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谷 光司さん

2020-04-28 17:32:29 | 日記
谷光司さんとは同人誌の会で知り合った。夫人の汎子さんが「Fの会」というやはり同人誌に参加されていて、私もそこの会員だった。F誌に興味を持たれた光司さんはご自分で新しい誌会を作るべく汎子夫人に仲間集めを託され、Fの会に所属する神奈川県在住のメンバー10数人に声をかけ、小さな誌「I」ができた。私もそこに参加した。

吉田満さんの書いた『戦艦大和』という本が話題になった時期がある。40年も前になるだろうか。映画化もされた。その中に臼渕巌大尉という人物が出て来る。臼渕大尉は米軍から魚雷の集中攻撃を受け、沈みゆく大和の艦内で部下達に「戦争はやがて終わる。俺たちはそのあとに来る平和のために死ぬのだ」と語る。

谷光司大尉と臼渕巌大尉は海軍兵学校の同期である。谷さんは神戸一中を優秀な成績で卒業し、京大へは行かずに、海兵に進んだバリバリの軍人であり、海の男である。その男ぶりに惚れたのが臼渕さんであった。戦争末期、戦艦大和への乗り組みを命ぜられたとき、別の艦に乗る谷さんに「俺の妹を頼む」と告げる。「お前の嫁に」という意味だ。臼渕退院は大和とともに海中に沈むが、谷大尉は人間魚雷回天に乗る寸前に終戦となって復員する。臼渕さんの言に従い、妹の汎子さんを訪ね、結婚する。

一度だけ同人誌メンバー数人と谷邸で酒をご馳走になったことがある。静かな、広い家だった。谷さんは、海事会社の社長をなさっていて、保土ヶ谷から東京の丸ビルに通勤されているらしかった。出されたウィスキーはロイヤルサルートで、私もおおいに呑み、お礼に海兵の歌(江田島健児の歌)を唄った。15ほど年下の私がそんな歌を知っているのが、谷さんにも汎子夫人にも不思議だったようだ。「古鷹山下水清く 松籟の音冴ゆるとこ 明けはなれ行く野見島の・・・」。谷光司さん、汎子さん、御存命なら100歳ちょうどか。

治療

2020-04-27 18:12:49 | 日記
3カ月に一度、病院へ行って健康診断を受けている。泌尿器科、内科、整形外科をまわる。どの科でも簡単な問診があって、3カ月分の薬の処方があって、帰り道に薬局に寄って処方箋を渡し、後日、その薬を受け取りに行くという流れになっている。

私の苦痛は腰部にある。腰につながる左脚の側筋の痛みも時々ある。整形外科のドクターは、「脚を伸ばしてみてください」ださいとか「ヒザを屈指してみてください」とか言って様子を見るが、別に治療はしない。内科では血液検査の結果を見ながら、「貧血気味だなぁ。肉を食べるといいんだがなぁ」と呟くように言うが、ここでも別に治療はしない。泌尿器科と同様である。つまり、私の健康診断というのは、大雑把に言えば、薬をもらうためのものなのだ。もちろんそれだけ、いまはそこそこ安心できる状態にあるらしいから、ありがたいと言えばありがたいことだ。

私の腰の治療は、重田名人の週に2回の指圧だけだった。それがコロナ騒動で中断となった。私の腰の痛みは脊柱管狭窄症のオペによって完治しているが、その術中に切られた筋が、老齢の故か元に戻らないことにあるようだ。名人の指圧は、その筋肉の硬くなっている部分をやわらげる。だから、施術のあと、数時間は痛みが消える。もしその効果が3日間持続すれば(週2回の治療で)、私は健康人になるわけだが、指圧治療にも当然に限界はあるようだ。

その唯一の治療が無くなった。コロナを恨んでも仕方がない。1日に1回(約10分間)腰に当てていた電動モミ器を2回にして、今日は3回やった。それぐらいしか、対抗手段が思いつかない。小学校3年生になったボクちゃんを1回500円のアルバイトで頼んで、背中を踏んでもらおうかと考えたが、「それは密着になるからダメ」と家人に一蹴された。

4月26日

2020-04-26 18:42:51 | 日記
大阪の知事がパチンコ店に営業自粛を要請し、それに従わずにオープンしている店の名を公表した。すると、その何軒かの店に客が殺到したそうで、駐車場には四国ナンバーの車もあったという。つまり、知事の発表は裏目に出たわけだが、私はこの結果は予想できたはずだと思う。パチンコファンも飢えているのだ。中央競馬は無観客競走を土日に開催しているから、電話会員になれば朝の10時から夕方4時まで馬券が買えるので、それをおやったらどうかと思うのだが、パチンコファンのパチンコへの執着というのはまた別物なのだろう。

