。勤務先は蒲田であって、生産業だから始業は午前8時。6時に起床しないと間に合わない。それだけが大きな課題だった。やがて私は遅刻王になるのだが、そのことは前に書いた。9月に人事異動があって、課長ポストに就いた。担当は購買だった。大きな自動車メーカーの一次下請けだったから、更にその下請け会社に仕事を依頼するのが主たる役目である。いわゆる、町工場のオッチャンが相手である。機械油と夜の酒の匂いがする仕事は、私の体質に合っていた。

昭和39年は東京五輪の年でもあった。多忙で帰宅が遅くなるので競技をテレビで観る機会はすくなかったが、バレーボールの東洋の魔女の優勝は、酒を呑みながら自宅で観た。魔女の中では、半田百合子さんが好きだった。彼女たちの下半身は、現在の短パンと違ってブルマーであり、俗に謂う提灯ブルマーだった。半田さんがその提灯にいちばん似合っていた。閉会式が好かった。各国の選手たちが退場行進のときにゴチャ混ぜになり、肩を組み合ったりしてお祭りになった。つまりは、予定にない演出が見事に行われた。これぞオリンピックという絵になった。

会社に野球チームが作られることになり私も参加した。ユニフォームの背番号は自由に選べた。私は肥満体(身長180センチ、体重85キロ)だったので、2ケタの番号が欲しかった。運動具店の来る前日の昼休みだったかに、女子社員に、30以上60以下の条件で2ケた数字を考えてくれるように頼んだ。女性たちが選んでくれたのが39だった。私は、背番号39の強打者になった。打率は6割を超え、3試合に2本ぐらいの割でホームランを打った。

2017-12-28 22:09:58 | 日記
讀賣巨人軍と言う。大阪阪神軍とは言わない。名古屋中日軍とは言わない。なぜ巨人だけ軍が付くのだろうか。誰が言い出したのだろうか。広島カープのことを赤ヘル軍隊と称することはあるが、これはまぁニックネームの部類であるだろう。戦時中、何かにつけて、軍を名乗るのが子供達の間にはあったけれど、戦後にはそれは無くなった。運動会だって、赤組白組青組である。つまり、いまは軍の文字はどこか泥臭いというか、ダサい印象があるのではないだろうか。NHK紅白歌合戦と言う。合戦である。だから、紅軍、白軍と呼んでもいいわけだが、これも紅組、白組である。

他局のことはよくわからないが、我が家でよく観ているテレビ朝日では、天気予報のときに、やたらと冬将軍という言葉を使う。使いたがっているのではないかと思ってしまうほど多用する。まず、冬将軍とは何なのだろうか。単にモーレツな寒さのことなのだろうか。寒さプラス強風のことなのだろうか。あるいは氷点下何度以下といったような数字上のことなのか。それをわからぬままに、私は毎日、冬将軍、冬将軍と叫ぶ天気予報を観ている。もうひとつは、なぜ冬にだけ将軍の位が与えられているのかがわからない。夏にも猛暑の日がある。熱帯夜がある。それでも、夏将軍とは言わない。夏鬼婆とも言わない。多治見とか熊谷といった、暑さで有名な都市はあるが、そこにも夏将軍も鬼婆も雷女も現れない。巨人軍のこと、冬将軍のことを、林修先生に訊いてみたいと思っている。

ケアマネジャー

2017-12-26 20:58:23 | 日記
4年前に、私は要介護1の認定を受け、ただちにケアマネジャーとしてNさんが選定された。明朗な女性だった。笑窪が目立つ好い顔をしていた。リハビリの先生を紹介してくださり、これもアタリだった。指圧の名人も当ててくださった。そのNさんが昨年突発性難聴という聞きなれない病気になった。難病だそうである。替わってOさんがケアマネになった。60歳前後の女性で、気楽な人柄である。私は現在は要介護2の外出不自由人間であるが、介護に携わってくださる方々がすべてアタリなのがありがたい。不思議なほどの幸運だと思っている。不自由ではあるが、家人の車でデイサービスサロンへ行くことができる。

サロンに集まる老人たちの中で、歩行器で行動しているのは私だけである。皆さんもどこかに不自由を抱えているのだろう(だから、このサロンを利用されているのだ)が、20人ほどの老老男女の中に歩行器1台というわけだ。サロンではお互いに自分の身体の状態については話さない。腰の手術や胸部大動脈瘤破裂の話をしているのは私だけである。私は誰かに訊かれればなんでも話す。動脈瘤の破裂の時の痛みについても話す。カミソリの刃を細かく砕いて糊でつないで、ピンポン球を作り、それを左胸の深部から右腹部方向へ素早く転がすような激痛、と説明する。

今日はOさんの月ぎめ来訪日だった。最近、他人が来ると姿を隠す猫のViViがOさんからは逃げない。Oさんに頭を撫でられても静かにしている。Oさんは自宅で2匹の猫を飼っているそうだから、衣服にその匂いがついているからなのか、その辺りはわからない。Oさんは30人ほどの要介護者の面倒を見ているそうだ。訪問時間は約60分で、大半は雑談である。雑談で、私の健康状態は充分にわかるのだろう。