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11月29日

2015-11-29 18:01:31 | 日記
山口瞳監督、柳沢真吾捕手のチームが野球の試合を行っている。他のプレーヤーの顔は見えない。山口監督が右手を高く上げて大きく振る。これはあの徳島・池田高校の名将 蔦文也さんのポーズだというあたりで目が覚めて、7時40分だった。ちょうど12時間ベッドの上にいたことになる。
少し前までの暑い日も、これからやって来る寒い日も、昼食はいつも麺類を食べている。今日は焼きうどんで、ケチャップにカレー粉を混ぜた味が旨い。 競馬はJカップで、堅くおさまりそうになく、馬連でアナ探しのバラバラ買い。予想通り、人気馬は消えたが、ラストインパクトは買えなかった。
トルコはロシア機を落とす前に何度も警告したそうだが、警告射撃として機の近くに撃つことはできなかったのか。対岸の火事的ではあるが、世界の株式マーケットに影を落とすのは困る。
リハビリで歩行姿勢の矯正をやっているが、体重移動のところが、どうもうまくいかない。家人がフラダンスの要領で教えてくれるが、私にはセクシーダンスは無理だ。来月早々、家人は自動車免許に関するテストがあるそうで、私は1日に胆石の再チェックがある。だが、それを過ぎるともう年内には病院へ行く予定はない。ずっと探していた日本酒「越之誉」を家人がみつけてきてくれた。別のストックがあるので、まだ栓を開けていないが、来月23日の誕生日、大みそか、正月が楽しみだ。それまで、胆石が動き出さないようにと、これは祈るしかない。今朝の血圧は141-82。

パチンコ

2015-11-29 17:55:36 | 日記
日本には530万人のギャンブル依存症がいて、これは20人に一人の計算になるというニュースを観て、ちょっと考えてみた。中央競馬(私がやっている)は週に2回、浦和・大井・船橋の地方競馬、それに競輪、ボートレース、オートレースがあるか。しかし、全部、電話購入ができるのか。また、それらのすべてに手を出せば金がいくらあっても足りず、やがては家も売り、生活も出来なくなる…というのが普通の答えだろうと思う。
そんなとき、友人のAさんと電話する機会があって、そのことを話題にしたら、「それだけでは足りませんよ、パチンコ中毒の男女もいるんんです」と教えられた。「最近のパチンコは1日3万円儲けるか3万円負けるかのレベル。それに明け暮れている主婦もたくさんいる」とは、何年か前に、やはり友人のSさんから聞いたことだった。そういえば、パチプロという言葉を聞いたこともある。プロだから職業であり、それで生計を立てているのだろうが、そんなことが出来るのだろうか。だが、一方で、依存症とは、それがないといられないという症状であり、パチンコなら毎日そう遠くへ行かずとも、店が開いているだろうから、依存症の渇きを満たすことはできるわけだ。それにしても、私がパチンコ店の前に立ったりしていたころ(40年以上前)と較べると、このギャンブルは成長したというか、拡大したというか、すごいものになったのだなぁと、つくづく思う。

美女

2015-11-29 17:46:47 | 日記
清楚で淑やかで、絶世の美人でした。原節子さんが亡くなったことが報道され、それを知った、戦前生まれの婦人達がテレビのインタビューに答えていた。我が家では家人が、「原節子さんは美人よ」と言い、娘は「顔のつくりが大きすぎる」と言う。私は娘の意見に同感だ。学生時代を思い返してみても、小津安二郎作品を観たことはなく、南田洋子さん、若尾文子さんや、洋画の方に興味があった。『青い山脈』をテレビで観たが、原さんよりは寺沢新子役の司葉子さんの方が印象に残る。それぞれの人の好みということだろう。娘は山本富士子さんを美人の代表として挙げるが、古い映画をいくつか観たのだろうか。美しいというより、ピカピカだったのは、日活映画『若い人』で石原裕次郎さんと共演したときの吉永小百合さんであって、あのときはまだ20歳を1つ2つ過ぎたぐらいだっただろうか。外国の女優でいうと、まずは、グレース・ケリー…なんて書き始めると、際限がなくなるのでやめておく。
私が見た最高の美女は、昭和34年4月10日の皇太子御成婚の馬車パレードにおける、美智子皇后陛下である。パレードを沿道で観たわけではないが、テレビでもその美しさと輝きは充分にわかった。すぐにミッチーブームが起きるが、私が思ったのは、同じジぢに生きていてよかったということだ。

