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2月25日

2018-02-25 18:16:40 | 日記
昨夜は平昌五輪の女子カーリング3位決定戦の日本対イギリスを終盤まで観ていたが、結果が出る前に眠くなってしまった。この競技は急に人気が上がって来た。チームの娘さん達の顔が好い。明るい性格が滲み出ている。「そだねー」が流行語になって来ているのも、彼女達のルックスが好いからだ。

ようやく体調が戻った。昨日から酒が呑めるようになった。9時間眠った。胃の調子が不全のとき、下痢が続くとき、私は胃腸薬を服まない。便秘になるからだ。下痢は何かの食べ物で止まると思っている。つまり、永久に下痢が続くことはないのだから、いつかは止まる。何かを食べたときに止まると考えている。今回のストッパーは娘が買って来てくれたプッチンプリンだった。

競馬は中山記念で、マルターズアポジーの逃げに期待して馬連で6点買いした。予想どおり、いい逃げを打ったが、ゴール寸前に差し込まれて3着。このところ惜敗続きだが、こういうときはツキ(月)が変わるのがいい。来週から3月だ。

何か明るい話が出てこないかと、ずっと思い続けている。東京オリンピックも近づいているのに、その方面の景気の好い話が聞こえて来ない。私は昭和39年の東京オリンピックの前景気を知っているので(東海道新幹線の開通など)余計にそう思うのだろうけれど。

転んで腰痛を悪化させたことは前に書いた。それから半月以上経つが、まだ完治に至っていない。ペダル踏み運動も重い感じがつきまとう。転ぶな、風邪ひくな、水分を摂れ・・・は、真実なのだとつくづく思う。今朝の血圧は133-81。

体調不良

2018-02-24 18:35:32 | 日記
木曜日(22日)の明け方から下痢が続いた。腹痛はない。原因がわからない。もちろん前夜に食べ過ぎたり呑み過ぎたりはしていない。ベッドとトイレを往復するだけの午前だった。こういうのを体調不良と言うのだろうと思った。頭痛や吐き気がないのが幸いだった。何も口に入らない。食欲がない。水も飲みたくない。丸一日の絶食は一昨年の1月の胆石の発作以来だ。

眠ったのか眠らなかったのか、よくわからないが、とにかくまた朝になった。娘が「プリンを買って来る?」と言った。そのとき急に、それだ!と思った。冷たくて甘いプリンなら食べられると思った。絶食のあとにはこれが最適という感じがした。プリン1個と山崎パンのランチパックが胃に入った。夜はいつもの薬も服んだ。眠りたい。ぐっすりと眠りたい。酒は呑めないが、睡眠薬は小さいから呑める。

元気は戻っていないが、今朝(24日)はスープとパンが食べられた。「ベッドから食卓に来て」と娘が言う。立てなくなることを心配してくれている。馬券の電話投票もできた。昼食の焼きうどんも旨かった。食べ物の味がわかるというのが回復のしるしなのだろう。

ほとんど飲食の欲がなかった48時間は何だったのだろうか。老いればこういうこともあるというのが、私の結論である。こうやって老いてゆく、老いたからこういう不調もあるというのはシンドいが、それ以外の理由が浮かんで来ない。似た年齢の友人と、「酒が呑めなくなったらオワリだ」とよく話していたのを思い出す。今夜は呑んでみる。それが好い眠りにつながるだろう。そう思うしかない。他にない。

威張る田舎者

2018-02-24 11:36:18 | 日記
東北大震災のあった何日か後、大臣だったか副大臣だったかの政治家が福島を視察に行った。大勢のマスコミが待つ部屋に県知事が少し遅れて入って来た。すると、政治家が「みんなを待たせて失礼だ」というようなことを言った。その言葉はとても汚かった。居丈高な物言いだった。部屋にイヤな空気が流れた。政治家もそれに気づいたのか、「いいか、いまのはオフレコだぞ」と大声を出した。オフレコも何も、その場面はテレビで大きく報じられ、その政治家は役職を辞した。私は、これを田舎者と言うのだと思った。山口瞳先生は、田舎者の第一条件に自己中心ということを挙げているが、田舎者はよく威張るとも言えると思う。

センセイと呼ばれる種族がいる。学校の先生のみならず、ちょっと見渡せば、センセイはゴロゴロいる。前述の政治家もその1人である。威張る先生がいる。病院にもいる。患者にも威張るし看護婦さんにも威張る。この種のドクターはだいたいがダメである。反対に、名医と呼ばれる人達は決して驕らない。高飛車な物言いもしないし、態度が静かである。田舎ものではない。そのことは、病人歴の長い私から見て確かなことである。

