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視聴率

2020-03-31 19:15:32 | 日記
不要不急の外出は控えてください、という声がかかる前から、在宅老人は多い。健康のために近所を散歩したりするが、ほとんどは家にいる。家でテレビを観ている、という老人が多い。だから私は(コロナ騒動の前から)、テレビは老人向きの番組を考えれば視聴率が稼げると思っていた。

老人向けの番組はどのようなものがあるだろうか。老人がいちばん求めているものは何か。私は、懐かしさではないかと思う。今はもう、大正人は少ないから、昭和老人が懐かしがっているものを選べばいい。放送時間は何でもいい。録画という便利なものがあるから真夜中でもいい。昭和老人とは、だいたい、昭和25年生まれあたりまでと思えばいいだろう。

一例を挙げると、昔の映画だ。『第三の男』『太陽がいっぱい』『荒野の七人』『地下室のメロディー』『ローマの休日』『シェーン』『何がジェーンに起こったのか』『エデンの東』『裏窓』『望郷』『終着駅』『哀愁』・・・とても書ききれないが、こういうヒット作品を1日に1本放送するだけで、週に7本になる。たちまち評判になることはまず間違いない。視聴率は高いからスポンサーもつく。85歳まで入れる死亡保険何かが好いかもしれないし、老人向けサプリメントも多いはずだ。

私も毎朝、新聞のテレビ番組欄に目を通す。私が探すのは、松本清張、森村誠一、西村京太郎あたりだが、清張作品は滅多に無い。ときには、昭和の懐かしさにも出会う。3日前には、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』に再会した。リチャード・ウィドマークに再会した。

原宿

2020-03-31 19:09:59 | 日記
昭和20年代の山手線・原宿駅は静かだった。電車が止まると、3人の客が降り、1人が乗るという風だった。それでも、淋しいという印象は無く、ひっそりといった感じが強かった。南側奥の方に、御召列車用のホームがあって、そこには時々、車両を見かけたが、車庫ではなかった気がする。隣が渋谷でハチ公広場などの待ち合わせ場所が多いのに、「原宿駅で逢いましょう」は無かった。たとえば、初対面の男性と女性の出会いの場としては絶好であると思えるのだが、そんな話は聞いたこともなく、また映画撮影に用いられることもなかったようだ。

30年代になって、駅の周辺というか、明治神宮の反対側に温泉マークが建ち始めた。現在で言うラブホテルである。渋谷で待ち合わせた男女が道元坂当たりの酒場で呑み、タクシーで原宿の宿へ、というコースが増えたかもしれない。和風の宿が多かった。

その原宿駅が90年ぶりに改装されるという報道があった。私は最近の、いわゆる若者の街としての原宿を全く知らない。原宿通の賑わいと言われても、何もわからない。あの静かだった駅は今はどうなっているのか。休日には原宿ファッションの若い男女がゾロゾロと降りて来るのだろうか。駅近くには、これも近代風なラブホテルが並んでいるのだろうか。渋谷駅の辺りは、時々テレビに映る。昔の面影がナンボか残っている。静かなる原宿駅は?と考える。それにしても90年間変わらずにあったのは、凄い。凄いと思う。

3月29日

2020-03-31 19:03:30 | 日記
午前中に雨が雪になった。3月末の雪というのは珍しいのではないか。ただ、マンション住まいであるので、雪の実感がない。部屋の中から地面が見えないからだろう。以前に住んでいた家では庭があったので、降雪があると、積もらないような量であっても雪が絵になった。暖房があっても、一度や二度は「サムい」と言わないと雪に申し訳ないような気がした。

今日は家人の誕生日。我が家では次女が2月、孫娘が6月と、3人の29日生まれがいる。長女がお祝いに「葦」のケーキを買って来た。昼食時にその中からモンブランをもらったが、一級の味である。甘いものといえば、昨日は喜福堂のアンパン、その前が岡埜榮泉の豆大福と、秀逸な味が続いた。家人が手にした最高のプレゼントは、長女が贈ったスマホだ。3日前から、娘がその取扱いについてアレコレ説明を繰り返しているが、家人の理解はどこまでか。それでも孫娘から送られて来る曾孫の動画を見ることはできるらしく、そこのところだけでも嬉しいようだ。