重田名人の訪問治療がダメになった。考えてみれば当然のことであって、あれほど密着するものも少ないだろう。また、毎月1回、訪問観察に来るケアマネさんもポストに手紙を入れて行くだけになった。ケアマネの仕事は受け持ち患者の様子を観るために個別訪問して、喋りながら健康具合をチェックすることになるのだが、電話での会話すら無くなった。私の場合は、腰痛の調子だけだから、あまり問題はないのだろうが、もう1つは家族である。たとえば、独居の老病人にとって、ケアマネさんの存在はかかりつけのドクターと同じように頼りの杖だろう。その人と距離ができてしまったが、困るだろう。また訪問介護ヘルパーさんのこともある。他人事にまで心配してしまうのは、コロナ以前に通っていたデイケアサロンで見ていた老人たちを思い出すからだ。サロンに集まるメンバーの中にも、私より体調不全の人は何人かいたのだ。

競馬フローラステークスは、若い横山武騎手を軽視して失敗。武くんはノリさん(横山典弘騎手)の息子で、10Rも逃げきっての連勝だから、今日はおおいに賞金稼ぎができただろう。オークスも日本ダービーも近づいた。コロナの中、JRAは頑張っている。今朝の血圧は145-91。

法律と常識と

2020-04-26 18:36:22 | 日記
世の中のたいていのことは法律と常識で成り立っていると、中学生の作文のような書き出しで雑文にして同人誌に贈ったのは、50歳をナンボか過ぎた頃だった。私は車の運転ができない。だから、車に乗るときはいつも他人のハンドルに頼っている。道を走っていると、車の往来は、みんながきちんと法律を守っていることがわかる。一人でも違反者がいればたちまちにして事故が発生する。渋滞や信号のない交差点などでは、常識的な譲り合いが行われる。見事なものだ。それが運転できない人間の感想である。他の社会はどうか。車の通行と同じように法律と常識で動いているだろうか、とそんなことを書いた。この雑文への評がおもしろかった。

「いちばんに人間を動かしているのは情ではないかしら」と、70代のお婆さんが言った。「それだ」と同年代の爺さんが応じた。私は「物差しが違うし、別の話になる」と言おうとして、やめた。この種の食い違いを話し合うのは時間のムダである。たとえば、結婚はどうか。結婚の基は、情(愛とか相性とか)だろう。一緒に生活してもいいし、しなくてもいい。だが、生活を共にするのは常識である。法律上の届出も必要だ、などと、話しても仕方がない。爺さん婆さん相手に、「では、法律が無かったら」と言っても仕方がない。

家庭という小社会がある。家庭にも法律が存在し、常識が欠かせない。それにもう1つ、その上独特のルールがあるだろう。知人や友人の家を訪ねて、その家だけのルールを知って驚いたこともある。人間だけでなく、たとえば我が家の2匹の猫達にも2匹だけの取り決めがあるかもしれない。

娯楽

2020-04-24 19:49:41 | 日記
20軒ほどの集落のほとんどが丸焼けに近い状態になった。住民立はみんな茫然としていた。なんとか食べ物だけでも探そうと必死だった。3日目になって、やっと余震も少なくなり・・・すると一人の男が焼け残った将棋盤と駒を探し出して来て、もう一人の男と将棋を指し始めた。まもなく盤の傍に一人、二人と近所の人達が対局を観に来た。そして、いつもの縁台将棋と同じように誰かが、「その銀打ちはムリだ」と口を出し、それに対して別の一人が「銀より先に桂馬を使う方が良い」と返した。これは関東大震災のあとの東京の或る町の出来事を紹介した一文である。つまり、そんな大事件の直後でも人間は娯楽を求めるものだと言っているわけだ。

JRAが無観客で開催している競馬の売上(ネットと電話だけは馬券が買える)が減少していないのは、コロナ騒動で多くの人が娯楽に飢えているからだろうと新聞が書いていた。私の場合は、競馬場や場外売場へ行くことはできず、電話だけが頼りだから、今までどおりであって、土日にテレビの前で小博奕ができるのはありがたいと思っている。

プロ野球も無観客でリーグ戦をやるのではないか。そういう記事がスポーツ紙にあった。無観客だから収入の中心はテレビの放映権料になる。それでも視聴率はかなり高くなるだろう。野球ファンも野球に飢えている。特にプロ野球には子供のファンも多い。

学校も休みで、ずっと家にいる子供が多い。私には全くわからないが、スマホのゲームでやっと時間をつぶしている少年少女が多いのではないだろうか。この時期、プロスポーツの無観客試合のテレビ中継は子供達(もちろん大人も)への開放感のプレゼントになるのではないかと思う。