なぜ、偉そうにする人物がいるのだろうか。生まれ持った性格があるだろう。自分が本当に普通より上の人間だと錯覚することもあるだろう。さらに、自信の無さもあると思う。威張っている人間には、自身の無い輩が少なくない。

いま流行のオーラという語を何と訳すか。私は威厳だと思う。威厳は、自然に備わるものであって、自分でいくら胸を張っていても、背伸びをしてもできることはない。この世にはそれに気づいていない人間が多く存在する。やたらと威張る。偉そうにする。周囲から嘲笑されていても気づかない。哀れであり、気の毒であるが、仕方がない。そうやって田舎者は生きている。かく言う私もその一人かもしれない。しかし、田舎者は田舎者であることに気づかないからこそ田舎者なのだから仕方がない。

二音の名前

2018-02-24 11:23:09 | 日記
戦前、我が家にいた3人の女中さんの名前はウラ、チヨ、フクだった。もしかすると、千代子・福子が本名だったかもしれないが、家ではおウラさん、おチヨさん、おフクさんと、「お」を付けて呼んでいた。3人は大正の生まれだった。その二音の名前が似合っていた。ウラさんは静かで、チヨさんは赤い顔、フクさんは肥っていた。

男女共学だった私の小・中学校時代の同級生名簿には「子」がズラリと並んでいた。和子、愛子、幸子、良子、弘子・・・、子の付かない名前はチラホラだった。その時代は長かった。 昭和の後半になって、急に「美」が出て来た。この文字は、言い方は悪いが極めて便利である。美香、美樹、美久のようにも使えるし、亜美、由美と下にも使える。この流行も長かった。子の季節を終わらせたのは美であったと言えなくもない。

「美」も現在は少なくなった。この10年か、あるいはもう少し前からか、二音の名であっても、まず音が選ばれ、その音に漢字を当てるというのが主流であるような気がする。3年ほど前だったか、生まれた赤ちゃんの最多命名が「陽菜ちゃん」だった年があった。これを「ひな」と読むわけだが、ずいぶんと工夫したなぁというのが私の感想である。今回のオリンピックにも奈緒ちゃん、美帆ちゃん、沙羅ちゃんが活躍している。平成の二音名である。

私の祖母は明治19年の生まれであって、本名は「せい」であるが、自分で勝手に「清子」にしていた。書が好きで自筆の短冊を壁に貼ったりしていたが、サインは清子だった。祖母と同じ「せい」という名を平成風になおせば「聖衣」とでもなるのだろうか。

何で死ぬか

2018-02-24 11:16:00 | 日記
『安楽死で逝きたい』という本を橋田寿賀子さんが書いた。私は読んでいないが、私を含め多くの人は、安楽の最期を願っているだろう。たとえば、手術の時の全身麻酔がある。全身麻酔で深い眠りの中にいる間に何らかの方法で永久の眠りの世界に入れてもらえるなら…と思うのがふつうだと思う。ま、そういうことが許される世の中になるには大変な時間がかかるだろうけれど。

父方の祖父はいわゆる老衰死だった。5日前あたりから意識が遠のいたそうだ(祖父は叔母がずっと看ていて、近所のドクターが毎日診に来てくれていた)。私達夫婦が駆け付けた時は眠っていて、それでも少し大きな声で呼びかけると目を開いたりした。見ていて安心した。苦しみのない中で旅立つことがわかった。安心というのは妙な言い方かもしれないが、別れの淋しさの中にもそういう感情があったのは事実である。祖父は一度も入院したことがなかった。「自宅で最期を」と最近よく言われているようだが、その理想形であったと言えるかもしれない。


私は74歳8カ月が寿命(天から与えられた生命の長さ)だったと思っている。そのことは前に書いた。だから、それ以後の毎日は生き過ぎと呼ばれるべきものなのだろう。私は何によって死ぬのだろうか。私は心臓の病気に罹ったことがないから、心臓病が考えられる。急性心不全といった文字が思い浮かぶ。血統的には癌にはならないような気がしている。ま、そんなことを考えても仕方がない。或る朝、床の中で冷たくなっていたというような理想死だといいのだが。何で死ぬのかは最後の運である。昨日、大河ドラマ『西郷どん』を観ていたら、吉之助の父親が理想的な旅立ちをしていた。