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つもり

2016-05-30 23:00:03 | 日記
5月16日の胆石除去手術は比較的ラクに済むのではないかと思っていた。そういうつもりで病院へ行った。この手術は三度目であって、前の2回は激痛が始まってからの救急車搬送だったが、今回は自己診断で(まだ痛みの途中で)これは胆石だと察知したのであり、いわば、早期発見である。 また、内視鏡によるオペというのは、それほど大きな苦痛を伴わないことは経験で知っていた。然るに、私の「つもり」は外れた。オペが終わってからか、あるいは終わりかけの頃かと思うが、猛烈な嘔吐感に襲われた。胃は空っぽだから吐くものはない。嘔吐感は咳とともに口元に上がって来る。しかし、唇はマウスピースのようなものでふさがれている(その器具の小さな孔に内視鏡の管が挿入される)から苦しみが倍増する。ポロポロと涙を流しながら呻くこと4,5分間、あれは何だったのかと、今でも思う。
それでも、胆石というのは、取ってしまえばあとはラクで、20日の金曜日には退院できるのではないかと計算していて、娘もそのつもりになっていた。結果として退院は木曜日となり、これも、そのつもりでいた大相撲の全勝対決「白鵬×稀勢の里」戦に間に合った。
人はだれでも「××のつもりで」毎日生活している。「つもり」は「××のはず」がもとになっているから、時々外れることがあって、人生思い通りにはいかぬことが少なくない。私は死後の世界があると信じている(その証拠は別の機会に)。 霊界(あの世)では、まず先祖の皆さんに会い、時間は無限にあるらしいから、大石内蔵助さんや明智光秀さんなどと、酒を酌み交わすつもりでいる。

5月29日

2016-05-29 18:43:02 | 日記
寝室の窓が東側にあるので、6時前には本が読めるほどに明るくなる。このところ、病院からの続きで、山口瞳さんの「男性自身」シリーズを読んでいるが、これはまだ⒑冊ほど娘が持っているそうで、もちろん入院はしたくないが、もしそうなっても、読む本だけは大丈夫ということになる。
あの羽田の大韓航空機のエンジン火災は、つくづく幸運だったと思う。気づくのがちょっとでも遅れたら飛行機は間違いなく海に突っ込んでいただろう。今朝の週間ニュースをテレビで観ても、繰り返し運を思う。
日本ダービーは、まさかと思った3強が1着から3着を占めた。本命党の人たちは旨いビールが呑めただろう。私は昨日の東京メインで25.1倍を当てているので、6番人気の14番からアナ狙いしていた。リハビリの宿題で、歩行器の枠を利用したスクワットという腰膝訓練を繰り返している。リハビリコーチのお姉さんが、「キツいから有効、ラクなのは無効」と言う。私は有効技を反復する。息が切れ、口腔がカラカラになる。
伊勢志摩頂上会談が終わって、首相が消費税再延期を決めたがっているが、麻生財務相も谷垣幹事長も、それではお金が足りないと反対しているようだ。株式市場はどう反応するか。
昨日は次女が遊びに来て、家人が春巻きを作った。自慢になるが、家人の春巻きは、並みの中華店よりはるかに旨い。大きくて、私は2本食べるのが精いっぱい。今夜あたりは、穴子の蒲焼風で呑みたいのだが、これが手に入らないらしい。今朝の血圧は137-84。

