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3月31日

2013-03-31 23:02:38 | 日記
石原慎太郎氏の退院記者会見。「ちょっと変だなと思って、医師に訊いてみたら」が軽くて済んだ理由だと(脳梗塞の先輩である私には)すぐわかった。 多くの病気がそうであるだろうが、特に脳梗塞は、時間との勝負であり、そのことで後の人生が大きく違った例を私はいくつか見ている。 近くに住む家人の姪夫婦と2人の子供が来てくれた。姪の夫であるAさんには、転居以来、電気系統のことから表札の貼り付けまで、アレヤコレヤと大いに世話になっている。Aさんは穏やかな性格で、上の息子が無理やりにヒゲを引っ張ったりしても、静かに「無理だよ」と言うだけだ。下の娘は、この8月でやっと2歳だから、すべての動作が愛らしい。途中で、「目の前で赤ちゃんを見るのは15,6年ぶり」であることに気付いた。  競馬はダービー卿CTで、ダイワが冠名の2頭が中心視されたが、こういうばあいは片方が消えることが多いので、結局は馬連でバラ買いするしかなく、ヨミどおり、片方(ダイワマッジョーレ)が絡んで、配当は19.7倍。 好配当ではないが、土日の連勝は久しぶり。 今日は年度末。つまり、株式市場などで、平成24年度が終わったことになる。 ABEノミクスのBはバブルだと言う評論家がいるが、そうだろうか。私の第一の思いは、とにかく今までが悪すぎたということで、バブルどころか、少し巻き戻しが始まった程度ではないだろうか。 私のような貧乏庶民が、このブログに「とにかく景気回復を」と何度も何度も書いてきたのだ。薄陽がさしたぐらいで、騒いでほしくない。 センバツの今日の準々決勝2試合は、両方ともワンサイド決着。 春も夏も、こういう日は必ずあるが、明日はおもしろいゲームが観られそうだ。済美が、(大阪桐蔭に勝って)波にのる県立岐阜商業に勝てるか。

3月30日

2013-03-31 13:42:07 | 日記
朝食は握り鮨。昨日は家人の誕生日で、その祝膳の残りだが、決して鮨を買い過ぎたのではなく、私はたいていの食べ物は、いわゆる1人前が胃に入りきらないのだ。ウドン、そば、ラーメンなども食べる前に3分の1ほどの麺を取り除いてもらってから箸をつけるようにしている。 センバツの第3試合で、3期連続Vを狙う大阪桐蔭が敗れた。大会№1(だと思う)強打の森キャプテン(捕手)の負傷欠場が響いたのだと思う。勝った県立岐阜商業は明後日の準々決勝で、私が応援している4チームの中でただひとつ勝ち残った済美と対戦する。ここまで来ると、仙台育英の東北勢初優勝も応援したくなるが。 競馬は船橋ステークスで、スポニチ小田記者の本命ハノハノから馬連で7点買いして、46.3倍が的中。ま、30倍になれば上出来と見ていたので、いい儲けだった。 センバツと競馬で昼寝の時間がとれず、いま6時だが、もう眠い。 昼寝といっても、目を閉じて90分ほど横になるだけなのだが、それだけでも快い。 むかし、祖父が同じようなことを言っていたのを思い出す。 昭和40年代の初めごろ、新谷のり子さんが唄った『フランシーヌの場合』という歌が流行した。当時はカラオケではなく、ジュークボックスの全盛期で、酒場へ行くと、よくこの歌が流れていた。 その歌詞の中に、「3月30日の パリの空に消えた命ひとつ」とあったが、その日付(つまり今日)とパリと、消えた命の関係がわからなかった。反戦歌のようなものだった気もするが、これ、いまでもわからない。

入学式

2013-03-31 13:33:25 | 日記
高校の入学式では新入生は制服を、大学のそれではリクルートスーツを着るのが通例なのだそうだが、付き添いの母親には何の制服もないから、精一杯のオシャレ較べが展開されるようで、日経新聞が、そのことを「私は女優」と皮肉っていた。 昔を考えてみると、私の場合、入学式に家族(祖母)が来たのは小学校の時だけだった。中学・高校ではゼロで、大学のときは、いかにも田舎風の「オラのmす古賀、デェガク(大学)さへぇってよぉ」といった感じの父母の姿がナンボかあった程度だった。つまり、入学式が一家総出風になったのは、ウチの娘達(いま40代)の少し前あたりからではないだろうか、。 「これ、どうかしら?」と、家人が柄物のワンピースと象牙色の少し上等そうなジャケットを持ってきて、私と長女に見せた。つまり、家人は孫娘の入学式に参加するつもりなのであって、私と娘が「どうせ誰も見ていないんだから」と冷やかすと、「それでもいい、自分でいいと思ってるんだから」という顔になった。長女が「少し派手じゃない?」と言ったのは、次女(孫娘の母親)より若やいで見えないかという意味だが、その心配も正しいと思う。  大学の入学式に親がくっついて行くなんていうのは日本だけじゃないのか~と言ったのは、石原慎太郎氏で、ついでに「あの連中は、入社式にもついて行くのかね」と冷笑したが、石原氏の意見に大賛成だ。 ストレートで合格した場合でもすでに18歳であり、立派なオトナである。むろんそのことを新大学生は知っているのだが、前記の風潮のこともあって、親の参加を断れないのだろうと思う。 これまでの学資は親に頼ってきたのだから。  tぉにかく昨今の入学式は、ひとつの祭りになった。我が家で言えば、4月2日の当日には、黄門の前で、家人と次女と孫娘がVサインを指で作って、笑顔になって記念写真を撮って、その帰りに白金のどこかのレストランで祝杯ならぬ祝をするのだろう。慎太郎氏が見れば、バッカじゃなかろかルンバであろうけれど、やはり時代の流れには逆らえないと弁解しておこうか。