アトボー

2015-11-26 17:03:44 | 日記
「アトボー、出せや!」、守備側のチームが攻撃側のベンチに向かって怒鳴ると、しぶしぶという感じで1個のボールが出てくる。試合中の使用球は、攻撃チームが持つ決まりだった。 昭和25年頃の田舎町の中学生の草野球の一場面である。
アトボーとは、打者がファウルを打ってボールが場外に飛び、それを補欠が探している間、別のボールを出してボールを続けるためのもので、別の球(other ball)の茨城訛りである。当時、軟式球は1個100円だった。現在の金銭価値との比較は難しいが、焼きそばやラーメンの値段などから考えて、ま、千円程度だろうか。だから、ボールは貴重品だった。 キャッチボールは、ヤマが擦れてツルツルになったもので我慢して、新品やそれに近いものを試合に使うようにしていた。 ボール代は、金属廃品を集めて売って工面した。八百屋の息子が、家から古いリヤカーを持ち出して、それをみんなで引いて鉄クズを集めた。町の工場や個人宅をまわった。朝鮮戦争が始まっていて、そのおかげで日本にいわゆる金ヘンブームがやって来た。私達のリヤカー引きも、その一端と言えた。試合が終わると、両チームの全員がグラウンドの外の道や畑に散って、ロストボールを探した。それでもたいてい、1個か2個の行方不明があって、それを後日、登下校の帰りに発見するという偶然もあった。 家の前の路地のキヤッチボールでも、ニューボールは気持ちがよかった。今の中学生は、古い球を用いることはないだろうし、ボールだって安いだろう。ボールを失くしても、どうということはないだろう。アトボーなんて言葉も、もちろんないだろう。

一場面

2015-11-26 12:30:54 | 日記
アリダ・ヴァリが枯れ葉の舞う墓地の道を行く。オータムコートの衿が風に向かって立つ。道の途中でジープにもたれながら待つジョセフ・コットンの方には視線も贈らず、足早に去って行く。ご存じ、映画『第三の男』のラストシーンである。
この映画にはもうひとつ、「暗い道を風船売りの車が通る。薄明かりが風船を大きく壁に映して不気味で、どこかのんびりとした絵を描く」場面が話題になるが、私がもっと好きなのは、悪徳ギャングのオーソン・ウェルズが、暗い物陰に潜んでいて、そこへ猫がやって来て、チラッと照らされたライトにウェルズの上等そうな靴が光、猫がそれにジャレつくという場面だ。
監督キャロル・リードの心憎い演出と言うほかはない。
子どもの頃の思い出はすべて断片的とは、誰もが言うことだが、子供時代だけでなく、青春時代も中年の頃も、還暦を過ぎてからも、振り返ってみれば、思い出はすべて一場面、ワンシーン的ではないだろうか。 つまりは映画のワンカットと同じなのではないかという気がする。
我が家の古い写真を一括管理している長女が時々、昔のものを1枚選んできて、「やっぱり写真って大事ね」と言ったりするが、その通りであって、それがないと、あの日、あの時も忘れてしまう。
今日(25日)は三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に押し入って、切腹自殺した日である。45年前のあの日の思い出は、おありだろうか。私は、「夕方頃になって、現場を訪れた石原新太郎さん」の姿が瞼の裏に残っている。