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1月31日

2021-01-31 17:51:10 | 日記
修理に出していたマッサージ器が昨日戻って来た。よく見ると修理完了でなく、新品だった。新品を買うと1万5千円ほどするのだが、修理代は3千5百円だった。儲けものだ。なぜ、こうなったのかを考えてみると、故障品を送ったときに、販売元と家人の間で、「いくらで直るの?」「3千5百円です」の電話約束があったからだ。民法で、契約は口頭のみでも成立する。販売店が修理工場へ送ったら修理は8千円ぐらいかかるといったような話になって、面倒くさいからもう新品を送ろうとなったのだろうと想像する。こういう日は競馬も当たる。初富士ステークスで、24.5倍を3連複4点絞りで取った。今日も、もう1丁と根岸ステークスを中穴狙いしたが、1番の馬は買えなかった。

コロナではないようだが、菅首相の声が好くない。娘は顔色も悪いと言っている。菅さんは今秋前に辞める、河野太郎行革相をワクチン担当にしたのは次の総理は河野と決めたからだと語るのは、東国原英夫氏だ。河野氏は麻生派に属しているから、太郎首相に後見太郎が実現するのか。

NHK大河ドラマ『麒麟が来る!』があと2回で終わる。本能寺の前に光秀が詠んだ歌がある。<時はいま・・・>であり、<〇〇がしたたる・・・>と続くのだが、この〇〇が思い出せない。古い歌謡曲の歌詞を忘れることがあって、これはメロディーがあるのでナントカ出て来るのだが、光秀の歌は出てこない。

コロナ騒動の始まりから1年経った。これほど広がるとは思っていなかった。アメリカでは13人に1人が感染者だそうだが、こういう数字がいちばんわかり易い。東京の感染者が1,000人を下回ったが重症者は過去最多、というニュースを聞くよりは、東京では〇〇人に1人が感染しているといった言い方が、私のような老いぼれ頭には吸収しやすい。今朝の血圧は124ー75。

替え歌

2021-01-31 17:39:48 | 日記
戦前戦中、『元寇』という小学唱歌があった。<四百余州を挙る十万余騎の敵 国難ここに見ゆ 弘安四年夏の頃>が、その第一章だったが、これを子供達が替え歌にした。<四百余人の乞食 ざる持って角に立つ オッサン銭(ぜに)おくれ 穴の開いた銭おくれ>と唄った。この<穴の開いた銭>がいくらのものなのかは、5銭玉なのか10銭玉なのか、私は知らない。だが、<オッサン銭おくれ>はいかにも関西風の軽さが現れていると思う。

家人の妹夫婦が友人の結婚祝いにウチの2人の娘に歌を唄わせたことがある。娘たちがまだ小学生の頃だった。義妹の夫が替え歌を作った。元歌は『ちいさい秋みつけた』という童謡で、<小さい秋 小さい秋 小さい秋みつけた>で始まるのだが、これを<大きい幸せ 大きい幸せ 大きい幸せみつけた>に替えたものだ。私はこういうことが恥ずかしくて仕方がない人間だ。理由はわからない。ただ、この種のことは、誰かの誕生日に<ハッピーバースデー トウーユー>と唄うのを聞くとの同じぐらい恥ずかしい。耳をふさぎたくなってしまう。

家人の所属するコーラスグループは、参加者は60歳以上という制限がある。つまりは老声合唱団だ。そこで、昔の流行歌『銀座カンカン娘』を唄う。終戦間もない頃の歌だから、年齢的にみんなが知っている。それは好い。しかし、何を思ったのか、歌詞の終わりの部分を変えてしまったので、これまた聞いていて恥ずかしい。ラストの<これが銀座のカンカン娘>を<鎌倉のカンカン娘>にしている。何の必要もなく取り換えているのだ。どうしても変えたいならば、<あの子かわいや ・・・>以下を<入れ歯カタカタ カンカン娘 古いスカート スニーカー履いて・・・>にしたらと思うのだが。いや、この文は家人には見せられない。