昭和は遠く~

2016-05-28 23:33:26 | 日記
「根岸の里の侘び住まい」の前に5文字を加えれば俳句ができる、ということを教わったのは中学の頃だったかと思うが、これはナルホドだった。たとえば「五月雨や」でもいいし、「寒空や」でも成立するし、「秋刀魚焼く 根岸の里の 侘び住まい」なんてのも悪くない。といっても、私は俳句に関する知識は全くゼロである。60代の頃は朝のトイレの中で、毎日川柳を考えていて、それを新聞や雑誌、ラジオ、テレビなどに投稿すると、かなりの高確率で採用された。私の5・7・5の世界はそこまでだった。俳句をやる先輩が同好会に誘ってくださったが、季語とかナントカといったことが面倒であり、何でもありの川柳の方が自分に合っていた。 
中村草田男さんの句に、「ふる雪や明治は遠くになりにけり」というのがあるが、この下の句を「昭和」に換えると、前記の「根岸の里の」と同様になるのではないか。「夕立や昭和は遠くなりにけり」で形はついているのではないか。 昔は夕立が多かったが、最近はほとんど降らない。会社帰りの父親を傘を持った子供が駅へ迎えに行くという光景が見られなくなった、という意味が、戦前生まれの老男老女には伝わるのではないか。昨日のオバマ大統領の広島訪問はどうか? 「ヒロシマや 昭和は遠くなりにけり」はどうか? 広島は漢字で書くとただの地名だが、ヒロシマとカタカナにすると、原爆を想起させる。あの惨禍は、永久に伝えねばならぬが、それでも、昭和が遠くなったのは確かなのだ。

看護婦さん

2016-05-28 13:21:13 | 日記
他人の排泄物を処理することが抵抗なくできるかどうか、が看護婦になれるかどうかの第一関門ではないだろうか。それに加えて、血を見ることがあると思う。これは訓練でどうにかなるというものではなく、生まれもった体質だろう。私は自分の子供が赤ん坊の頃、その襁褓(おむつ)を換えるときにマスクを2枚顔に着けようとして、家人に大笑いされた。私にはナースになる体質も度胸もない。
朝の5時半。ナースコールのボタンを押す。静寂の中、どこかで音楽が鳴る。そこはたぶん、看護婦さんの仮眠の場所だろう。メロディーは「夢路より」である。音楽はすぐに止まる。1分と経たぬうちに、白いユニフォームが現れる。「おはようございます。どうしました?」「あ、おはようございます。トイレに連れて行ってください」、私は歩行器を使って1人でトイレに行けるのだが、それは許してもらえない。付き添いがないと危険というわけだ。コトが終わると、ブザーを押し、また迎えに来てくれる。
レントゲン室へ行くのに看護婦さんに車いすを押してもらう。「ご出身はどちらですか?」、東京・神奈川ではないことは雰囲気でわかる。「酒田です」「ああ、酒田南高校がサッカーが強いんじゃなかったかな?」「私は東高校なんです」「それじゃぁ、勉強の方だ。優等生だ」県立高校に東西南北が冠されている場合、東高校が偏差値ナンバー1であるのが通例だ。優等生と言われて、30代の看護婦さんは少しうれしそうになる。やはり、東高校に誇りがあるのだ。酒田の優等生が鎌倉の元劣等生の車いすのハンドルを押す。

米飯(ごはん)

2016-05-25 22:25:52 | 日記
先日書いたように、今回の胆石除去手術のための入院は5泊で済んだ。終わりの2日間は食事が出て、主食は6食ともお粥だった(最近、主食のことを炭水化物と言ったり書いたりするマスコミが多いが、私はパンも米飯も麺類もすべて主食と言う。化け物は食べたくない)。いつもの通り、お粥は量が多すぎて7割は残すが、これを実にもったいないと思う。病院からは毎日たくさんの残飯が出るだろう。学校給食の余り物は養豚業者に渡るそうだが、病院のそれは衛生上の観点から養豚業者に渡すことは法律的にあり得ないだろうから、つまりはゴミになる。チクワの端切れとか、煮た1個の芋などならともかく、米飯が捨てられるのが、私はなんとなくもったいなく感じられるのだ。それはたぶん、戦中戦後の食糧難時代を経験し、幼いころに祖母から「お米を粗末にすると、バチがあたりますよ」と何度も言われていたからだろう。
昨日の昼食は久しぶりに焼豚チャーハンだった。私の食べる主食は、夜はゼロ、朝はトースト半切れだから、昼が中心になる。このところ暑いから、そうめんと冷やし中華が主力で、焼きそばや炒めうどんが時々顔を出す。よくわからないが、台所の都合で、昼に米飯があるのは稀であるようだ。焼豚チャーハンは、玉子も長ネギも旨い。それに最近は、食品会社が作るチャーハンの素が実に好くなった。