「コロナウィルス感染者の増加」は東京に著しいようで、今週の展開はどうなるか。東京には日本人の1割が住んでいるが、面積は決して広くないから、感染の拡大はブレーキがかけにくいだろう。アメリカも酷い。そのことでNYダウも大きく下げた。明朝の東京マーケットも下げで始まるだろう。今朝の血圧は129-89。

テレビを観ていて

2020-03-29 12:45:54 | 日記
「パンデミック、オーバーシュート、ロックダウンといった外来語ばかり使わないで、日本語で喋ればいいのに」と、河野太郎防衛大臣が言っていたが、その通りだと思った。前記の外来語はすべてコロナ用語であって、年末になって(そのコロナ騒動がどうなっているかはわからないが)今年の流行語には、有力候補になるだろう。日本語では、濃厚接触が耳に残る。珍しい語ではないが、コロナのことで急に多用されるようになった気がする。

NHK大河ドラマ『麒麟が来る』を観ている。池端俊策さんの作である。ところが、先週、作者がかわって、女性の名が出ていた。歴史ドラマには作者の歴史観や、今回なら光秀観というものが大きく映し出され、そこがおもしろい。それが、途中で作者交替となると不思議に思ってしまう。そして、今週は再び、作・池端俊策に戻った。どないなっとんねん、となった。明智光秀は謎の多い人物とされている。八切止夫作『信長殺し 光秀ではない』という小説があるほどなのだ。これをリレー形式で書くのは、難しいというより、チグハグになりはしまいかと、老人は余計な心配をする。

杉尾秀哉参議院議員が安倍首相に、首相夫人の花見パーティーについて質問した。「このコロナの時期に、大勢で集まって花見会とは」というわけだ。もちろん首相は、「あくまでもプライベート」と答え、更に深追いをする杉尾氏に、「大きな声を出すと唾が飛ぶ」と、これまたコロナ期間的な言い方で返した。杉尾氏の質問は以前に10分ほど観たことがあるが、いかにもテレビニュース出身らしく、急戦的だった。自意識の強い感じだった。あれなら唾も飛ぶだろうなと思った。

最年長

2020-03-29 12:39:34 | 日記
先輩がいなくなったなぁと強く思うのが、年賀状である。そもそも頂戴する賀状も、差し上げるものも数少ないが、10年前、20年前を思い出すと、先輩の方々の旅立ちに気づく。自分が80歳を4つも過ぎているのだから当然のことなのだが、特に年賀状の季節は、そのことを色濃く感じる。今年の正月で言うと、年上の方からいただいた賀状は2通だけだった。

親戚の中を見渡しても私が最年長である。茨城の本家は従弟が継いでいるが、まだ70歳そこそこだ。家人の弟一族が車で5分ほどの近くに住んでいるが、ここにも80老人はいない。東京にいる妹も70は過ぎているが、その夫も私よりは5つ6つ若生。私は昭和10年の12月生まれであって、その3カ月前生まれの従姉がいたが、5年ほど前に他界している。

先輩がズラリと揃っていたのは随筆同人会だった。あちこちから誘いがあって、或る時期は3つか4つの同人会に参加していたが、これも皆さん遠地へ行かれた。15年ぐらい前になるか、「あの先輩も…まだ70なのに・・・」という風に次々と亡くなった時があった。父方の家系は若くして世を去った者が多かった。我が家の墓地は東京・青山にあるが、その墓が建ったのが昭和7年。父のすぐ下の妹が17歳で亡くなった時だった。家族は年齢の高い順に死ぬのが理想と私は思っている。現在の我が家では、その理想が実現できると思っている。