東西の言葉少々

2021-01-29 12:23:43 | 日記
子供が鬼ごっこをやる。鬼になった子が、みんなが隠れている間、数をかぞえる。1,2,3,4…では面倒なので、ダルマサンガコロンダと10の音を発する。これが東日本の習慣だ。一方、西(私が子供時代を過ごしたのは兵庫県)では、ボンサンガヘヲコイタと言っていた。達磨が転ぶというのが、いかにも東で、坊さんが屁をこくというのは、いかにも西の門黙約所の感がある。

「××君への投球は1球目、2球目をアウトコースへのカーブ、3球目がド真ん中への直球。上手い配球です」とテレビの野球解説者が言う。ド真ん中のドは西の言葉だ。ドアホウ、ドスケベ同様、西の言い方だ。しかし、今や関東出身の野球解説者でもド真ん中と言うようになった。

西の人が東の言葉を真似ることはほとんどないが、西の言葉が東を飲み込んでしまうことはよくある。前記のド真ん中もその1つだ。最近耳にするのが「ややこしい」だ。これは、複雑と面倒くさいを足したような意味だろうが、国会の論戦などでも使われるようになった。西では赤ん坊のことを<ややこ>と言う。だから、「子供がむずかるように面倒だ」からきているのかどうか、その辺は林修先生に訊いてみないとわからない。でも、「ややこしい」は多くの場面で使える便利語であることは確かだろう。

携帯電話

2021-01-29 12:18:24 | 日記
ついにケータイを手に入れた。娘に買ってもらって使用法を教わった。もちろんスマホなどのように多くの機能を備えているものではなく、たとえば小学生の子供が親との連絡用に初めて持つような品だ。私の場合、それで事足りる。

昨年8月に、家人が頭のケガで10日間入院した。もちろん入院生活に必要な下着類とか化粧品とかは、あとから病院に運んだりしていたが、面会はできなかった。つまり、何か必要な追加があったら、家人は病室からスマホで娘に連絡して、なんとか病院での生活を維持していたのだ。

私は今までケータイを持ったことがない。私が電話を必要とするのは、友人、知人との雑談、証券会社との株に関するやりとり、土日の競馬の馬券購入ぐらいのもので、すべて固定電話で充分にできる。複雑なスマホなど、見ただけで、自分にムリだとわかっていた。家人が毎日のように曽孫の動画を見せてくれるが、その操作も私の頭と指先では扱えるはずもなかった。

私のケータイは、つまりは入院用なのだ。いわば、家族と連絡するだけを目的とした命綱である。考えてみれば、このコロナ時代、多くの面で、連絡が不自由ということが起きていると思う。最初に、ついに、と書いたが、これは85歳にして初めてという意味だ。小学生向きの機器だから、老頭衰指でもなんとか使えそうだ。

2021-01-29 12:11:00 | 日記
父方の祖父は茨城県の田舎の村(いまの稲敷市)の貧農の次男として生まれた。兄のS太郎とは1歳違いだったが、性格は全く違っていたようだ。S太郎は小さい頃から植物に非常に関心を持っていたという。××の木の葉は乾せば食用になるとか、××は雑草だが飲料になるといったようなことに熱心だったらしい。学業は村の小学校までだったが、やがて漢方薬店を開くようになる。私は、小学校4年生のときに3ケ月間だけS太郎の家に疎開していたが、そのときも近所の人にアレコレの自家製薬を説明したりしていたのを思い出す。

私は、毎日、大量の薬を服んでいる。20余年前に脳梗塞を患って以来の習慣だ。腰痛の緩和剤を除けば、ほとんどが脳梗塞再発予防のためで、血圧、コレステロール、血液サラサラ等、もりだくさん、赤白さまざまな台紙に包まれた錠剤が朝食・夕食のあとにひかえている。薬の多用で胃が疲れないためか、ひときわ大きな粒の胃薬も用意されている。

3年前までに、3度胆石の激痛を経験した。その中の2度は救急車のお世話になった。3年前に何かの広告で流石茶なるものの存在を知って買ってみた。以後、それを飲み続けているが、胆石は静かになっている。流石茶は<さすがちゃ>と読むようだが、読んで字のごとく、石は時々出ているが体外に流れ出ているのだろうか。なぜ、石を流す薬は病院にはないのか。流石茶は漢方というより民間療法に近い気がする。のみながら、ふとS太郎のことを思い出したりする。