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日の丸

2016-04-30 20:58:01 | 日記
国民の祝祭日には、日章旗(日の丸)を掲げようと、中曽根康弘さんが首相のときに国民に呼びかけるのではないかと思っていたが、無音だった。 小泉純一郎さんのときも、靖国参拝は中国・韓国あたりから苦情が出るが、日の丸掲揚なら文句はないはずだからと期待していたが、これもなかった。 声を挙げるなら、安倍晋三首相が絶好のチャンスだと思うのだが、どうだろう。
祝祭日の日の丸は、景気回復に役立つと私は思う。 まず、日本人が自分の国の旗を買うのである。 それを門前に立てるだけでも子供達は喜ぶはずだ。 今日が祝日だということが印象づけられるから、その日はそれぞれの御馳走が用意されるし、プレゼント交換の習慣もできるかもしれない。
国旗を立てる場所もおもしろくなる。一戸建ての家の門は楽勝だが、集合住宅はどうするか。マンションは玄関前に2本をクロスして立てるか。我が家ならベランダに用意する。窓から小旗を出すだけだっていい。とにかく日の丸はオリンピックの専用品ではないのだ。
日銀のマイナス金利政策以後、日本の景気は冴えない。ここは金利とか為替をいじるより、祝祭日に日章旗を掲げるという、国家としてごくあたりまえのことを試みることで世の中を明るくしたらどうか。やってみませんか、安倍首相殿。

ひらがな

2016-04-30 16:29:25 | 日記
「これからは、ひらがなの名前が流行するのではないか。ひらがなは女文字と言われるように、やわらかく優しく、雅である」というようなことを、このブログで予想したのが7年前だったか、10年前だったかわからぬが、それは見事に外れた。 女の子の名前は、相変わらず、音に漢字を当てる例が多いようだ。

女の赤ちゃんが生まれた(あるいはまもなく生まれる)とき、その命名は、まず音から考え始めることが普通である。ママとなる女性が「あたし、SAORIっていう音が好き」と言い、すると夫が紙に、沙織と書いて、これがいいかと笑う。
祖父母や兄姉達も口を出す。小緒理か佐保利もいいなどと、漢字の並べ比べになる。その辺で、ひらがながかわいくていいという、誰かが言いそうなものだが、それはないようだ。

私が女性名はひらがなが流行すると思ったのは、娘の知人で画家である「前本ゆふ」さんの名を見たからだった。前本さんの本名は裕である。裕とゆふ と見比べると、いかにも後者の方が女性的だ。最近では、貫地谷しほりさんがいる。これまた、志織、紫織などよりはるかに優雅だ。

女性名には流行がある。私の予想は、今のところ当たっていないが、やがては、その時代が来ると思っている。

2016-04-30 10:53:09 | 日記
蒲田工場へ勤務していた時は仕事が夜の11時を過ぎると、帰宅のためにハイヤーが使えた。そのハイヤー会社はクライスラー車が好みだったようで、たいていはそれが迎えに来た。当時の我が家は大船にあって、その近くに住む上司の部長、また川崎・横浜方面へ帰る他の部課の2人か3人をのせて充分に余裕があった。酒屋でサントリーの白札(900円)を買って交代で呑んだ。
部長は降りる前に私に500円札を1枚渡した。最終の乗客である私が、それを運転手に渡した。毎日が多忙で定時(5時)に帰ることなど思いもよらず、早くても8時退社だった。時計の針が9時半あたりを指すと、もう少し粘ってハイヤーに乗れる11時を待とうという気分になることが、週に一度はあった。部長は善い人で、役職柄、残業代は出ないのに付き合ってくれた。
舛添東京都知事が湯河原の別荘へ帰るのに毎週のように公用車を使っているのはいかがんものかと、テレビで議論になっている。 多くのコメンテーターが、東京に自宅があるのにおかしいとか、公用車は税金を使うことだからおかしいなどと言っているが、舛添氏は、別荘で仕事をするのが習慣になっていると、反論する。 この話、なんともケチくさいと思わないか。税金云々と語る人達は、公用車を運転する人の残業代を知事に払わせろとでも言いたいのだろうか。 知事が週末にゆっくりと別荘で休養し、明日の東京をどうするか4年後のオリンピックをどうするか…と、考えるのは、むしろいいことではないか。

戦前生まれ

2016-04-28 23:08:13 | 日記
「みんな死んじゃうのね」と、家人がぽつりと言った。戸川昌子さんの死をテレビニュースが伝えていた。家人の言う「みんな」とは人間のことではない。人は必ず死ぬ、といった哲学的な意味ではない。この「みんな」に当てはまるのは、たぶん、戦前生まれだろうと思う。
今年は昭和91年、大正105年、明治149年である。戦前生まれは、いちばん若くても71歳だ。戸川さんは85歳だった。私は随筆同人誌会にいた時期が長かったので、大正生まれの先輩との交友が多かった。兄代わりだった3人の叔父たちも大正生まれで、3人とも若死にした。そして、昭和生まれの先輩や同年の友も少なからず旅立ってしまっている。誰か著名人が亡くなると、「あの人は、自分よりいくつ年上だったか」を考えるようになった。私の場合は昭和10年生まれだから、それ以後に生まれた人が他界すると、少し申し訳ない気分になる。
「あの人は健在か」という会話を、家人とすることがある。 昨日の戸川昌子さんの場合は、女流作家のことになる。
佐藤愛子さんは元気だ、寂聴さんもそうだ、田辺聖子さんはどうなのだろう?といった具合だ。 また、戸川さんは歌手でもある。「この前、大津美子さんがテレビでに出ていたよ。ペギー葉山さんも元気らしい」。私はこの2人のファンだ。大津さんの『純愛の砂』、ペギーさんの『学生時代』が好い。お2人とも戦前のお生まれだろう。

東北の青年

2016-04-26 22:18:23 | 日記
25歳のときに中規模の自動車部品メーカーに入社した。事務系には若い男子社員が多く、仕事の性質上、理系の高校の出身者がほとんどだった。社長が東北の出身であることもあって、東北人揃いと言ってもいいほどだった。しばらく一緒に働いてみて、私は、あることに気付いた。それは、同じ高校の同級生か、あるいは1,2年違いの同窓生であっても、みんな仲が良いわけではないということで、そのことがとても不思議だった。たとえば、私が卒業した高校は都会の私立だが、1年生のときは茨城の県立校に学んだ。そして、仮にその同級生たちとどこかの会社に同時入社したとすれば、善かれ悪しかれ、高校の延長戦的な付き合いが続いたと思う。「今夜、1杯呑もうや」「すまんが、5千円貸してくれよ」といった気安い仲が続き、仕事上のことだって、何というか、同級生の誼的な雰囲気はできたはずだと思う。東北青年にはそれが無かったし、むしろ、その反対の面が目立ったりした。
その会社のOB(OG)会があるが、そこにも東北グループは存在しない。彼らにとっては、むしろ私のような別県人の方が付き合いやすいのではいかと思えてくる。このことは、私が勤めた会社が特殊な例だったのだろうか。