モレる

2013-03-28 22:52:09 | 日記
石原慎太郎代表 脳梗塞説を漏らした菅直人元首相~、今日発売の『週刊新潮』の新聞広告の1行である。むろん真偽のほどは不明だが、いくつかの想像はできる。第一の心配は石原氏の入院からかなりの日数が経っていることで、こういう場合、多くのマスコミは、悪い方を予想するのが常だ。第二は、菅氏の発言(漏らしたということを信用すれば)のもとは何かであるが、彼が、石原氏の入院を知って、その病院から情報を得たのではないかという点え、これはいかにもありそうなことでえあり、第三は、どこから出たかわからないが、自然に聞こえてくる噂である。 「ここ(病院内の1ツの病棟)に、大動脈(の瘤の破裂)から生き返った人がいるんですって?」、廊下からの声が(別に大声ではないが、院内は静かだからよく聞こえる)ベッドで横になっている私の耳に届いた。 その、生き返った人が私だった。 術後の1週間お世話になったICUの婦長さんが、「九死に一生スペシャル」というニックネームをつけてくれたほど、私の生還には奇跡の2文字が冠された。担当のドクターやナースのみなさんは当然のこと、あちこちまわる検査室の技師さん、助手さんからも「大変でしたねぇ」と声をかけられ、それはすべて、「よく命拾いをしましたねぇ」という意味だった。そして前記の「ここに、生き返った人が~」の声であり、それは看護婦さんではなく、別の患者さんへの見舞い客のものだ。つまり、そのときの私の「噂の患者」であり、誰かの口から、全く見知らぬ人へ、その噂がリレーされたことになる。 石原氏には、もう少し生きてほしいと願っている。典子夫人と逗子へ戻って、ゆっくり回顧録でも書いてくれればと思っている。

小さい女の子

2013-03-27 22:05:23 | 日記
中学生の頃、同級生のA子にチリ紙をもらうことが何度かあった。最近の中学生ならば、男の子でもティッシュの小袋ぐらい持っているのだろうが、昔はそんなことはなかったから、チリ紙が必要なときは女生徒を頼るしかなかった。そういうとき、私がA子を選んだのは、彼女が教室いちばんのチビだったからだった。 小柄な女の子というのは、たいていは元気がいいし、A子の身長は私の肩ぐらいしかないから、2ツほど年下のような感覚もあって、つまりは気楽だったわけで、私と同じような感覚を持っていた男性は多いのではないか。 家人からもらった最高のプレゼントは2人の女の子だった。娘達が幼稚園のころは、もうこれ以上大きくならないでいいと本気で思ったものだ。初孫も女の子だったが、もう、この4月からは大学生になる。花の命は短くて~と言うが、ツボミの季節はもっと短いのである。次に、血のつながる小さな女の子に会えるのは、孫娘が女児を産んだときだと思うが、それまで私が生きているとは考えにくい。 家人の姪の子(8月で2歳になる)が、クルマで10分とかからないところにいて、家人も娘も夢中になっている。 「やっぱり女の子はかわいい」と娘が言うが、その通りだと思う。オトナばかりの家ではペットを飼うことが多いそうだが、子犬や仔猫、あるいは小鳥などを飼う人にとって、それがかわいい女の子の代わりになっているのではないかと想像するが、違うだろうか。  高校時代、叔父夫婦の間に生まれた女の子がなぜか私によくなついていて、叔父の妻であるB子さんが不思議がっていたが、私も(たしかに従妹ではあるが)不思議だった。叔父が他界し、B子さんは子供を連れて実家に戻ったが、私がたまにその家を訪ねると、ヨチヨチ歩きのニコニコ顔で、私にすり寄って来た。あの、小さくプヨプヨしていた女の子も、いま還暦を迎える計算になる。